38.お兄さんは許しません
レイシンらがそこに駆けつけた時、既に赤髪の少女の姿はなかった。
残されていたのは熱り立つ男達とそれを沈んだ表情で制止する赤髪の貴族、そして糸が切れた操り人形のような体勢で座り込む銀髪の少女だった。
「キリカ!」
誰よりも先に、トンタが飛び出した。彼女の元に走り寄り、肩を抱き寄せ顔を覗き込む。
「ああ、そんな…カイロウ兄さんの言った通りだなんて」
言葉の出ないレイシンのすぐ背後で、強張った声でミカゲツが呟いた。
何故この場に、ヴァースアックの領地に居る筈のミカゲツがいるのか、それを説くには時を遡らなければならない。
大男を打ち倒し、次はお前の番だとトンタの兄に向かって剣を振り上げたシキは、彼に鉄槌を下す直前で殺気を感じ、飛び退いた。振り返ると、己の後方に息を切らした黒髪の青年が走ってくるのが見えた。
「何を、してるんですかあああ!」
「え?ミカゲツさん!?何でここに?」
「僕の、ことはいいんです!キリカは、アリナはどこですか!?」
「そうなんですよ聞いてください!こいつキリカさんとアリナさんを罠に」
「その男のことはどうでもいいんですよ!何で一緒にいないんですか!?」
「えっと、こいつをやってから探しに行こうと」
恐ろしい形相で迫ってくる彼に、何と珍しい光景なのだろうと思いながら答えると、ミカゲツは苦しい呼吸の中「レイシン兄さんは!?二人に同行してますよね!?」と問いかけ、否定されると明らかな焦燥を浮かべた。
「不味いですよ、早く二人のところに行かないと!ほら行きますよ!」
「ちょっ、こいつどうしましょう?」
「知りませんよそんなの!現地人なら案内でもさせればいいでしょう!とにかくレイシン兄さんと合流します!」
放心状態のトンタの兄を引きずり、二人はレイシンがいる館に直行する。その道中、ミカゲツは苦々しげに事情を説明した。
「レイシン兄さんとキリカ、アリナが出かけていくなんて報告、カイロウ兄さんは聞いてなかったんです」
「え!?そんな筈は」
「ええ、あり得ませんよね。ですが実際そうなのですから仕方ありません。問題はカヨウ兄さんとヒソラがそれでむくれて正反対にあるレリウスに飛び出したことです。そのせいで僕にツケが回ってきた。やってらんないですよもう」
「あの、それで?そこまで急ぐ理由は?」
遠慮がちな質問にはっとして顔を引き締め、ミカゲツはらしくもなく口ごもりながら言葉を紡ぐ。
「…キリカです。あの子は、ヴァースアックの領地から長く離れてはいけない…僕も詳しく知りませんが、領地を出て長時間経つと、自我を喪失する、と。最悪、意識を失うかもしれない…」
「何ですかそれは!?そんなの、これまで一回も」
「僕だって今回初めて聞いたんですよ!迎えに行って欲しいってカイロウ兄さんに頼まれて、何とか追いついたんです」
レイシンが妹二人と旅行に行ったと知らされた時は何の冗談かと思い、カヨウとヒソラがそれを追って速攻でレリウスに向かったと付け加えられた時は軽く目眩がした。そして最終的にはカイロウからキリカの体質について教えられ、その日のうちに領地を発った。
カイロウは言っていた。キリカは特殊な子なのだと。もし悪い出来事が重なったら、二度とキリカには会えなくなるかもしれないと。ミカゲツは愕然とし、しかし戸惑っている暇はないと一人旅立ったのだ。
何故カイロウは他のヴァースアックの人間ではなく、ミカゲツに依頼したのか、普段そういう役割のカヨウがいないから代わりとしてか、そういったことはミカゲツにとってどうでもよかった。
キリカがミカゲツのきょうだいになったのは七年前、彼がまだ十二の時だった。カイロウに連れられ突然現れた少女は、こちらのゴタゴタなど一切目に入っていないかのようにニコニコと笑っていた。真面目な次男と面倒見の良い三男が彼女を受け入れるのは予想通りだったが、人見知りで無口な弟がすぐに仲良くなって一緒に遊ぶようになるとは思っていなかった。
それなら自分は別に構わなくて良いだろうとミカゲツは彼女を避けたが、そんなの関係ないとばかりに陽気に話しかけてくるものだから、いつの間にか絆されて家族と認識するようになってしまった。
家族を助けるのは、ミカゲツにとって当たり前のことだった。だから、旅の休息も最低限に抑え最短の道筋で、アルンの国に単騎で乗り込んだのだ。
そうしてミカゲツとシキは何も知らないレイシンに事態を伝え、トンタを交えて捜索、妹を発見したのである。
「アリナはどこだ!!彼女に何を…!!」
トンタとミカゲツがキリカの容体を調べる傍ら、レイシンは消沈しているエジットに食ってかかり、場合によっては抜刀も辞さぬと睨みつける。対してエジットは、怒りに燃えている彼の黒い瞳を眺めつつ、平坦な声で答えた。
「ごきげんよう、ヴァースアック殿。何も心配することはない、彼女は我が国の公爵ヘンリー・フォン・アルンの元にいる。今頃は手厚い歓迎を受けていることだろう」
「ヘンリー殿だと?何故彼がアリナを?一体何を考えているのだ」
「…あの方は、妄執に囚われているのです」
エジットは大きくため息を吐くと、殺気を撒き散らすレイシンから視線を逸らし、語り始める。
「赤い髪に緑の目。かつてこの大陸を救った女傑の容姿であったそうです。その二つが揃った娘を、あの方は嫁に迎えては捨て、妾にしては捨てているのだ。私は数年前からそれを阻むべく、その特徴を持った娘が現れたらあの方に見つかる前に手を施し帰国願っていた。だが、今回は間に合わなかった」
「な…では、まさかヘンリー殿はアリナを」
「ええ、娶るでしょう」
「そんなことは許されない!彼女はまだ十五歳だぞ!」
「そこじゃないでしょうレイシン兄さん」
ミカゲツはキリカから目を離し彼を諌める。一旦落ち着いたレイシンがキリカの様子を尋ねると、彼は力なく首を振った。
「完全に意識を失っています。呼吸はしっかりしているのですが…」
「ひとまず我が屋敷に運び、医者を呼びましょう」
「頼む。私は別行動をとる」
「レイシン兄さんはどちらに?」
冷静なミカゲツ、胡乱げな目をするトンタに背を向け、レイシンは低い声で答えた。
「アリナを取り戻しにいく。嫁に行くなど五年早い!」
十年じゃないんですね、とミカゲツは思ったが、賢明な彼は口には出さなかった。




