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46.姉

 変身男は今まさに想い人がそこにいるのではないか、と周囲に錯覚させるほど愛情に満ちた表情で、虚空を見つめていた。その口から次々に流れてくるのは思い出話だ。


「スイちゃんはな、体が弱かったんだ。だから家に閉じこもりがちでさ、というのも本人の希望じゃあなくて、周りの人間に固く止められてただけで本人は外に出たがってたんだけどさ。そのせいで外のことは何も分からない箱入り娘だったんだが、家の中のことは何でも知ってた。でもおれのことには気づいてなかった。まあおれはその時特殊な場所にいたからしょーがないんだけど。でもある日、青く晴れた空が印象的だったあの日、おれ達は…」

「ちょ、ちょっと待って、その話、多分相当長いわよね!?あ、あとにしてくれない?」

「はあああ!?せっかくいいところなんだぞ!?」


 猛烈に抗議を始める変身男にアリナは戸惑いつつも「あとでちゃんと聞くから」と返す。「ったく最近の若い奴は…」と愚痴りながらも変身男は引き下がってくれた。


「それで、カイロウさん。姉さんはこの男に騙されただけで、その…悪気はなかったんですよね?」


 言葉に詰まったのは、少なくとも姉が、結婚しているにも関わらず他の男を好いていた、という事実を少々受け入れ難かったからだ。

 しかしカイロウは大きく頷いて、はっきりと肯定してくれた。


「当然だ。ミサは何も悪くない。ミカゲツは勘違いしたままだが…真実を伝える訳にもいかなかったから」

「それは、何故?」

「この男…悪魔のことは、本来ヴァースアックの嫡子のみが知る秘密で、他の人に漏れてはならないんだ。そういう掟になっている」

「…あれ?レイシンさんは、知っていたんじゃないんですか?」


 レイシンが変身男と対峙してあからさまな敵意を表し、悪魔という単語を口にしたのはつい先ほどのことだ。

 アリナの問いに、レイシンは顔をしかめ、カイロウは「まあ、レイシンは特別だったんだ」と困ったように笑う。

 気にはなったが、今の本題はそれではない。

 アリナは質問を続ける。


「姉さんは今、どこにいるんですか?」

「ヴァースアックの別宅だ。悪いが君を行かせる訳にはいかない。少なくとも、今は。彼女にも、時間が必要なんだ」

「…そうですか。姉さんのことは、分かりました。次に聞きたいのは…あたしと姉さんが、賢者と女傑の子孫っていうのは、本当なんですか?」

「何だと!?」


 声を上げたのはレイシンだ。そういえば彼にも話していなかった。婚約の件と、キリカのことがあって話しそびれていたのだ。

 アリナの顔をまじまじと見つめ、レイシンは言葉が出てこないかのように首を振った。一方カイロウは変身男に視線を送る。


「…どうなんだ?」

「あ?知識によれば、そうなんじゃねーの?権力を嫌った女傑が息子に旅をさせようと追い出して、そいつが子種ばら撒いたんだろ」

「ということらしい。不思議な巡り合わせだが…もしかしたら、運命なのかもしれないな」


 柔らかく微笑まれ、居心地の悪い思いが浮かび上がってくる。このカイロウが嘘をつく筈もないし、どうやら本当に自分は特別な血筋らしい。何ともむずがゆい。昔、近所の青年に「俺のひいひいじいさんの弟はレリウスの大将軍だったんだぜ、俺にもその血が流れてる。敬えよ」と自慢された時にもこんな感覚に陥った。

 これ以上掘り下げるのはやめて、アリナはまっすぐに顔を上げる。


「…じゃあ、最後に。キリカのことについて教えてください」


 明らかに、カイロウの顔が曇った。それを見てレイシンの眉がひそめられる。


「キリカはアルンの国で、おかしな力を使っていました」


 ヴァースアックであるシキを昏倒させただけでなく、初めて会った人間の名前を呼び、その弱みや直近の出来事すらも言い当てて見せた。勘がいいのだ、という言い訳などでは到底納得できないような、不可思議な力。


「このままここにいれば治るというけれど、過去に何があって、どうしてそんなことができるようになったのか、知っているなら、キリカに教えてあげてください…!キリカは、記憶がなくても気にしないと言っていたけれど、でも、自分の失われた過去を取り戻せるなら、そうするのが一番、キリカにとっても」

「それは、できない」

「…どうして!」


 言い募ろうとしたが、カイロウがあまりにも悲しそうに俯いたので、それ以上の文句は封じられてしまった。


「…忘れていた方がいいこともある。キリカにとっても、君達にとっても」


 それが最後の説明だった。

 アリナにもう質問がないと知ると、カイロウは「じゃあ、婚約者の振り、頑張ってくれ」とアリナとレイシンを現実に叩き落とし、部屋から追い出した。

 二人は互いに顔を見合わせ、「…とりあえず私は婚姻の指南書を読んでくる」「そ、そうですか…あたし、キリカを見てきますね」とどこかぎこちなく別れた。


 キリカの元にはミカゲツと使用人がいるだろう。彼女は自室で眠っている筈だ。

 先刻の情報を頭の中で整理しながら廊下を歩いていると、丁度キリカの自室からシキが出てきた。キリカはやはり、目覚めていないらしい。短く会話を交わし、そっと部屋に入る。

 ベッドの上に人形が横たわっていた。


(え…!?)


 一瞬硬直し、目をこする。よく見ると、それは間違いなくキリカだった。何だ今のは、と背筋が凍る。

 喋りもせず、笑いもせず、怒りもしない彼女は、あまりにも静かで、存在感が希薄だった。

 普段との落差に、思わず手が震えそうになった。

 キリカは本当に生きているのだろうか。咄嗟にベッドに駆け寄ったアリナを、細長い手が制止した。


「あまり近寄らないでくれますか」

「え…何で、ですか」


 ミカゲツはアリナの方を見ようともせずに、淡々と告げる。


「貴女を庇ってキリカはこうなったと聞きました。貴女がキリカの何らかの症状に起因しているのだとしたら、今は触れずに、見守っていただきたいのです」


 丁寧なのは口調だけだった。

 ミカゲツは変身男に騙されて、ミサを淫乱だと勘違いしているのだ、だからアリナのことも気に入らないのだ、とふと思い出す。

 たとえそのいざこざがなくても、自分はこの青年とはうまくやれていないだろう。

 そう思いながら、アリナはキリカの手を取った。

 ミカゲツが切れ長の目を吊り上げて睨みつけてくるのを感じ取りつつ、アリナはぎゅっと、ただひたすらに、早く元気になってほしい、という願いを込めて彼女の小さな手を握りしめた。


 アリナがしたのは本当に、それだけだった。


 ぱちりと大きな碧眼を開き、軽やかに身を起こすと、少女はアリナにとびきりの笑顔を浮かべた。


「おはよう、お姉ちゃん!」

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