転校生、十和瀬朱里
制服への着替えを終えて、康太と他愛のない話をしながら教室に向かう。僕とこいつは、なんの縁があってか、2年続けて同じクラスだった。ついでに言えば、香川もだ。入学してすぐの、中学から剣道をやっていると自己紹介をした僕に、向こうが話しかけてきたのがきっかけでぽつぽつと話すようになり、いざ入部してみると新入部員が僕らだけという事実に、否が応でも仲良くなった。とはいえ、練習の時や、試合なんかで他校に比べて観客席が寂しくても、康太のおかげで不思議とイヤだと感じることはなく、むしろ楽しいとさえ思えた。そういう意味では、こいつは僕にとって親友と呼べる存在なのかもしれない。恥ずかしくて、本人には絶対に言えないことだけどさ。
「あれ、なんかあったのか?」
「さぁ?」
教室の中に入ると、いつもと雰囲気が違っていた。
男子に至っては、手鏡を使ってワックスで髪の毛を整えてみたり、女子はそんな男子を見ながらひそひそ話したりと、皆落ち着きがない。
「遅かったですね、2人とも」
「あ、香川ちゃん。皆どうかしたの?」
香川が眼鏡を人差し指で軽く持ち上げ、話しかけてきた。部活に限らず、運動をする時の彼女は眼鏡を外している。
コンタクトにすればいいのに、と提案したことがあったが、彼女曰く、目に異物を入れるという行為を躊躇いなくできる感覚がわからないと一蹴されてしまった。まぁ、わからんでもないが。
「今日は転校生が来るそうですよ。それも、……可愛い女の子だそうです」
香川が、ちらりと僕の方を見た気がした。いや、多分気のせいだとは思うが。
「へぇ、それで……」
僕は納得して頷いた。
「はい。男子が興奮して、あんな感じになってるみたいですね……」
嘆息。
あんな感じ、というのは、『可愛い』と『女の子』の2つの単語に食いつき、鏡とワックスを目の前のクラスメートから奪い取るようにして、同じように髪型を整え出した康太を指していた。全く、あいつは……。
だが、気持ちは分からないわけではない。学生にとって、『転校生』とは、退屈な日常生活に訪れる1つのイベントのようなものだ。そのイベントをどんな形で迎えるかによって、今後の学校生活に変化があるかもしれない。しかも、それが可愛い女の子で、自分のクラスに入ってくるとなれば、気合いが入るのも当然だ。
「遊月くんはいいんですか、髪の毛を整えなくても?」
「……はは、僕はいいよ。噂なんて信用できないし。それに、なんていうか……ここまで気合い入れちゃうと逆効果な気がするし」
「なるほど、策士な遊月君は、敵の自滅を狙うわけですね?」
口元に手を当てて、くすりとほほ笑んだ香川。あまりにも様になっているその仕草に、僕は苦笑いを返すしか出来なかった。
「……それでは」
そこで、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴ったため、香川は自分の席へと戻っていった。
普段なら、担任の先生が教室に入ってきて、ようやく席に座るクラスメート達も、今日ばかりは、そのチャイムが鳴るや否や、誰に注意されるわけでもなく、率先して着席をした。……恐るべし、転校生への期待。
「うおっ!」
待つこと約数分。
入って来た白髪交じりの先生すらも思わず驚き、声を上げてしまうほど静まり返った教室。誰もが、先生の口から出る、言葉を今か今かと待っていた。
「えーっ、大分暑くなってきたな。先生な、昨日クーラーつけっ放しで寝ちゃって――」
静かなのをいいことに、他愛もない世間話から入ろうとした担任の話を、無言の圧力で押し殺す生徒達。そんな前振りはいらない、さっさと本題に入れと言わんばかりの雰囲気を醸し出していく。
「……え、えーっと、皆も知ってるとは思うが、今日からこのクラスに新しい仲間が加わることになる」
雰囲気に負け、やや物足りなさそうに切り出した言葉で、クラス中がわっと盛り上がる。勿論これは、もうすぐ来るであろう対面の瞬間に備えての加速、助走段階だ。
一瞬、ざわざわとし始める教室。だが、すぐさま静けさを取り戻す。そんなに転校生が物珍しいか、お前ら……、なんて恰好つけてはみたものの、さっきから僕も、にやにやが止まらない。くれぐれも言っておくが、康太のように『可愛い女の子』が楽しみだから、ではないぞ。
「それじゃ、入ってきてくれ」
待ってましたと、扉に視線が集まった。
入ってきたのは、短めの髪を揺らし、これまた整った顔立ちをした、前情報に違わぬ美少女だった。いや、美少女なんて表現はかなり痛いかもしれないが、それでも美少女という言葉以外が見つからなかった。
先生の隣に並び立ち、クラスメートと対面した転校生に、男子生徒のみならず女子生徒まで釘づけになっている。やや色白で、すっと通った鼻筋。目元はやや細めで、おっとりとした雰囲気の香川とは真逆のきつい印象を与えるが、一部の層にはそれがまたポイントになっているらしく、ハッと息を飲む音があちこちから聞こえてくる。
