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30.狂言

 二の句が継げなかった。

 一体この青年は何を言っているのかと、脳が理解を拒否した。

 彼の表情を伺ってみると、いつもと同じ、柔らかな笑顔を浮かべていたため、やはり何かの聞き間違いだと安心する。しかし念のために尋ねてみることにした。


「あたしの姉が、何ですって?」


 青年は笑みを保ったまま、繰り返した。


「貴女の姉は、さっきの僕達の演技と同じことをしたんですよ、アリナさん。貴女の姉がカイロウ兄さんと結婚したというのは、覚えていますね?兄さんと結婚した直後に、貴女の姉は、不貞を働いたんです」


 まるで、幼子に言い聞かせるような口ぶりだった。


「...質の悪い冗談は、やめてください」

「どうして決め付けるんです?」

「どうしてって...!」


 アリナは細い眉をつり上げ、語気を強める。自然に声量が上がっていく。

 アリナにとってミサは、たった一人の姉だ。

 ミサは、少しばかり抜けているところがあるし、年上とは思えないような言動をすることもあり、自分がしっかりしなければ、と思わせられたこともある。けれど彼女は誰にでも優しいし、誰かを傷付けるような行動は決してとらない。彼女がいる場所は不思議と雰囲気が明るくなり、皆が笑顔になる。アリナはそんな姉を愛している。

 ミサは、大切な家族なのだ。

 彼女を貶めるミカゲツを、無視する訳にはいかない。


「ミサ姉さんは、そんなことする人じゃないって、あたしは知ってるからですよ...!」

「僕はね、期待、していたんですよ、アリナさん。貴女にね」


 だがミカゲツはアリナの言葉を受け入れない。目を伏せて、いかにも悲しそうに首を振った。


「貴女は、血なんか関係ないって、証明してくれると思ったんです。貴女の姉と、貴女は違う。貴女はまともな人だって、僕はそう信じていた。信じたかった...けれど、裏切られた。貴女もあの女と同類だった。...非常に残念です」

「な...何を言ってるんですか?」


 本当に、分からない。ミカゲツは何を言い出しているのだろうか。

 怒りよりも当惑が勝っているアリナをミカゲツはちらりと見る。その視線に宿る感情は何なのか、彼女には分からない。


「...あの女は、表向きは完璧だった。いつでも笑っていて誰に対しても明るく接して、皆に好かれるのに時間は要らなかった」


 唐突に声色が変わった。それまでの芝居がかった高い声が、まるで独白をしているようかのような低いものになり、青年は俯く。


「僕だって嫌いじゃなかった。兄さんと結婚すると聞いた時、とても嬉しかった。あの人が側にいるなら、兄さんはもう大丈夫だって...もう、一人で抱え込むこともないって、安堵していた。これで僕に心残りはないと喜んでさえいた。...なのに、あの女は、僕の期待も兄さんの気持ちも、全部裏切って逃げ出したんだ!」

「何だか知りませんけど...!勝手に期待して勝手に裏切られたって騒いでいるだけなんじゃないんですか...!あなたが姉さんの何を知ってるんですか!」


 アリナの記憶にあるミサと、目の前にいるミカゲツ。どちらを信じるかなど、明白だ。

 アリナは、宝石のような緑の瞳で、ミカゲツをねめつける。

 するとミカゲツは再び表情を変えた。


「...ああ、何という、酷い話でしょうね。兄さんはあの女の本性を見抜けなかったんです。あの女に騙され、結婚までしてしまった。あの女はアルンの国から逃亡してきた奴隷で、信用のおける者じゃなかったのに。アルンに赴いた我が家の使用人をたぶらかして見事に脱出し、この地にやって来た。演技に長けた女はまんまと周囲の信用を勝ち取り、兄さんに媚びへつらって、結婚した。そしてある夜...僕に、言った」

「...ミカゲツ、さんに?」

「私を抱いて、と」


 言葉を失った。


「何故、そんなことを!?...カイロウさんはいい人。でも、優しすぎて、つまらない。...馬鹿な!そんな理由で、貴女は何をしようとしているんだ!...ごめんなさい、どうしても、私は、あの人を、愛せないわ。私とあの人じゃ、釣り合わないって思わないかしら?...」


 その時のミカゲツとミサの会話だろうか。そこで切り、ミカゲツは天を仰いだ後、静かに笑い始めた。

 明らかに嘲るような笑い声だが、たとえ彼の語るものが嘘だとしても、衝撃が大きいアリナにはそれを止めさせる余裕はない。何故なら、もしそれが嘘だった場合、ミカゲツはアリナを傷付けるのが目的でこんな話をしている筈だ。そこまで彼に、自分が忌み嫌われているとは思っていなかったのだ。

