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35.想定外と計画通り

 理解が追いつかず、アリナはされるがまま、倒れるシキから引き離された。


「捕らえろ」


 後ろから低音がした。と思ったらどこからか現れた大男に羽交い締めにされる。


「な、何なの、どういうこと!?キリカ!どうしたの!?」


 少女は叫びにびくりと体を震わせ後退し、俯く。その頭にほっそりとした手が置かれ、ポンと軽く叩かれる。


「よくやったと褒めてやろう。これで血筋は我らのものだ」

「…わ、わたしは…」

「案ずるな。お前の主人もこれで浮かばれただろう」


 縮こまるキリカと会話するのは、優雅な男だ。鮮やかな青い髪に、柔らかい黄色の目を持ち、年齢は三十程度だろうか。貴族然とした立ち振る舞いが染み付いているのが分かる。


「あなた、誰?キリカを脅したのは、あなた!?」

「おや、随分とこれを信用していると見える。人形が人間を騙すとは、面白いな」


 人形?誰が。一体この男は何を言っている?


「ねえ、キリカ!どうしたの!?何があったの、教えて!この男は誰、何で従ってるの!?」


 そう問いかけると、キリカは表情を歪め、


「…だ、だって、そう言われたから…この人には援助を受けていて、反抗的な態度を取らないようにって、マスターが…マスター?」


 大きな青の瞳が、激しい波に揺らぐ。


「ち、ちがう、違う!知らない!わたしはそんな人知らない、そんな記憶ない!だってわたしは、川に流されて、拾われて、みんなと家族になって、お兄ちゃんがいて、トンタさんと出会って、それで…あ」


 頭を抱えて呻いていた少女は、はっと顔を上げる。青と緑の視線が絡み合い、光を取り戻したキリカは大声を出した。


「アリナ!やめて!アリナに酷いことしないで、離れて!アリナを傷付けたら許さないんだよ!わたしだけじゃなくて、カヨウお兄ちゃんにボッコボコにされるんだよ!」


 もがくアリナを難なく抱える大男に、小柄な体で立ち向かおうとするキリカを、青髪の男は肩を掴んで引き止めた。


「まだ不安定なようだな。魔石の影響か、悪魔の残響か…どちらにせよ逃すのは惜しい」

「何言ってるか分かんないけど離すんだよ!わたしに触っていいのは家族とトンタさんだけなんだよ!」

「では良いだろう。私はトンタの兄だからな」

「え」


 その言葉に少女二人の動きが止まった。


「ト、トンタさんのお兄ちゃん!?伯爵さん!?」

「あなたが姉さんを買って逃げられたからあたしに会いたいっていう変態なの!?」

「…まあ概ねそうだな。だが、一つ間違いがある。私は変態じゃない」


 訂正するのはそこでいいのか、と倒れ伏すシキはつっこんだ。


「私が興味を持っているのはその血だ。お前の姉を買ったのもそのため。それと、その外見があれば彼奴を王の座から引きずりおろすことができる」

「この国に王様はいないんじゃないの!?」

「ものの例えだ」


 キリカも聞くのはそこではないだろう、とシキは間髪を入れず思った。


「あたしの血が何だって言うの」


 叫びながら、アリナは何かが引っかかっていた。何か、前にも何か、似たようなことを言われた気がする。


「…そうだな、では交換条件にしよう。それを教えて欲しければ、私に従え」

「嫌!」


 キリカを脅し、シキを襲わせ、自分を強引に手中に収めようとするような男になど、従うものか。

 即答した少女に「そうか」とあっさり頷いた男は、大男に命じてアリナを解放し、キリカから手を離した。


「さあ、自由になったお前達はどこへ行く?誰に助けを乞う?」


 二人の少女は、手を取り合い無事を確認すると、心配そうにシキを見てからレイシンに助けを求めるため走り出す。

 そして二人の姿が消えた途端、シキは素早く身を起こすと男に飛びかかった。

 しかし、大男に阻まれる。一旦距離を取り、彼は剣先を敵に向けた。


「もっと早く加勢してやれば良かったのではないのかな」

「命令は、二人を守ること。それは体だけじゃない、心もだ。あんたらを切り刻む様子を見せる訳にゃあいかないでしょ」


 キリカからの一撃は相当重かった。腹を抉る打撃は確かに応えたし、こんな力があったのかと驚かされたし、体勢を崩された。だが、そんなものは短時間じっとしていれば治るのだ。