うちの学校の制服は、白色のシャツに青色のネクタイ、同色のチェック柄のスカートといったブレザータイプのものと違って、赤い襟に白を基調としたセーラー服は、スタイルのよさが強調されていて、胸元にワンポイントとして着いているピンク色のリボンタイが動く度に揺れ、自然と目で追ってしまう。とはいえ、その胸元はやや控えめであった。もしかすると平均を下回っているのかもしれない。もっとも、詳しい平均のサイズなんて僕には分からないけど。
また、僕が見たところ、その魅力の1つに、すらりと伸びた美脚があると思う。スカートの下から、スカートと同じく黒い二―ソックスまでの間――いわゆる絶対領域――には、健全な男子高校生に対して、一種の兵器とでもいうべき破壊力を秘めていそうだ。
予想以上のスペックの転校生に、一同のボルテージは一気に跳ね上がったらしく、爆発したように盛大な拍手が巻き起こり、目の前の彼女は驚きに周囲を見渡していた。
「んんっ! それじゃ、自己紹介をしてもらえるかな?」
「あ、はい」
担任の咳払いに、またもスイッチが切り替わったかのように静かになる。
「皆さん、初めまして。十和瀬朱里といいます。初めての転校ということで、とても緊張しています。その、仲良くしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」
ぺこり、と擬音が聞こえてくるほど礼儀正しく頭を下げた転校生――もとい十和瀬さんの自己紹介に、再び盛大な拍手が起こった。それだけでなく、指笛や、馴れ馴れしく名前にちゃんを付けた歓声まで入る。ライブやコンサートと勘違いしてないか、お前ら。それに呼応するように、明らかに不機嫌になっていく女子生徒のテンション。反比例過ぎて、見ていてちょっと面白い。
でもなんだろう、僕はなにか違和感を感じた。
大人しそうな印象を与える控えめな笑顔。だが、上手く言い表せないけど、なんていうか、こう……キャラをつくっているような、不思議な感じだ。具体的にはと聞かれたら、言葉に詰まってしまうが。
その時だ。
「あの、あんまり騒がないでください。は、恥ずかしい……」
「え?」
ライブ会場の歓声をぶった切るような甘い一言。
僕は、咄嗟に十和瀬さんを見た。
勿論、教室の中も時が停まったように、さっきまで飛び交っていた歓声もなく、拍手も消え、皆が一様に声の発信元を見つめていた。
発信元は、当然のように十和瀬朱里だった。
「……なんて、少しあざといかな?」
恥ずかしそうに小首を傾げたその仕草に、とうとうクラスの馬鹿共のボルテージが振り切れたようだ。まさに火に油、いや、もはやガソリンすらぶち込んでいるかのようで、クラス中のアクセルは振り切れる。歓声というよりも、むしろ獣の雄叫びとでもいうべき凄まじい咆哮は教室内を通り越し、学校中にまで響いたことだろう。
「朱里ちゃーん、最高ーっ!」
最高潮となったテンションのまま、立ち上がり両手を上げた康太。その動きに、男子数人が続く。もはや動物園状態だ。
不機嫌さを醸し出していた女子生徒達も、十和瀬さんのその可愛らしい仕草を、小動物かなにかと認識したようで、暴走する男子とは違った笑みを浮かていた。
「それじゃ、十和瀬の席は、クラス委員の香川の席の隣な。香川、しっかりと面倒を見てやってくれ」
「はい、わかりました。十和瀬さん、こちらへ」
「はい」
依然として、穏やかな笑みのままで、導かれるままに十和瀬の隣へと足を進める転校生、十和瀬朱里。
「ん?」
不意に鳴り出した軽快なメロディに、先生がジト目でクラス中を見渡した。どうやら、誰かの携帯電話が鳴っているようだ。
(あれ、これって……)
鳴り響くメロディにピンと来た僕をよそに、それぞれが周りを窺い犯人を詮索する中、慌てて鞄の中に手を入れ、なにやらゴソゴソと手を動かすのは、他でもない十和瀬さんだった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「なんだ、十和瀬か。授業中は電源を切っておくように」
「はい、すみませんでした。皆さんも、ごめんなさい」
先生からの注意を受け、しゅんと項垂れたものの、それすらも歓声が巻き起こり、笑って許される。もはや、一種の宗教と呼んでも過言ではない。十和瀬教、なんちゃって。
着席し、周囲から注がれる注目の視線を、逐一軽い会釈で返しつつ、隣の香川に教科書を見せてもらうべく机を密着させた。
あどけない仕草や控えめな言動、そして項垂れたときの庇ってあげたいオーラなどから人気者になるのはまちがいないだろう。いや、既になっているのかもしれない。
ただ、さっき僕が思わず反応してしまったのは、転校生のオーラにやられたからではない。彼女の携帯の着信音に惹かれたからだ。
あれは確か、蒼坂梨音のデビュー曲だったはず……。
もしかすると、十和瀬さんも蒼坂梨音のファンなのかもしれない。それに伴い、アニメや声優にも詳しかったりして。
ただ、生憎と同じ趣味という共通点に喜んでいられるほど、僕は能天気ではなかった。オタク趣味が周囲にバレたとなると、この先の学校生活でいい笑いものとなってしまうこと間違いない。彼女の前では、一層気を抜かないようにしないとな。




