彼女の過去
1人になると、途端に色々なことを考えてしまう。
転校生の十和瀬が、僕が好きな声優の蒼坂梨音と知り合いだったこと。本当の蒼坂さんが、演じている役とは違い内気で大人しく、むしろ気弱だったこと。まぁ、これに関しては、蒼坂さんだけってわけじゃなかったけど。
そしてなにより、十和瀬が昔声優をしていて、僕がアニメにハマったきっかけである【緋い雨――スカーレット・レイン】に出演していたなんて。それも、当時絶賛された演技のリンファ役で。
「よ。……遅かったね?」
考え事をしていると、どうしてこんなに目的地まで早く感じるのか。
数時間前にプレイした着せ替えダンスゲームの近くにあった長椅子に座り、携帯に視線を落としていた十和瀬は、僕が近寄ると顔を上げ、恥ずかしそうにはにかんだ。
なにから切り出していいか分からず、僕は当たり障りのない話から入る。
「こんな時間に女の子1人でゲーセンは危ないよ?」
「こんな時間って、まだ7時半じゃん」
待ち合わせの時間は4時だった。どうやら、3時間以上も蒼坂さんと一緒にいたようだ。あまりにも唐突な事態が多過ぎて、とてもそれだけの時間が経過していたとは思えない。
「……がっかりした?」
不意に、口を開く十和瀬。
「え、なにに?」
「あの子のこと」
あの子、というのが、蒼坂梨音――いや、蒼坂さんのことを指しているのは明白だろう。
「……そんなことないよ」
半分嘘で、半分本当だ。
都合のいい話かもしれないけど、僕は蒼坂梨音という声優に偶像めいた考えを持っていたのかもしれない。いつも明るく、僕を笑顔にさせてくれる。ぶっ飛んだ言い方をするなら、まさに女神みたいだ。もちろん、それは僕だけに対してではなく、彼女のファン全てに言えることだ。
でも、そんな彼女もやっぱり人間で、自分の悪口とか酷評とか、そういう発言には当然傷付くわけで。
「ならいいんだけど。ま、心配しなくてもいいわよ。今に始まったことじゃないんだし、曲がりなりにもあの子もプロだし。……私みたいになり損ないと違って」
「え?」
「……どうせ、梨音から聞いたんでしょ?」
はは、お見通し、か。
「うん……」
「……あっそ」
動揺するかと思ったけれど、彼女はなにも言わなかった。
しばらくの沈黙が、僕らの間に訪れる。
「帰ろっか!」
それを破ったのは、十和瀬の方だった。
振り子のようにぶらつかせていた足が、頂点にきたところで勢いに乗ってぴょんと飛んで着地する。
「……うん」
体の後ろで手を組み、僕の半歩先を歩いていく十和瀬。
建物を出ると、いつしか日がすっかりと落ちていた。ちょっと前まで、7時を過ぎても明るかったというのに。月日が経つのは早いものだ。
「あーあ、遂にバレちゃったか……」
「バレたもなにも、最初から特に隠すつもりもなかったじゃないか」
依然として前を歩きながら、嘆くように呟いた全く動じていない素振りに、僕の方が呆れてしまう。
「ま、そうなんだけどさ……」
振り返った顔には、イタズラっ子の笑みがあった。
しかし、少しして、なにか不満でもあるのか、頬を膨らませ、すすすっと距離を詰めては僕の隣に並ぶ。
「な、なに?」
「……ねぇ、なにか聞きたいこととかないの?」
聞きたいこと?
「た、例えば?」
「『十和瀬と梨音ちゃんって、具体的にはどんな関係なの』とか『どうして今は普通の高校生してるの』とか……あとは、んー、『十和瀬のスリーサイズは』とか?」
「す、すり……!」
絶句した。
「だから例えばよ、例えば。大体、そんなものあんたに教えるわけないでしょ?」
た、例えがひどすぎやしないか。
「あんたって単純」
赤面した僕を見て、くすくすと笑う声が少しばかり悲しく聞こえた。秋の夜は、どうにも人を寂しくさせる。これこそが、恋愛の秋と呼ばれる由縁なのかもしれない。
ひと通り僕を弄ることに満足したのか、十和瀬は再び前を見て、やや小走り気味に半歩前に出る。
いつしか、僕達は駅に戻っていた。
「……少し、自惚れてたんだ、私」
前を歩く十和瀬が、振り返ることなくぽつりと呟く。
「え?」
「周りから期待の新人、とか言われちゃって。現場でも、梨音ばっかり注意される横で、私は一発OKなんかも出したりして。正直、なんでもできるって思ってた……」
僕に聞かせるようというつもりでもなく、独り言のように口を開いた十和瀬の話に、僕は口を挟むタイミングを逃してしまった。
「収録が全部終わって、次に出演するアニメのオーディションをどうするかって時に、選り好みしたりしてさ。この監督はイヤとか、このキャラはイヤって……新人のくせに偉そうだよね。そうして気づいたら、梨音とはどんどん差がついてたの」
「そうなんだ……」
「まだヒロインはおろか、名前もない、女生徒Aだとか通行人とか、そんな役ばかりだったけど、少しずつ、ほんの少しずつだけど、梨音は色々な作品に出演するようになっていった。慌てて私もオーディションを受けたりしたけど、やっぱり自惚れてるだけの新人を使おうと思う人なんていないよね。でも、本当にショックだったのはさ、私が狙ってた、ううん、1番自信のあった役柄のキャラクターに梨音が決まったって聞いた時かな。あぁ、この子、いつの間にかこんな演技もできたんだな、って正直驚いた。たくさん努力したんだな、ってさ……」
