4.悪魔の恐怖
「カヨウ、戻りました」
カヨウがちょっと緊張した面持ちで、先程遮られた文を口にした。
アリナはカヨウに続いて、その部屋に恐る恐る入る。
広いが物の多いその部屋の中には、二人の男がいた。
一人は、さっき絶叫していた奴らに似ている青年で、立ってこちらを見ている。だがその表情は酷くしかめられていた。
そして、もう一人を目にした瞬間に、アリナは己の命の終わりを悟った。
今まで何やかんやでアリナは、どうにか生きて帰れる(どこに帰るのかは置いておき)と思っていた。
だが、その男。真っ黒な髪に真っ黒な目、大きな椅子に座っている無表情のその男は、正にアリナが想像していたヴァースアックそのものだった。
決して関わってはならない、もし機嫌を損ねたら、必ず殺されると言い聞かされた幼い頃、アリナは本気でヴァースアックという悪魔に怯えていた。
その悪魔が、すぐ目の前にいる。
悪魔は、アリナをじっと見つめ、アリナもまた恐怖のあまり目を逸らせなかった。
「長旅、ご苦労だった」
「ひやぁっ!!」
悪魔が喋った。
思わず、アリナは声を上げてしまった。
その瞬間、ぶわりと膨らんだ殺気に、アリナは腰を抜かした。
しかしその殺気は悪魔のものではなく、立っている青年のものだった。
急展開にカヨウは焦りつつ、アリナを助け起こす。
「い、今のは仕方ねえよ!アリナも緊張して...」
「黙れカヨウ」
青年は冷たく吐き捨て、悪魔に向き直った。
「カイロウ兄さん、やはり無理でしょう。彼女は我々を恐れている。我々もそんな者と共になど暮らしたくありません」
「今はそうだろうな」
「...私は反対です」
青年は短く告げると、ようやく立ち上がったアリナを一瞥し、早足で退室していった。
「...見苦しいところを見せたな。改めて、私がヴァースアック家現当主、カイロウだ」
悪魔もといカイロウは、全く変わらず無表情だった。
「ほら、アリナ。大丈夫だから、な?」
カヨウに励まされ、アリナは震える足を何とか動かし、一歩前に進んだ。
「あ...あ、アリナ、です」
「ああ、よろしく頼む。さて、長旅で疲れただろう。今日はもう休むといい。カヨウ、彼女を...」
「あ、あの!」
「何だ?」
物凄い勇気を振り絞り、アリナはカイロウの言葉を遮る。
「あ、あたし、は、何故...ここに、連れてこられたんですか」
「君の姉に頼まれた」
「えっ!?ミサ姉さんが...!?ここに、いるんですか!?」
「...いや、彼女がいたのはしばらく前だ。今はかなり遠い土地にいる」
「あ...そう、ですか...」
少し落胆しつつ、ミサが生きていたということに、アリナはほっとしていた。
しかし、いないということは、ミサもまたヴァースアックに恐れをなし、この地を逃げたのだろう。自分もそうして、いくら遠かろうがミサを探しに行こうと、アリナは決意した。
だが、逃げ切れるだろうか。こんな、悪魔から。
改めてカイロウの顔をしっかり見てしまい、アリナは再び震えが止まらなくなった。
「カイロウお兄ちゃん、レイシンお兄ちゃんがすごい不満そうだったよー。そのせいでまた何か変なお話してたミカゲツお兄ちゃんとヒソラお兄ちゃんが、玄関に正座させられてたよ。絵面が面白かったよ!」
バーン!と、ドアをダイナミックに開け放ち、一人の少女が入ってきた。
その少女は肩あたりまでの長さの銀髪と、青い瞳を持っていた。
黒髪=ヴァースアック、というのが常識のアリナにとって、その少女は唯一自分と同じ存在に見えた。
だから、アリナが少女に飛び付いてしまったのも、仕方のないことだと言えよう。
「わあ、誰?びっくりしたー。あ、分かった!もー、カヨウお兄ちゃんのロリコン!」
「何てこと言うんだお前は!違えし!オレ妹には手出さないし!」
ぎょっとして喚くカヨウを意に介さず、少女はカイロウに尋ねる。
「妹って、どういうこと?」
「ミサの妹だ」
「ふーん、そうなんだ。ねえ、名前は?わたしはキリカっていうんだよ、よろしくね」
「...あたしは、アリナ、よ」
「アリナか、じゃあこれからはわたしがお姉さん!お姉さんの言うことは聞くんだよ!」
「丁度いい。キリカ、彼女を部屋に案内してくれ。キリカの隣の部屋だ」
「分かった。また後でお話聞いてねカイロウお兄ちゃん。じゃあ行こうかアリナ」
キリカに連れられ、アリナはその部屋を出た。ようやく悪魔の視線から逃れて、アリナは全身の力が抜けそうになる程、安心した。
かくして、アリナはその屋敷で暮らすこととなった。