57.未知との遭遇
かくしてカイロウと共に外出することになったアリナとレイシンだったが、その道のりは平坦なものではなかった。
なんといっても、素のカイロウは人が困っている気配を感知するとそちらへ向かっていってしまうのだ。
あまり目立つことをするな、といさめるレイシンも、いつまでも店に辿り着けず待ちぼうけを食らうアリナも、「すまない、久々の世俗でつい」と眉を下げて反省する(ただし改善はしない)カイロウを目にしては、文句の一つも出てこなかった。
大荷物の老人を自宅まで送り届けて、礼として土産をどっさり持たされているカイロウを横目に、レイシンは一番の被害者であるアリナに声をかけた。
「すまんなアリナ。本来ならば今頃とっくに百貨店で買い物の一つでもしていただろうに…」
「レイシンさんのせいじゃないですよ。ていうか、誰のせいでもないから、大丈夫です。カイロウさんと、レイシンさんと一緒に出歩くなんて新鮮で、楽しいですよ」
なんて良い子なんだ、とレイシンは感動し、控えめに笑うアリナへの好感度が百のうち二十くらい上がった。
本当なら本日の主役はアリナであり、レイシンは彼女を、お姫様を相手にするかのごとく対応しろとミカゲツに教えを受けていた。それに実直に従ってアリナに楽しんでもらおうという計画だったが、予想外の介入により現在すっかりアリナの主導権は失せてしまっている。
だというのにアリナは「大丈夫」だと言うのだ。「楽しい」とも。
これで好感度を上げるなと言う方がおかしい。
レイシンの彼女への心象はうなぎ上りになっていた。
優等生な回答をしたアリナだがこの言葉は全くの本心であり、彼女はこの状況を奇妙とすら感じていた。
というのも、カイロウがあまりにも人並外れていて。
普段は悪魔の形相で執務室に黙ってこもっている男が、晴天の下で柔らかな笑みを浮かべて多くの人々と交流しているその光景は乖離的で、まるで現実味がなかった。
正直言うと、堅物なレイシンと二人で出歩くよりこっちの方が突拍子もなくて新鮮で良かったと思う。
前々から用意していたレイシンには申し訳なくて口が裂けても言えないことだが。
「…じゃあ気をつけて」
カイロウが戻ってきた。
両手に老人とその妻からもらった日持ちのする菓子やら何やらを掲げ、青年は待機していた二人に「悪い、待たせた」と軽く頭を下げた。
「いちいち謝らないでくださいカイロウ兄さん」
「でも俺が…」
「今の兄さんに謝られるとこちらが居た堪れなくなるんですよ、やめてください」
レイシンの苦言にアリナもこくこくと頷いて同意を示す。
分かっていたことだが、今のカイロウは非常に人当たりが良く、人の心を懐柔しやすい。そんな彼に落ち込まれたり謝罪されると、自分達の方がとんでもない悪事をしでかした気分になって罪悪感がふつふつと湧いてくる。
アリナは、彼によって簡単に左右される心をどこかで気持ち悪くも感じていたが、面と向かって「あなたと接していると複雑な気持ちになる」と言うわけにもいかず、またそんなことを伝えてカイロウを曇らせたくもなかったので、黙っていた。
「では今度こそ百貨店に向かいましょう。そこでアリナの買い物をします」
「そういえば何を買うんだ?」
「見てから決めるつもりです」
三人は再び目的地を目指して歩き始めた。
「…頼むよ」
異様な人物だった。
薄暗い路地裏の中ですらその影の濃さは際立っていた。
頭のてっぺんから爪先まで隙なく身につけているのは灰色のローブであり、それ自体は奇怪ではない。だが、一切の肌を晒さず、顔すらもフードの奥深くに隠したその者は、見る者に共通の認識を与えた。
夜道に得体の知れないものが現れるかもしれない、という想像が具現化したような存在。
男か女か、何歳なのか、そもそも本当に人間なのか。
相対した者は例外なく警戒心を抱くだろうその気配は、しかし先程まではなかったものだった。
路地裏を無断でそそくさと突っ切ろうとするいかにも怪しい人物に、これは見過ごせないと路地裏にたむろするゴロツキの頭が立ち塞がったのだ。
輩を束ねるその男はまだ二十代であり、体もガリガリで戦闘面では頼りないが、彼の後ろにはゴリゴリの筋骨隆々男も控えていたし、血気盛んな下っぱもいた。
負けるはずがなかったのだ。彼らが恐れるのは、幼い頃に何度も親から聞かされた、人を人とも思わない冷酷な一族、黒い悪魔のみ。
「何者か、何のためにここを通った」と詰問し取り囲んだ輩に、ローブの人物は歩みを止め、片手を挙げた。
その瞬間に彼らを襲ったのは恐怖であり、それまではただの風貌の怪しい通行人であったローブの人物は、途端に異形の雰囲気を纏って彼らを圧倒した。
「お前…何を」
動けない下っぱを庇うように前に進み出た筋肉男を制し、痩身の男はローブの人物にやっとの思いで語りかけた。
「何を、する気なのさ?」
「ジョン」
「はぁ?」
「結末を変えたいんだ。力を貸せ」
ローブの発した声が存外どこにでもいるような男のものだったことに一瞬警戒を乱した男は、「ガリ!」と名を呼ばれ我に返った。
呼んだのは、相方である無口な筋肉男であり、彼に名前を呼ばれるのは久々で、ガリはぼんやりと動きを止めて、それから彼の苦しそうな息遣いが耳に入った。
ハッとして見やると彼は何故かたくましい肩から血を流していた。
そして何故か自分の手には血のついたナイフがあった。
「え?ゴリ?なんで、血ぃ」
「離れろ!」
ゴリの叫びにガリは背後、すぐ近くから感じる気配にナイフを取り落とした。
ローブの男はすぐそこにいた。
「協力しろ。頼むよ。ヴァースアックの頭をさらってこい」
男はガリの肩に手を置き、気安い口調で告げた。




