49.ただいま…誰だお前
これは夢だ、とヒソラは思った。
カヨウがどう考えても無茶なスピードで帰りを飛ばし、自分はそれに巻き込まれた。今もその最中なのだろう。きっと実は今も馬の上に乗っていて、自分は白目を剥きながら白昼夢でも見ているのだろう。
そうでなければ説明がつかない。
目の前にいる、女の格好をした男。一瞬誰だか分からなかった。分かりたくもなかった。
きょうだい、いや一族の中でも一際堅物なレイシンが、鮮やかなドレスを身にまとい長髪のカツラを着用してバッチリとメイクをした顔でこちらを振り返った様など。
夢は夢でも最低の悪夢だ。
もはや吐き気すらこみ上げてくる。
「おええ…」
「な、ヒソラ、大丈夫か…なのですわ!」
蹲ったヒソラを心配そうに覗き込むレイシン(夢)。語尾のあたりで女声になっているのが最高にダメージをかけてくる。
「おい、ヒソラ!どうし…」
焦ったような声色。カヨウの声だ。
やはりこれは夢だ。自分は落馬しかけてしまったのだろう。それをカヨウが心配してくれたのだ。
「はああああ!?兄さん!?ついにストレスでイカれたのか!?いや、ちょっ…イカれ方が面白すぎるだろ!!」
背中から響く盛大な笑い声。「何がおかしい!」「いや、だってそれ…マジ最高!ポーズとってみポーズ!」「貴様ぁ!完全に馬鹿にしているだろうが!」といういつもの感じのやり取りを耳にして、ヒソラは絶望した。
夢じゃない、現実だ、と。
「…という訳なんですよ」
異常に女装が様になっているミカゲツがにこやかに説明を締めくくる。
玄関で騒いでいたヒソラとカヨウは、聞きつけた女ミカゲツによってまず強制的に風呂に入れられ、さっぱりした後で彼の部屋へと連行された。そこで、アリナとキリカとレイシンらがアルンの国に赴き、ピンチに陥ったこと、公爵ヘンリーがアリナに求婚したこと、それを拒否したアリナが咄嗟にレイシンを婚約者と偽ったこと、その真偽を確かめるべくヘンリーの手下が領地に駐在していることを話した。
そして、自分達が女装している件について、ミカゲツは笑いを堪えるようにして語った。
「まあ、あれですね。レイシン兄さんは厳しい人ですけど、愛しいアリナの頼みなら女装だってしてしまう。レイシン兄さんはアリナに惚れ込んでるんですよっていう宣伝ですね」
「他に方法あったでしょ…」
「いやあ、僕もびっくりしましたよ。提案者はキリカなんですけど、まさか本当にやってくれるとは…。あの性格だから一回決めたらちゃんと成り切ってくれますしね」
心臓が止まりかけた、とぼやくヒソラに、ミカゲツは今夜の夢に出てきそうでしょう、と微笑む。もう聞きたくないとでも言うようにヒソラは耳を塞いだ。
「だいたい何でミカゲツ兄さんもやってんの?」
「キリカに押し切られまして」
二人が会話するその傍らで、カヨウは上機嫌でにこにこしている。
「いやーやっぱそうだったかー。だと思ったんだよ。アリナとレイシン兄さんが婚約するなんてなあ?そりゃあデマだとは思ってたが、やっぱ偽だったかー」
「しかしですねカヨウ兄さん」
「おう?」
「アリナが何やらレイシン兄さんとカイロウ兄さんとの距離が縮まったみたいで、このままいけば本当に結婚するかもしれませんよ?」
「は?」
「アリナがどちらかに惚れるか、二人のどちらかがアリナに惚れるか。そういう未来も可能性を帯びてきたような気がします」
カヨウの笑顔がピキッと引きつった。
「あのなあミカゲツ。アリナはきょうだいだろ?お?違うか?それにアリナはまだ十五だぜ?対してカイロウ兄さんは二十五、レイシン兄さんだって二十三だ。もし手を出したら完全に変態ロリコン認定だろうが」
「そうでしょうか?キリカとトンタっていう例もありますし、僕は割と悪くないと思いますけど」
カヨウは一転して憤慨し、立ち上がる。
「ふざけんじゃねえ!そもそもオレはキリカの件だってまだ認めてねえんだ!そういやキリカとアリナどこいるんだ、直接話しにいってくる!」
「キリカとアリナなら、居間でしょうか」
ドスドスと足音を立てて出ていったカヨウを笑顔で見送るミカゲツに対し、ヒソラは戦慄した面持ちで尋ねた。
「ミカゲツ兄さん、何で?どういうこと?何今の?え、ミカゲツ兄さん、二人にくっついてほしいの?嘘でしょ?」
「まさか。ただ、僕は煽っただけですよ」
「だから何で!?」
悲鳴を上げるヒソラにミカゲツは答えず、「さ、ヒソラもキリカに会いにいったらどうですか」と促した。
女子二人が長椅子の上でくっついて何やらこそこそ話をしているその間に、カヨウは首を突っ込んだ。
「よっ!何話してんだ?」
「あ、カヨウお兄ちゃん!おかえり、思ってたより早い帰りなんだよ!」
「おかえりなさい、カヨウ。何だか久しぶりに感じるわね」
「おう、ただいま。お前らアルンで大変だったんだろ?悪いなー、オレがそばについててやりゃあ」
そう言うカヨウに、二人は顔を見合わせ、キリカは満面の笑みを浮かべ、アリナは苦笑する。
「わたしにかかれば大したことないんだよ!」
「ええ、でも、レイシンさんがいてくれたから、助かったわ」
む、とカヨウは思う。やっぱりレイシンの好感度はだいぶ上がっているようだ。喜ばしいことではあるが、いつかあのクソマジメが崩壊するかもしれない。真面目な人間ほど、たがが外れたら何をしでかすか分からないというものだ。
カヨウが薫陶めいたものを口にしようとしたその時、
「キリカ…?」
振り向くと、扉の陰から一番下の弟がこちらを覗いていた。
「あ、お兄ちゃん!」
「お前、誰だ?」
偶然にも、二つの声が重なる。
呆気にとられるアリナとカヨウ、酷く驚いた表情のキリカと対峙し指をさすヒソラの手先は、細かに震えていた。




