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55.留守番組

 エジット・セルペットという男がいる。

 アルンの国の公爵の配下で暗躍する男であるが、ほんの数ヶ月前まで、彼は精神的に追い詰められていた。

 メンタルに関しては自分の右に出るものはいない、と自負する男であり、実際、上司に怒鳴られようが部下に煽られようが、男の心力は並大抵のことでは揺らがない代物だったが、それでも彼は人間であり、面倒ごとが積み重ねられれば相応に消耗もした。


 男を追い詰めているもの、それはたった一つ。

 公爵、主の性癖である。

 世界でも有数な大国の支配者の一人である主は、多くの人を惹きつける容姿と声、オーラを持っていたものの、それらを帳消しにするほどの問題を抱えていた。

 赤い髪と、緑の瞳。その二つを有した女に目がなかったのである。

 主はそれにかけては清々しいくらいに行動力を発揮していた。

 どんな身分でも、どんな性格でも、両方が揃っていれば手込めにすることに躊躇いがなかった。

 そして、飽きればすぐに捨てていた。

 その後処理は、彼の部下であるエジットの役割だった。


 赤い髪と、緑の瞳。

 別に珍しくもない外見である。

 だからこそ、男の仕事は次から次へと舞い込んできていた。


 娘を突然奪われた平民が泣きついてきたのに対応し。

 妹に手を出された貴族が怒鳴り込んできたのをなだめすかし。

 ヘンリー様ってカリスマあるけど変態だよね、と噂する手下を一喝し。

 国にのこのことやってきた客人の中に赤髪がいないかを日夜チェックし。

 自身が赤系統の髪色を持っていることに戦慄しつつ地味に増えていく白髪を泣きながら染め。

 何が楽しいのか鏡と一人で会話している主の姿を陰ながら見守り、彼の理不尽な要求にも従って。


 そんな生活を続けているのはひとえに、地位のためだった。

 もし自分が落ちぶれたら自分の手下も皆、職をなくす。

 地位を守るには何をしても構わない。

 だが、それも限界があった。

 これくらい平気だ、私ならできると自分を騙して身を削り続けるのは、辛かった。

 故に。

 エジットは、現在迷っていた。




 主であるヘンリーから、エジットはこう命令を受けていた。


「アリナとレイシンが本当に婚約しているのかどうか、確かめること」


 そして、こうも言われていた。


「その証拠を掴むまで、帰ってくるな」


 つまり。

 彼は、エジットに「どんな手を使ってでも、アリナとレイシンを破局させろ。おめおめと帰ってきたら許さぬ」と、そう言外に告げているのだ。


 最初は「これはえらいことになった」と焦ったものだが、ヴァースアックの領地で過ごす日々の中で、エジットの中にある感情が生まれていた。


「帰りたくない」


 意外や意外、ヴァースアックの領地での生活は至極快適なものだったのだ。

 黒い悪魔と称される住人達も、確かに目つきは悪く、がたいのいい人間が多かったが、女子供はどこの村とも変わらず。レイシンの客なら歓迎すると存外人当たりも良く。

 さらに気候は良く、収穫された作物からなった食事は美味い。

 美青年の女装や、美少女のファッションショーまで開催されている。

 そして、日常的に問題を起こす主人も、嫌味を言う貴族も、ここにはいない。自分をからかってくる部下はいるが、まあ許容範囲だ。


 エジットは知っていた。

 レイシンとアリナが本当は婚約者でもなんでもないということを。

 だが、それを証明する書類も、物品も、彼は探す気はなかった。

 主に言いつける気もなかった。

 この平穏を壊したくなかったのだ。

 今まで散々働いてきたのだから、ちょっとくらいこの穏やかな地で休息をしても許されるだろう。

 エジットはそう結論を出したし、彼についてきた部下もまた同じだった。


 しかし、アリナにそれを知る術などなく。

 今朝も「デートに行ってきます」とレイシンと二人で見せつけるようにして外出していった。

 偽装だと、とっくにバレているとも知らずに…。

 もっとも、エジットはわざわざ「知ってるから演技しなくていいよ」と明かすつもりはなかった。

 そんなことをしたらレイシンに「じゃあさっさと帰れ」と放り出されるであろう。

 冗談ではない。バカンスは始まったばかりなのだ。

 まだまだお楽しみはこれからだ。




 そんなエジット達アルンからの調査隊を、全て見抜いた上で最も煩わしく思っている男は、執務室にいた。

 「カイロウさん、レイシンさんがいない分の仕事、俺が手伝いましょうか」というシキの優しい申し出を断り、たった一人で淡々と業務をこなすその男。

 その顔は悪魔と評されるに相応しく冷徹で、温かさのかけらもない。

 彼の現在の心境は、こうだった。


(あの代用品、本当に大丈夫だろうな…)


 そう、ここにいるのはカイロウではなく、彼に化けた悪魔である。

 カイロウが、レイシンとアリナのデートを成功させるべく忙しくするきょうだいをあんまりにも羨ましそうに見つめているから、思わず「行って来い」と背中を押してしまった。


(あの時のおれはどうにかしてたな)


 時々そういうことがある。後から「どうしてあんなことしたんだろう」と思い返すようなこと。

 本来ならカイロウをこの地から出すなど、絶対にしなかっただろうに。


 カイロウは今朝レイシンとアリナが領地を出て、その他のきょうだいが出発したのを確認してからこそこそと出かけて行ったが、本当に尾行の尾行などできるのだろうか。悪徳業者に捕まったら一巻の終わりだ。きっと営業トークに一日付き合った末に高い壺を買わされる。

 あの男は人を疑うことを知らない。


 書類整理を一区切りつけ、使用人が見たら目を丸くするだろう仕草で盛大に椅子の背にもたれかかり、悪魔はぼんやりと夢想した。


 あの赤髪の少女が来てから、時が動き始めたのは間違いない。

 アリナが来て、キリカが変わった。

 キリカが変われば、ヒソラが変わる。

 弟妹が変われば、ミカゲツも変わらざるを得ない。

 次いでなし崩しにカヨウ、レイシンも変わる。

 そうなれば、後に待っているのはヴァースアック一族の変化だ。


 変わらないのは自分と、カイロウだけ。

 あの男だけは、初めて会った時から何も変わっていない。

 見た目は変わっても、中身にはまるで成長がない。

 他のきょうだいは皆、何かしら進歩したというのに。


 赤髪の少女は一族を警戒し、逃げ出そうとしていた。

 銀髪の少女は一族と敵対し、害そうとしていた。

 末子の少年は一族に怯え、内にこもっていた。

 四男の青年は一族を疎み、出奔を計画していた。

 三男の青年は誇り高く、軟弱な長兄を見下していた。

 次男の青年は自身が当主になることを疑わなかった。


 それが今や、デートだ何だで皆揃って街に出ていく始末。


(これ見たら先代はどんな顔すんのかね)


 先代のヴァースアック一族の当主、トウセン。彼は七年前、カイロウに当主の座を追われ、妻と共に領地を出た。

 カイロウはそれ以来、自分自身を殺して、周囲を欺いて、ヴァースアックの頂点に立ち続けてきた。

 だが、それももう潮時だ。

 アルンの一件ではうまくいかなかったが、次こそは、ひっくり返してみせる。


(ま、次がいつになんのかは分かんねーけどな)


 おれも甘いよなあ、などと考えながら、悪魔はカイロウの顔で薄く笑い、アルンから来た部外者をからかいに行くべく席を立った。

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