10.触れてはならないもの
アリナがヴァースアック一族の領地に来て三日目の朝。
身嗜みを整え、部屋を出たその先にいたのは、黒い眼鏡すなわちサングラスをかけ、怪しい雰囲気の黒服を纏った青年と、それと同じ格好の少女...まあつまり変装したカヨウとキリカだった。
「な、何やってるのキリカ、カヨウさんも?」
「ふっ...よく知っているな、そう、オレの名はカヨウ!さんはいらん!ヴァースアック初代、剣王の直系の子孫にして現当主の弟だっ!!」
「違うとこはあるけど、同じく、キリカ!」
ばばーん!と効果音が付きそうな鷹のポーズを決める二人に、アリナは困惑する。
「はあ...じゃあ、何のつもりなのキリカ、カヨウ?」
「いやー、アリナに名前覚えてもらおうと思ってよ。覚えたか?オレはカヨウ、こっちはキリカだぞ」
「もう覚えてるわよ」
「よし、じゃあ第二段階!現当主の名前は?ヒントはカで始まりウで終わる!あ、カヨウじゃねえぞ」
「え、カイロウさん?」
「ぴんぽーん!!じゃあねじゃあね...第三段階!カイロウお兄ちゃんのすぐ下の弟の名前はー?」
「え、えっと...」
アリナは必死で記憶を探る。
己を助けてくれたカヨウ、唯一己と同じ存在であり一番に親しみを覚えたキリカ、色々と印象が強いカイロウ、ヴァースアックの者らしくない、紅茶をいれるのが上手いスイ。この辺りはアリナとて覚えている。
だが、一気に七人の名前を一日、しかもすぐに逃げようと思っていた状態で、正確に覚えられる頭をアリナは持っていない。
「...あ!レ、レイシンさん!」
「おっ正解!んじゃ次。脚が好きな小さなイケメンは?」
「な、何よそれ?」
「どぅるるるるるるるる...さん、にー、いち...はいっ、答えは?」
「...ミ、ミ...ミソラ...?」
「残念!正解はヒソラだ!ヒソラとミカゲツがごっちゃになっちまったんだな」
「うっ...ごめんなさい...」
しゅんとなるアリナの頭を、カヨウはぐしゃぐしゃに撫でる。
「ちょっ、やめ...」
「気にすんなって!オレとミカゲツとヒソラなんて引っかけてきた女の子の名前いちいち覚えてねえしな!」
「うわっ、お兄ちゃん達ゲスだね!」
「うるせえ!とゆー訳で、アリナ!今日は主にミカゲツとヒソラに絡みにいくぞ!」
「あっ、ちょっと待って、カヨウ」
「ん?どした?」
髪の毛を直しつつ、アリナは尋ねる。
「スイって、いつも中庭にいるの?」
「んぁ?誰だって?」
「スイよ、スイ。きょうだいでしょう?カヨウとカイロウさんに似ていたもの」
「えっ。いや、そんな奴、いねえぞ。使用人にもそんな名前の奴いねえし...えっ、まさかお化...うわ、止めろよそういうの!怖えよ!」
「なっ、何ですって?でも、あたしは確かに...」
「うーん...夢でも見たんじゃないかなあ?わたしもスイっていう人は知らないよ」
「...そんな...」
アリナの体に震えが走る。まさか本当に、カヨウの言う通り、この世に存在しない者と出会ってしまったのだろうか...。
いやそんな筈はない。確かに己はスイと現実で会った...などと考えていると。
「ま、取りあえずそいつのことは置いといて、ミカゲツとヒソラに絡もうや!」
カヨウの一声で、アリナは思考を中断し、キリカと共にまずはミカゲツの元へ向かった。
「...成程、事情は分かりました。アリナさん」
「はっ、はい」
「改めまして、僕はミカゲツです。そう焦ることもないとは思いますが...やっぱり、覚えるのは早い方がいいのかもしれませんね。よろしくお願いします」
「は、はい、こちらこそ、よろしく...」
アリナ達はわざわざミカゲツの部屋を訪ねていた。
ミカゲツのあまりのイケメンオーラに、流石にアリナはあたふたしている。
そしてそれをどんよりと見つめる青年が一人。
「なあ、キリカ...オレとミカゲツの違いって、何なんだろうな...」
「んーと、顔だよ、あとは態度?」
「お前ってばっさり言ってくれるよなあ...くそ、あのイケメンめ...!」
憎々しげにミカゲツを睨むカヨウ。キリカは平然と、あわあわするアリナと優しく微笑むミカゲツを傍観している。
「ミカゲツ兄さん、この本返しに...うわっ」
がちゃりとドアが開き、ヒソラが顔を覗かせたが、アリナ達を目撃しびくっとしたせいで、隠すように持っていた本を落としてしまった。
「あ、ヒソラお兄ちゃん、本落としたよ」
「わあっ馬鹿っ!何でカヨウ兄さんじゃなくてお前が拾うんだよ!」
「えっ何でわたしじゃ駄目な...」
キリカは拾った本に目線を落とす。
「...うわっ...」
そこには、いかがわしい格好の美女と、「調教日誌」というタイトルがでかでかと描かれていた。
「ヒソラお兄ちゃん...朝から止めてよ...」
「う、ううううるさいな!って、何であんたもいるんだよ!?」
呆然とするアリナに気付き叫ぶヒソラ。しかしそんな少年に声をかける者がいた。
「ヒソラ。あとで覚悟しておいてください」
「うわあああ違う、俺は悪くないいいいい!!」
ミカゲツはにっこりと笑い、ヒソラは逃げ出した。
ついでにミカゲツの怒りに恐れをなしたアリナ達も、その場をこそこそと離脱した。




