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36.覚醒

 男は上機嫌で話し続ける。


「とはいえだ、別に命まで奪うつもりはない。その赤髪か緑の目をなくすだけでいい。さあ選べ、髪か目か!」

「えー、髪なんてすぐ生えてきますよ。それに眉毛とか下の毛とかも全部剃るつもりですか?」

「何それ興奮する」

「お前すげえこと言うな!」

「やだー、こんな変態と同じ職場で働きたくないー!」

「ええいお前らうるさいぞ!」


 わいわいと騒ぎ立てる部下達を一喝し、男は眉間に指を当て、考えながら言葉を紡ぐ。


「ぐう、毛は確かに面倒だな…しかし目を潰すというのも…うぐぐ…」

「ちょっと悩むあたり悪になり切れてないんだよなあ」

「よし決めた!目を貰う!」

「でも決断しちゃうから結局クズなんだよね」


 男は部下の声をまるっと無視し、固まるアリナに語りかける。


「早く済まさないと伯爵のところの奴等に気付かれる。申し訳ないが手早くやらせてもらうぞ」

「あ…あたしの…目を…!?どうして!?あたしが何したって言うのよ!?」

「強いて言えばこの国に来たことかな」


 さらりと答えると、男は「おい、準備はいいか!?」と声をかけ、部下達は「うーっす」と刃物、包帯、麻酔薬を手に掲げる。

 本気だ。彼らは本気でアリナの目を抉り出す気だ。

 心の底からぞっとし、アリナは何とか逃れようと身をよじらせる。だが、きつく縛ってある縄は少女の力ではびくともしない。


「なあに、そんなに整った顔してんだから、目の一つや二つなくたってモテるさ!目が隠れた女の子とかも巷では人気らしいし」

「それは前髪で隠すなり布で覆うなりしている子のことで、決して目がない子のことを言うんじゃないと思うんですけどね」

「そういえばお前の彼女も前髪長くなってたな。流行に乗じたの?」

「いや、何かものもらいできたんだって。あっても可愛いから隠さなくていいのになあ」

「惚気かよ死ね」

「んんん直接的!だが同意!」


 何なのだ、この男達は。今から少女に消えない傷を残そうというのに、和気藹々と世間話をしている。それが逆にアリナの恐怖を煽り、甲高い悲鳴を上げさせた。


「離して!もうこの国には二度と来ない、髪だって切るから、だから」

「駄目」


 遮ったのは、静かな声だった。


「その子の髪の毛は、とても綺麗だから、駄目」


 銀髪の少女は、先刻まで頭痛で苦悶していた片鱗も見せず、無表情で言い切った。





 キリカには出生の記憶がなかった。彼女の歴史はヴァースアックに拾われるところから始まっており、記憶を取り戻す手がかりなどは一切なかった。

 ただ、出所の分からない、キリカの知らないものが、確かに存在していた。

 決意。

 妹を守らなければならないという、思い。

 しかしヴァースアックのきょうだいに妹はおらず、末っ子キリカは、いない人を守るなんて変なの、とその思いを持て余していた。

 アリナが来るまでは。

 彼女の名前を聞いて、彼女が自身の妹であると自覚した途端、今までおとなしくしていた思いはキリカの心の中心に居座るようになった。

 味方になって、守ってあげなくちゃ。わたしはお姉さんなんだから。

 そうしてキリカはアリナと生活を共にしてきた。

 おかしいと勘付いたのは、ヴァースアックの領地を離れ、頭痛に苛まれるようになってからだった。

 何故自分はこんなにも彼女を守ろうと、躍起になっているのだろう。アリナが良い子なのは間違いない。だが、それだけで、何故ここまで彼女に執着するのか?

 初めて背筋が寒くなった。しかし、もう手遅れだった。

 恐怖は、数え切れない程の声が折り重なって出来た雑音と、それらをねじ伏せる圧倒的な二つの声にかき消された。

 一つは、これまで抱いていたものが力を増した、妹を守れという懇願。

 もう一つは。


『全部が、憎い』


 憎悪だった。

 前者はともかく、後者に飲まれたら恐ろしいことになる、とキリカは直感したが、対抗する術を持っていなかった。豹変せずにいられたのは偏に彼女の意志の強さに他ならない。

 それでも、自分でない自分になるのは止められなかった。

 何とか怪しまれないでアルンの国に辿り着き、トンタに案内された屋敷の割り当てられた部屋でようやく一人になれたと思ったら、青髪のその男は急に押し入ってきた。

 そして、告げた。


「私を覚えているかな?二番」


 その単語が耳に滑り込んだ瞬間、少女の体に電流が走った。


「…マスターの、支援者」


 色を失った彼女に、男は笑い、赤髪の少女を連れ出し供の者を排除するよう、命じた。

 それからのことはよく思い出せない。ただ、逆らってはならないと骨の髄まで怯えていた。

 アリナの呼びかけで何とかキリカとしての自我を取り戻したものの、再び脳を声が満たした。


「どうしてだ。何をしたと言うのだ。罪を犯してなどいないのに。憎い、嫌だ、全て消えてしまえ」

「お姉ちゃんには幸せになってほしい。たとえ、そこにぼくがいなくても」

「嫌!やめて、置いていかないで!世界なんてどうでもいい!あの子さえいれば、あの子だけは、助けて!」

「二番、お前は僕の最高傑作だ」

「悪魔め!奪わせない、今度こそ!今度こそ、殺してやる!いけ、二番!」

「まだ幼い子供だ!親もこの子達を探してるはず!なのに、殺すなんて…!そんなの間違ってるでしょう!」

「安心してくれ。君を殺させなんて、しない。俺が、守る。…父さんを、倒してでも」

「キリカ、今日から君は、私達の妹だ」

「俺の、妹…?変な感じ…よろしく」

「よお、オレに何か用事か?…馬鹿、オレはロリコンじゃねえよ。おっぱいを愛する吟遊詩人だ!旅してねえけど!」

「キリカ!いい子だから返しなさいほら!その人形は僕とカヨウ兄さんが丹精込めて作った珠玉の逸品なんだ。変な用途に使ってなんかないですから返せ!」

「やあ、お嬢さん。私はトンタと言うんだ。君は?」


 知っている声も、あった気がする。でも、分からない。入り混じった声は、すぐに小さくなり聞こえなくなってしまう。

 もうやめてくれ。もうこれ以上、何も思い出したくない、考えたくない。

 限界だと、キリカが耳を塞ごうとした時、鮮烈な悲鳴が脳を焼いた。


「離して!…髪だって切るから、だから」


『お姉さんなんだから、この子を守ってあげてね。約束よ』


 約束した。大好きな人と、大切な約束を。

 その瞬間に、頭の中の雑音は消え去った。残るのはたった一つ。

 妹を守れ。

 怯え、怒り、戸惑い、全ての感情が飲み込まれる。否、吸い込まれる。

 感情を糧として発動する力。それを、マスターは魔力と呼んでいた。しかし魔力を操るとされているのは、おとぎ話に出てくる悪役、魔族だけ。

 ならば己は魔族なのかもしれない。だがそんなことはどうでもいいのだ。

 妹を守れれば、それだけで。

 そうして、少女は顔を上げて、有象無象の輩に言い放った。


「その子を、解放して」

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