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29.取らぬ狸の皮算用

「ひどいわ!あなたがそんな人だなんて思いもしなかった!絶交よ!もう顔も見たくない!」

「それはこっちの台詞だ!裏切り者め、二度と姿を現すな!」


 昼頃の居間で、甲高い女の声と、憎悪にまみれた男の声が聞こえてくる。

 皆の看病によって無事風邪から回復したアリナは食堂に向かう途中、何事かと驚き顔を覗かせた。

 そこにいたのは、何故か感心したように様子を眺めているカヨウと、


「裏切り者ですって?よくもそんなことが言えたものね!あなたがわたし達の研究成果を盗んだこと、皆にばらしてもいいのかしら!?」


 邪悪にせせら笑う銀髪の美少女と、


「はっ、それを知られたら困るのは君だろう!?何たって君が僕を唆したんだからなぁ!?痴情のもつれだか何だか知らないが、君はトラブルを起こして研究グループを解散させたかったんだろ?それを吹聴したらどうなることやら!?」


 凶悪に嘲笑う黒髪の美青年。つまり、キリカとミカゲツの二人が言い争っていたのだった。


「い、一体何が...?」

「お、アリナか。すげえだろあいつらの演技。たまにやってんだよ小芝居」

「あ...ああ、何だ。お芝居だったのね」

「むしろ芝居じゃなかったらびっくりするだろ」


 からからとカヨウは笑うが、二人の演技は真に迫っており、もしいつもの口調だったら喧嘩だと信じていたかもしれない。最早喧嘩などという代物ではないのだが。


「何よ!仕方ないことだったのよ!あんな奴等と一緒になんていられないわ!一人の女を取り合って水面下で醜い争いを繰り広げていただけじゃなく、あなたのことをバカにして笑っているあいつらに報いを...」


 そこではっと少女は口を閉ざした。青年は信じられないように首を振り、少女の元へ駆け寄る。

 アリナとカヨウは突然の流れの変化に固まるしかない。


「...僕のため、だったのか?彼らを、陥れたのは」

「そ...そんな訳ないでしょう!?どうしてわたしがあなたなんかのために動くのよ!あなたみたいな根暗で無口で、何を考えているか分からないような不気味な男に!どうしてわたしが...!」

「...僕は、あんな依頼を容易く受けたりしない。君だから、受けたんだ。君の頼みを、叶えたかったから。...それが、いけないことだと分かっていても」

「...ジョーンズ...」

「マリア...」


 二人は熱っぽく見つめ合う。やがてその距離が縮まり、そして―――


「はーいありがとうございましたー」


 間の抜けた声と共に、ミカゲツは軽く頭を下げ、キリカの肩を叩いた。

 キリカは幾らか瞬きをした後、「アリナー!」と飛び付いてくる。


「あはは、どーだった!?何か恥ずかしいなー!」

「すごかったわ...全然、キリカだと思えなかった」

「いやマジでオレら劇団とかやれんだろ」

「俺ら...?カヨウ兄さんって演技出来ましたっけ」

「ばっかちげえよ」


 カヨウはミカゲツに向き直ると、得意気に話し出す。


「ミカゲツとキリカが主演だろ?脇役は領地の奴等で、オレは要所要所で歌を歌う。レイシン兄さんは会計で、カイロウ兄さんが主。で、アリナは客寄せな」

「成程...意外としっくりきますね」

「俺はあああああ!!」


 ふむふむと頷いたミカゲツの色好い返事を遮るように、通りがかって会話を聞いたらしいヒソラが居間に飛び込んできた。

 大きく息を吸い改めて叫ぶ。


「俺は!?仲間はずれはよくないと思うなカヨウ兄さん!俺のこと忘れてんじゃねえっての!」

「あー、お前はほら、雑用っていう大事な仕事があるから」

「何で他の人達が脇役もらってんのに俺が雑用なんだよ!」


 食って掛かるヒソラにカヨウはばっさりと答える。


「だってお前、演技上手くねえじゃん?」

「はああああ!?この前街でカヨウ兄さんが騒音で訴えられそうになった時俺が演技して助けたのもう忘れたの!?」

「いや、あざといんだよお前のは。他人に媚びてんじゃねえか」

「俺だって普通の演技くらい出来るよ!」

「じゃあやってみろよ。おいミカゲツキリカ、ヒソラ交えてもう一個やってくれ」


 いきなりの発言に驚くヒソラとアリナを尻目に、ミカゲツは表情を消して同じく無表情のキリカに詰め寄った。


「...お前、自分が何をしたのか分かっているだろうな?」

「...さあ...何のことでしょうか?」

「えっ!?これもう始まってんの!?」


 狼狽えるヒソラに、二人は目もくれない。


「結婚して幾ばくもない内に不倫とは、いい度胸をしている。しかも相手が私の身内とはな?常に笑って明るく振る舞うお前は偽物だったと言うことか。よくも私に、この家の主人であるカイ・ヴァーに、恥をかかせてくれたな」

「見に覚えがないと、言っているのです」

「ねえちょっと待って!何でそんなドロドロした設定なの!?折角やるんだったら俺もっと爽やかな芝居やりたいんだけど!ていうか何で事前に打ち合わせとかなしで噛み合ってんの!?」

「うるせえぞヒソラ、文句言ってねえで役をやれ!演技してみせるんだろ?」

「うぐっ...」


 ヒソラは露骨に嫌そうに顔をしかめると、意を決したように二人の間に割り込んだ。


「まあ待てやい若いお二人さん。新婚夫婦でそんな言い合うもんじゃねえぜ?」


 年上らしき役を始めたヒソラだったが、青年はじろりと彼を睨み付けた。


「黙っていろ。これは私とミイの問題だ」

「あら...そんなことを言っていいのですか?」

「...どういう意味だ」


 地を這う低音で、今度は少女に目を剥く。


「その方はこの箱庭世界を支配する...人間を超越し神となった、魔王様であらせられるのですよ?」

「どんな世界観なのよ!?」


 思わずといった様子でアリナが口を出した。

 突然出てきた情報にヒソラが凍り付く一方で、ミカゲツはよろよろと後退り戦く。


「ま、まさか...何故こんなところにこの方が!?馬鹿な!...いや、待て。ミイ、お前は、お前は...っ」

「ええ、そうです。本当のわたくしは、魔王様の実の娘...ミシェル・アッカー」

「うわあああっ、お許しを、お許しをー!......終わり」


 最後にミカゲツが五体投地をし、芝居は終わった。


「...これで分かっただろ?ヒソラ、お前が芝居下手だって」

「理不尽過ぎるだろ!?」


 しみじみと告げられたヒソラは「もうカヨウ兄さんなんか知るかあああ!だいっきらいだ!」と喚きながら部屋を飛び出していき、「いやオレに当たるのはおかしくね!?」とカヨウ、「ごめんヒソラお兄ちゃん!ちょっとノリ間違えちゃった!」とキリカに後を追われていった。

 残ったのは、それらを見送ったアリナと、立ち上がったミカゲツ。


「...ふう、ちょっとやり過ぎましたね。何分キリカの乗りが良いものですから」

「純粋にすごかったです。打ち合わせ無しであんなのが出来るなんて...」

「まあ後半は滅茶苦茶でしたが...どうですか、アリナさん。今の、話の感想は。後半は無視して」

「ええっと、何だか不穏でしたよね。不倫がどうとか...」

「ええ、そうです」


 ミカゲツはにこやかに肯定し、


「全て貴女の姉がしたことですよ、アリナさん」


 そう、付け加えた。

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