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56.デート組

 デートをするつもりだった。

 少なくとも街に着いてミカゲツのプラン通りアリナをエスコートし始めた時点では、そう決めていたのだ。

 一度すると決定したのだから、今更「十歳近く年下の女の子とデートってやばくない?」と正気に戻ったところで、勝手に中止にするわけにもいかなかった。

 何しろ、ミカゲツが折角知恵を絞って、誠心誠意一から十まで協力してくれた計画なのだ。

 それを台無しにするのは気が引ける。


 そうは思っていても。

 レイシンは、その姿を一目見た途端に、全てが吹っ飛んでしまった。

 いくら騒がしいからと言って、振り返って確かめるべきではなかったのだ。

 だが後悔しても遅かった。


「な…」


 信じがたい状況だった。

 だって、今朝、出立を報告した時はいつもと同じ無表情で「ああ」と頷いていたではないか。

 何も変わらず、留守番しているはずだったではないか。

 それが、どうして、ここに。


「…レイシンさん?」


 アリナが突然立ち止まったレイシンに驚き、固まる彼の視線の先を追って振り返り、同様に凍りついた。


 旅人風の格好をしたその青年の周りには、人だかりができていた。

 老若男女問わず、誰もが彼に話を聞いてもらいたがっていた。

 青年は拒否する様子もなく穏やかに、むしろ嬉しそうに人々の相手をしていた。


 人通りの多い道の角であるから目立ってはいないが、もしこの場所が閑静な住宅街であったなら否応なしに注目を集め、更に人を呼び寄せていただろう。

 当然だ。何故なら、彼は元々そういう人間だったからだ。

 人の警戒心を削ぐ雰囲気を纏い、どんな相手だろうが優しく接し、どんな話だろうが親身になって聞き、相談者の悩みが解消すれば自身も大いに喜んで、あらゆる者を懐柔する。

 あの青年は、人の笑顔を見るのが好きだった。

 心の底から、他人の幸せを願っていた。

 領地に引きこもってからはその真価が発揮されることはなくなったが、彼が街になど出てきたらどうなるか、レイシンには容易に思い出せたし、想像できた。

 そして目の前には頭の中と全く同じ光景が広がっていた。


「あ…兄上ぇぇ!」


 カイロウは、レイシンの叫び声に顔を上げ、目が合うと眉を下げて「しまった、バレた」とでも言いたげな表情を形作った。




「…心臓が止まるかと思いました」


 人々をどうにか解散させ、人気のない路地裏にカイロウを引きずり込んでから、レイシンはやや悪くなった顔色でため息を吐いた。その隣でアリナも何故ここにカイロウがいるのか、と目を見開き、動揺を隠せていない。

 当のカイロウは自らの黒髪を掻き、柔らかな口調で、


「悪い。最初は尾行していたんだが…途中で具合の良くなさそうな人を見つけて。それを介抱しようと思ったら、その人は体が悪いのではなくて、美人を口説くのに手酷く失敗したんだとか。その愚痴を聞いていたらその人の友達がやってきて、その友達からも話を聞いて、ついでにその人の悩みも聞いて、そうしたらその人の知り合いがやってきて…」

「その繰り返しであんな渋滞になったと」


 「レイシン達の邪魔をする気はなかったんだ」と申し訳なさそうに笑うカイロウに、レイシンは頭痛がするかのように額を手で押さえ、しばらく沈黙してから気を取りなしたように背筋を伸ばした。


「…そもそも、カイロウ兄さんは何故私達の尾行を?」

「兄妹皆で遊びに行くっていうから、様子が見たくて…」

「…まさか無断ではありませんよね?」

「ああ。代理がいるから大丈夫だ」


 代理とは誰か、とレイシンが鋭く問いかけると、知っているだろう?あの変身できるあくまだ、とあっさりとカイロウは答える。その返事にますますレイシンは眉間のしわを深くして渋面を作った。

 アリナにしても、あまりそれは受け入れられるものではなかった。


 つまり、今あの家では悪魔がカイロウの姿に変身して、周囲の人間を騙していることになる。何も知らない使用人達は疑うことなく、何事もなくあの男にカイロウとして接しているのだろう。その場面を妄想すると、背筋が寒くなった。