「そっか……」
「うん。それがきっかけで、諦めもついたの。声優ってお仕事は、私みたいにいい加減な気持ちでしていい仕事じゃないんだなって、はっきり分かったから。ふふ、先輩方に聞かれたら絶対に怒られちゃうけど……」
「そうだね……」
恥ずかしい話、僕には相槌をうつことで精一杯だった。
でも、こんな局面で気の利いた台詞を言える男など、広い世界においてもそうはいないと思う。
「……事務所を辞める時の最後のわがままでね、マネージャーに無理を言って、私に関するWikiとか全部削除してもらったの。たまたまパソコンに強い人だったから。また立つなら、それはそれでいいかって思ってたんだけど、未だに立ってない辺り、喜ぶべきか、悲しむべきか……」
「……うん」
寂しげに笑った彼女の顔を極力見ないように、僕は何気なく顔を背けた。続いて紡がれた言葉にも、僕はうまく返答できない。
「……あの子、私が声優を辞めたの、自分のせいだと思ってるのよ」
「え……?」
「自分が、私の居場所を奪った、って」
「そ、そんな……」
「だから、なにかにつけて逃げようとするのかもしれない。皆が誤解してるから、誰にも不安を言えずに強がって、どうすればいいのかわからなくなって、上手くできてるのか不安になって……」
わかるかもしれない。
僕も、生徒会の仕事で行き詰ったりした時は、自然と先輩の真似をしてみたり、それでもダメな時は、どうしても不安になってしまう。本当に、僕でいいのかと。この先、やっていけるんだろうかと。
蒼坂さんも、今そんな気分なんだろうか。
「今日、遊月くんに梨音と会ってもらったのはね、あの子に、知ってもらいたかったのよ……」
「なにを?」
「こうして、ちゃんとあんたのファンはいるんだってこと。ちゃんと、あんた自身を好きでいてくれる人がいるんだから、自信を持ちなさいってことを。なんていうか、あんたらって似た者同士の気がして……」
「僕と蒼坂さんが?」
「うん。お互いに、嫌なこととか、辛いことから逃げてる気がしてて。梨音はほら、ああやって心ない書き込みとか、アンチっていうの? それにいちいち過敏に反応してるし。遊月くんだって、自分の趣味を必死で隠し通そうとしてる。そういうところ、そっくりかな、って」
僕は、それに対して喜んでいいのかな。なんだか複雑だ。大好きな声優に似ていると言われて嬉しい反面、弱気な部分が似ているだなんて……。
それに、十和瀬は今の蒼坂さんをあまり快く思ってはいないようだ。それは、彼女の性格上仕方のないことかもしれないけれど。
「……逃げちゃ、ダメなのかな?」
それでも、僕の口は自然と動いた。それは、自己弁護でも、蒼坂さんを守るためでもなかった。
ただ、なにげなく感じた違和感。いや、違和感というものでもなく、疑問だった。どうして彼女は頑なに否定するのかが知りたかった。
「……どういうこと?」
「辛いことや嫌なことから逃げるのって、そんなにダメなこと?」
今まで黙って話を聞いているだけだった僕が、突然に口を開いたことに驚いている十和瀬。
しかし、それは僕も同じだった。僕は、なにを言いたいのだろう。
「……そりゃ、確かに感心できるようなことじゃないと思うけどさ。でも、でもさ……」
「ん?」
「えっと、うまく言えない……」
「なによ、それ」
結局言葉が見つからず、僕は次第に語尾が小さくなってしまった。
「それに、十和瀬も同じだと思うんだけど……」
「私も同じ?」
声音が、やや苛立ったようだった。
「ご、ごめん」
「別にいいけど。それで、どういう意味だったのよ?」
「……ウィキを消したり、その、声優を辞めたりっていうのはさ、自分の自惚れてた過去を消したいとか、忘れたい、目を背けたいっていう気持ちの表れなんじゃないかなって……」
どうやって話せば、うまく伝わるだろう。いや、むしろどう言えば怒られないだろうあろうということに着眼点を置くべきか。
「……遊月くんの言うとおりかも、ね」
あ、あれ?
こんなに素直な十和瀬は珍しいかも。なんだか寒気がしてきた……。
でも、十和瀬の表情がなにを物語っていたのか、僕にはよくわからない。
「あ、そういえば十和瀬の家ってどの辺り? 送っていくよ」
話を逸らすためにも、僕は極力明るい声を出すように努めた。
……でも、それが間違いだった。
「え? ……なにが目的?」
「も、目的なんてないって。頼むから、そんな変質者を見るような目で見ないでよ。携帯もしまえって!」
少しずつ距離を置こうとしていた十和瀬を慌てて引き留める。全く、一体僕をどんな風に見ているんだ。
「あはは、冗談冗談。でも、そんなに心配してくれなくても大丈夫よ、電車に乗っちゃえば、降りてすぐだし」
「あ、そうなんだ」
「うん。……今日は、ありがとう」
改札に近付き、十和瀬は軽く手を振った。その表情が、なにを物語っているのか、僕にははっきりとはわからない。
わからないからこそ、僕は踵を返し、無理して考えることはせず、そのまま家へと帰ることにした。