「言っとくけど、先に手え出したのはあんたらだ。ヴァースアックは、手を出した奴を許さない。今日からあんたらは俺達の敵だ。もう二度と、ヴァースアックに友好的に接してもらえると思わないでいただきましょうか」

「あの人形がトンタに惚れていても?」

「あんたとトンタさんは違う人間だろ」

「トンタは私の言いなりだが?」

「本当にそうなら、屋敷についた時点で俺達を捕まえてると思いません?」

「成程、そうだな。あれは出来が悪いからな」


 シキは黒い目を細め、跳躍し、黒い髪を躍らせた。


「人のことをあれだのこれだの言う奴の方がみっともないと思うけどな!」

「少なくとも剣を振るしか能のない者には劣っていない」


 大男を追い詰めていくシキに男は笑みを浮かべ、二人が逃走した方向を見やった。

 彼女らは気づいていない。この国のどこにも逃げ場などない。彼女らが唯一頼っているトンタも、男の監視下にある。そもそもあの屋敷は男のものである。


「騎士の元にたどり着くまでに、無事でいられるかな?…ん?」


 急に鳴り止んだ剣の音に、不審がりながら視線を戻すと、大男が倒れ伏していた。


「おい、嘘だろう」


 これは男の所持する中でも格別に戦闘力の高い奴隷だ。たとえヴァースアックと言えども、倒すには時間がかかるはず。そう考えて外に出したのに、この様は何だというのだ。


「ずいぶん驚いてるけど、そんな不思議なことじゃないでしょ。こいつはお前の奴隷になっても、生き恥を曝しても、命を捨てなかった。そんな風に、死にたくないと願う人間はヴァースアックには勝てない」

「馬鹿な」

「慢心は身を滅ぼすから気を付けな。つっても、今死ぬんだけどな」


 返り血を浴びた青年が、陽に背を向けて歩み寄ってくる。表情は逆光で影に覆われ読み取れない。


「あんた、俺達を舐めてたんだろ」


 まさか、ここまでとは。

 振り上げられた刃が夕闇の中で一際輝くのを、男は瞬きもせず目に写した。





「大丈夫!?キリカ、頑張って!もうちょっとで着くから!」

「だ、い、じょーぶ…!こんなの、なんてことないから…!」


 アリナは泣きそうになりながらも、耐える。キリカが酷い頭痛に苦しめられているので、肩を貸して走っているのだ。聞けば馬車旅の時からちょっとだけあったと言う。どうして頼ってくれなかったのかと思うが、それを問いただしている場合ではない。

 一刻も早くレイシンに話して、シキを救出し、この国を出る。ミサの真実や、自分の正体を見つけることは出来なかったが、あんな男のいる国に長居などしたくない。


「お二方!」


 声に首を正面に向けると、トンタの屋敷の使用人服を着た男達がぞろぞろと道を塞いでいた。


「ああ、良かった!帰りが遅いので心配しました!そちらのお嬢さん、どうされました?具合が悪いのですか?」

「頭痛が酷いらしいんです、介抱をお願いします!あと、レイシンさんを呼んできてくれませんか!?」


 キリカを二人が受け取り、それ以外はアリナの頼みに顔を見合わせる。


「レイシンさんだってさ」

「確かヴァースアックの当主の弟だろ?」

「うわ、俺達生きて帰れるかな…」

「バッカお前バッカ、仕方ねえだろ!?あの人は自分の保身しか興味ないって最初から分かってんだろ、その上で働いてんだろ!」

「好きで部下になった訳じゃねえよお…ほんとはヘンリー様のお抱えになりたかったんだよお…」

「「分かるー!」」


 何を呑気に会話しているのか。余裕のないアリナが声を上げようとした時、彼らはぴたりと口を閉じ、一斉に彼女に襲いかかって、彼女の体を縄で拘束した。

 あっという間の出来事に、反応が遅れ、アリナは呆気なく身動きを封じられた。彼らは言葉も出ないアリナを担ぎ、弱々しいキリカを両側から挟んで、近くの家へと連行する。


「よおおくやった!これで証拠は隠滅だ!それとさっき愚痴こぼしてたお前ら、給料下げるからな!」

「「そんなー!」」

「ヘっヘっヘ、悪いなお嬢ちゃん。私の地位を維持するために消えてくれ!」


 男達の悲鳴に耳を貸さず、ずいっと出てきた貴族服を着た赤茶色の長髪男は、人の悪い笑みを浮かべた。

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