20.迷惑な男
用事があるため留守番している筈のキリカが、遠くに見えた。
アリナは少しばかり呆けた後、まだ「ヴァースアックってのは基本的に他力本願なんじゃねえかとオレは思う、いや信じてる」などと戯けているカヨウの腕を勢いよく引っ張った。
「ぅおっ!?アリナ、どした?」
「キリカが...キリカが、いたの」
「...あー、あーうん。アリナがキリカ大好きなのはオレも知ってる。だからさ、それはきっと好き過ぎる余り生まれてしまった幻覚だと...」
「そんなんじゃなくて、本当に!」
カヨウを引きずりながら、キリカの影を追いかける。
カヨウは「マジで?」と困惑しつつも、ようやく自分の足で走り始めた。
「キリカがここにいるってんなら、合流しないとな。仲間はずれが嫌で用事をほっぽってオレ達を探しに来たのでも、何か別の事情があるのでも、どっちにしろ、あいつが一人で出歩くのはあんまよろしくない」
「...良く、ないの?」
「んー...あいつ、外見は可愛いのにガキだからな。誘拐されたなんてことになったら困る」
「誘拐!?」
物騒な単語にぎょっとし、慌ててアリナは足を速めた。
「...うわ、マジじゃねえか...」
しばらく走って、やっとカヨウも遠方に銀色の髪の少女を視界に収めたらしい。
だが人通りの多い道では、キリカの姿を確保しつつ辿り着くことが難しい。今にも背の低い彼女は人波に埋もれてしまいそうだ。
「アリナ!ちょっとうるさいから気を付けろ!」
「え?何を」
ごった返す街路で、カヨウは思いっきり息を吸い込み、
「キイイィリイイイカアアアァァァァ!!!」
叫んだ。
アリナの耳が、一瞬機能を停止した。
ざわざわと人が会話する声、笑い声、客を呼び込む店員の張り上げた声、行き交う音、その全てをカヨウはこれでもかと蹂躙したのだ。
アリナと同じく彼の近くに居合わせてしまった人々は、各々耳を庇いながら呻いている。
そこそこ距離があった人々も、何事かと口を開け己達の行動を遮った犯人を探している。
「...マジ、かよ。これで反応なしとか...キリカ!お前ついに反抗期っ」
「おいてめえ!!何のつもりなんだよ、ええ!?こちとら耳が死ぬかと思ったぞ、おい!!」
「騒音被害として訴えるぞ馬鹿野郎!!」
「営業妨害!営業妨害でやんす!」
青くなったカヨウを犯人と見定めた人々は次々に食って掛かる。
カヨウはあっという間に人の波に飲み込まれ、その隣でぐったりしていたアリナもなす術もなく巻き込まれていった。
「...何か今、嫌な声聞こえたんだけど...カヨウ兄さんに何かあったのかな?」
「さあ...カヨウ兄さんなら別に大丈夫だと思いますけど」
一方、ナンパ勝負を26対7でミカゲツに負けたヒソラは、木霊してきた兄の声に不安を抱いていた。
「でもだってカヨウ兄さんのあんな馬鹿でかい声久しぶりだし...何か、助けを求めてるとか、もしくは痴漢で捕まったとか...」
「ああ、後者は有り得ますね」
「...俺、ちょっと探してくる!」
風のように駆け抜けていく弟を「優しい子ですねえ」とにこにこしながら見送った後、ミカゲツはふと遠い目をする。
「...ああ、成程。そういうことか」
出発前のキリカのそわそわ具合、傍目からは同じでもどこか緊張しているのが分かったカイロウ、いつも通りのレイシン、カヨウの叫び声...。
「キリカも災難ですね」
まさかキリカも兄達と同じ場所に来ることになるとは思っていなかっただろう。
そして彼も、まさかここにキリカの兄達がいるとは思うまい。でなければ絶対に、ここにキリカを連れてなど来ないだろう。
「...ちょっと覗いてきますか」
ミカゲツは確かな足取りで、どこかへと歩き始めた。
「...な、何か変な声が...何だったんだ今の...」
何故か狼狽えたように、男は辺りを見回した。
小太りの男だ。三十後半、いや四十代にも見える。つやつや...否、てかてかした肌。前髪は後退する兆しが見て取れ、色はくすんだ淡い青。色褪せた黄色の細い目はズル賢さを表しているかのようだ。
「なあ、キリカ?」
「...え?あ、ごめんなさい!ちょっと聞いてなかった」
「お前あの咆哮を聞き逃すなんて度胸あるなぁ...」
そして、何故かその男の隣には、どこかぼんやりとしたキリカがいた。