 もしあの変身男が気まぐれに戦を始めたら?当主に化けられるというのは、黒い悪魔ヴァースアックの手綱を握っているのと同じだ。

 悪魔の気一つで、いとも容易く血が流れるのだ。

 放っておいたら、何をやらかすか―――


「そんなに不安そうな顔をしないでくれ。彼は確かに悪辣だけど、君が心配するようなことはしない」


 アリナの心を読んだかのようにカイロウは静かに微笑んだ。たったそれだけで疑心が振り払われてしまい、アリナは改めてカイロウの恐ろしさを味わった。

 今の、というか素のカイロウは、危ない。ちっとも大丈夫でないのに謎の安心感が生まれてくる。無条件で信用してしまう。

 そしてそれをよく理解しているレイシンは、「とにかく、早く帰りましょう」とアリナとカイロウの背中を押して帰宅を促した。


「えっ。帰る?まだ何もしていないじゃないか」

「あの悪魔に任せておくわけにはいきません!カイロウ兄さんと私が同時に領地を留守にするなど、言語道断!ヴァースアックの誇りにかけて、連れ帰らせてもらいます!」

「でも、ずっと前からこのために準備していただろう。アリナだって今日を楽しみにしていた。それを俺が滅茶苦茶にしたなんてことになったら、罪悪感で押し潰されてしまう」


 カイロウが情けない声を上げた。グッ、とレイシンの息が詰まり、動きも止まりかけるが、彼は何とかカイロウの視線から目を逸らし、頑なに歩みを進めた。


「それはカイロウ兄さんの気に病むことではありません。アリナも、すまないが今日は中止にさせてくれ」

「はい、あたしは平気ですけど…カイロウさんが…」


 アリナは未だカイロウに気を取られていた。

 彼が黒目を伏せて意気消沈している様は実に同情心を煽り、どうにかして元気付けてやりたいと否応なしに思わせるものだった。


「駄目だアリナ、見るんじゃない。押しに負けて流されるぞ。絶対に目を合わせないようにするんだ」

「そんな人を妖怪みたいに…」


 レイシンの言い草にカイロウは更に落ち込み、それによってますますアリナは後ろ髪を引かれた。


 確かに、悪魔が領地で好き放題やっている状況は良くないかもしれない。だが、あの変身男が大人しく身代わりに努めている可能性だってあるのではないか?あの悪魔はカイロウを気に入っていたようだし、カイロウの願い事ならちゃんと聞き届けてくれるだろう。

 少しくらい、領地を空けてもいいのではないか。


「…レイシンさん、やっぱり、中止を中止できませんか?」

「アリナ…」

「…駄目ですかね…」

「…くっ…」


 アリナの思わぬ援護にカイロウは瞠目し、「ありがとう」と呟いて、唸るレイシンに向き直り真剣な顔つきで言い募った。


「頼む。七年ぶりに、俺も家族と外出したい」


 レイシンは答えない。

 カイロウはじっと弟の返答を待ち、その真っ黒な瞳で見つめ続けた。


「…ああもう!分かりましたよ!本当に仕方ない人ですよあなたは!」


 お許しが出た。

 ぱーっと喜色を滲ませるカイロウに、アリナは驚いて「七年ぶりって、カイロウさんずっと出掛けてなかったんですか」と質問する。


「ああ、当主になってからは一度も。だから嬉しいんだ。とはいえ、君達の邪魔になる気はない。君はレイシンと二人で…」

「それは絶対に許可しません。兄上を一人で出歩かせるなんてどうなるか…!」

「だが、レイシンとアリナのデート…」

「そこは譲りません!」

「あたしもカイロウさんと一緒に買い物とかしてみたいです」


 眉を逆立てて睨んでくるレイシンと、そんな偽婚約者に苦笑しつつとても嬉しいことを言ってくれるアリナに、カイロウは微笑を浮かべ、再び感謝の言葉を口にした。

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