あの日の僕は……
学校と塾との往復で、特に楽しいこともなく、勉強する意味もわからず、毎日がただ色褪せていた。
受験生だから仕方がないとか、1年の辛抱だとか、周りの大人達は口を揃えて言っていたけど、そんなものはただの気休めだと思った。
辛いのは僕なのに、苦しいのは僕なのに。
その日も、塾から帰ったのは、夜の11時を過ぎた頃だった。
へとへとになって家に着き、電気すらついていない玄関で靴を脱いでいると、途端に寂しさというか、孤独感を感じた。
リビングに置いてある夕食はすっかりと冷え切っていて、手をつける気にすらならない。
もう寝てしまおうと、疲れきった身体で風呂に入りぬるま湯に浸かったものの、その心地よさに意識を手放してしまい、危うく溺れてしまいそうになった。湯船で眠ってしまったことで、若干体調が悪くなり、そそくさと身体を洗い、風呂を出た。
冷蔵庫でよく冷えた麦茶を注ぎ、少し、ほんの少しだけ人恋しくなった僕は、何気なくテレビを点けた。
それは本当にただの偶然だった。麦茶を飲み干すまでの、わずかな時間を埋めるつもりに過ぎなかった。
しかし、気がつくと、僕は30分間、テレビの前で釘付けになっていた。
それは、昔僕が好きだった漫画がアニメになっていたからでも、こんな時間にアニメが放送しているんだという興味だけでもない。
アニメなんて子供が見るものだと思っていた僕にとって、こんな世界があるなんて知らなかった。
言いようのない高揚感というか、僕の世界が一気に広がったような気がした。たかが深夜アニメを見ただけで世界が広がったなんて大げさだと思われるかもしれないけど、裏を返すと、僕はそれだけ狭い世界で生きていたということだ。
それ以来、僕のは毎週の楽しみができた。
塾から帰って、夜遅くなったとしても、寂しさを紛らわしてくれた。
いつしか、キャラクター達が画面の中で動き、話したり、喧嘩したり、叫んだりしているのを見ると、自分は1人じゃないんだと思えるようになった。随分と危ないかもしれないけど、当時の僕にとって、あの日見たアニメが僕にとっての支えになっていたのは紛れもない事実だ。
そして、それ以降色々なアニメを見るようになり、キャラクター達に声――命を吹き込んでいる人達がいることを知った。
いつの間にか、僕はすっかりとアニメにハマり、そして、声優のことも好きになった。
蒼坂さんを知ったのは、無事受験が終わり、中学校も卒業した春休み。気兼ねすることなく、深夜まで起きていられるようになった頃だった。
ほぼ毎日のように見ていた深夜アニメのEDクレジットに、これまたお馴染みのように名前が羅列されており、その声の可愛さに惹かれ、興味本位で検索をかけたのが始まり。
他に出演しているアニメをチェックするようになり、パーソナリティを務めているラジオを聞き始め、丁度デビューシングルが発売するからと、近くのアニメ専門ショップで予約までした。
彼女に魅了された僕は、より深くアニメの世界に染まっていく。
けれども、それを恥ずかしいと思う感情もあり、それはずっと隠されていた。親は勿論、親友の康太にも。
軽蔑されるのが怖くて、好きなものを好きとすら言えなかった。
しかし、散々隠してきたはずのそれを、後にあっさりと語ることなる。まるでそうすることが当たり前であるかのように。
受け入れてもらえるという確信があったわけじゃない。本当は怖かった。
僕が踏み出せたのは、後押ししてくれる人がいたからだ。ほんの少し、力を貸してくれた彼女の存在が。
そう考えると、僕の世界はいつだって十和瀬が広げてくれたような気がする。初めてアニメに触れた時にも、それが好きだと友達に伝えることができた時も。
十和瀬は恩人で、運命を変えた人、というのはいささか言い過ぎかもしれない。それでも、僕は感謝している。それだけは間違いない。
今は蒼坂さんのファンだったとしても、少なくとも、僕が初めて好きになったのは十和瀬だ。好きなキャラクターとか、懐かしいアニメだとか、そんなものは抜きにして、彼女の声に、僕は釘付けになった。
勉強漬けでなにも知らなかった僕ですらも夢中にさせるだけの魅力が、彼女にはある。
本人は気づいていないかもしれない。だからこそ、不安になる。怖くなる。
でも違う。十和瀬は、誰かに勇気を与える力を持っている。
それを知ってもらうために、もう1度ステージに立ってほしい。立ってやり遂げてほしい。
それが終わればきっと。きっとまた、笑えるはずだから。