 やがてミカゲツはアリナに歪んだ笑みを見せた。


「ふざけるなよ」


 答えられない。何を言えばいいのか分からない。


「...僕がカイロウ兄さんに告げ口した時には、あの女はたぶらかした使用人と共に姿を消していました。兄さんとの結婚を白紙に戻すという置き手紙を残して、あの女は...貴女の姉は、逃げたんですよ。そしてアリナ、貴女は姉と同じ人間だった。まだ互いのこともよく知らない内にカヨウ兄さんと寝たんですからね!」

「...はい!?」


 何か急に物凄いのが出てきた。

 アリナは唖然と青年を見つめるしかない。


「さっきも言ったけど、期待してたんだ!僕は!貴女に!でも駄目だった!貴女はあの女と同じ人種だ!もうやってられるか!何で屑兄貴と女の子がイチャコラするのを側で見てなきゃならないんだ!あんな奴のどこがいいんだ、姉妹揃って見る目無しか!表面取り繕うとしてももっとマシな奴いるだろうが!」

「ちょっミカゲツさん...!?」


 何を言っているのかよく分からなくなってきている。

 ミカゲツは肩を上下させて息を整えると、「つまりそういうことです」と言った。何がそういうことなのか。


「そういうことで...僕は貴女が嫌いです。アリナさん」


 あまりに直球な告白に反応が遅れる。何も言わないアリナを見てミカゲツは「...まあ嫌いな人に嫌われても別に構いませんよね」と呟くと、


「じゃあ、そういうことで...これからよろしくお願いします」


 再び柔らかく笑い、軽く礼をして居間を出ていく。


「あ、そうだ。...貴女の姉がしたことは、カヨウ兄さんも知って、体験していますよ。知った上で貴女に近付いているんですから。...意味、分かりますよね?」


 振り返ることさえせずに言い残したそれは、アリナの胸を鋭く刺した。



 もし、今までミカゲツが捲し立てた事柄が真実ならば。

 カヨウがミサのしたことを知っていて、アリナに良くしていたならば。

 それはつまり、原点回帰だ。彼と会って初めに疑った、体目的ってやつだ。不純だ!

 いやいや、それは置いておこう。まず考えるべきは、ミサのことだ。

 彼女が売られて奴隷になったのは、アリナも知っている。故にカヨウと初めて会った時、この人がミサを買ったのかもしれないと思ってついていったのだから。そして、彼女がどこかの国から逃げていた際にヴァースアックの使用人と出会い、助けられ、この地に住むことになったのも聞いた。そこでカイロウに見初められ、結婚したが、一週間程で彼と別れ、自身を救ってくれた使用人と共に、今は別の土地で暮らしている、というのがキリカとカヨウから得た情報だった筈だ。

 ミカゲツが言ったのはこうだ。

 アルンの国で奴隷だった信用のおけない怪しい女ミサは、偶然やって来たヴァースアックの使用人をたぶらかし、ヴァースアックの領地へと逃亡してきた。彼女は人当たりの良い演技をし、周囲とカイロウを騙し、やすやすと彼と結婚した。だが彼女は彼をつまらないと感じ、ミカゲツ(とカヨウ?)に手を出そうとした。だがミカゲツはカイロウに告げ口しようとし、それを察したのかミサは、離婚すると手紙を残して、使用人と姿をくらましてしまった。


(ないわね)


 ばっさりとアリナはミカゲツの言い分を切り捨てる。あの天然な姉が人を騙す演技なんか出来る訳ない。

 よって彼の話は偽りだ。カヨウがミサと関係を持ち、アリナにもその目的で近付いたというのもアリナを惑わす為のでたらめだろう。よく考えれば分かることだった。

 ミサがこの土地を出たのは、おそらくカイロウと顔を合わせるのが気まずかったからだろうか。そもそも離婚の原因は本当に方向性の違いなどというものだったのか。

 疑問は尽きないが、カイロウはミサについて詮索されることを嫌がっていた。細かい事情を知っているであろうレイシンも、質問しにくい。

 考えても分からない。だから、考えないことにした。

 ミカゲツはアリナを嫌いだと言った。嫌いだからあんな嘘を吐いて傷付けようとした。なので、あまり関わらないようにすればいいだろう。

 思考をまとめたアリナは、キリカとカヨウの元へ向かった。

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