明日、また
「なんとなくわかるさ。僕も、同じだったから」
「なによ、それ……」
呆れ果てた溜め息をつくも、それを否定したり、反論したりとの反応はなかった。僕と康太のことを知っている彼女だからこそ、その意味がわかるのだろう。
今の十和瀬の表情は、普段とは別人と思えるほどに暗く重い。それは、僕の言葉があまりにも的を得ていたことを示している。
こんな姿を見ることになるなんて、もっと言葉を慎重に選ぶべきだっただろうか。当たり障りのない言葉をかけて、徐々に核心に踏み入った方が正解なのか。こんな時、ゲームなんかじゃ決まって選択肢が出てくれる。それに従っていればいいんだから、向こうの世界は随分と楽なもんだ。
だけど、どれだけ願ったところで、選択肢なんか数秒たりとも出てくることなんて有り得ないし、話を切り出してしまった以上、放置して逃げるわけにもいかない。
なによりも、僕の力になってくれた十和瀬に、今度は僕が力になってあげたい。でも、僕になにができるだろう。彼女に、なにを伝えられるだろうか。
僕が、伝えられるもの?
十和瀬に伝えられるもの、伝えたいもの。
「……前にも言ったと思うけどさ、僕がオタクになったきっかけ、というか、アニメや声優を好きになったきっかけはさ、昔放送してたアニメだったんだ」
「うん、聞いたよ」
突然話を切り替えた僕に対して、なにを言い出すんだと訝しげに顔をしかめた十和瀬。それでも構わず続けた。
「夜中、息抜きにテレビをつけたらさ、偶然【緋い雨――スカーレット・レイン】が放送してた。雑誌に載ってる時から好きだったから、僕、夢中で見てたんだ。いつの間にか、それが楽しみになってた」
「楽しみ、に?」
「うん。紙の上だけでしか出会えなかった漫画のキャラが、今度は生きてるみたいにイキイキと動いたり、喋ったりさ。本当に凄いと思った。そして、そんなキャラクターに命というか、声を吹き込んでる人がいるのを知った。……知ってる、僕、【リンファ】が好きだったんだ」
「え?」
十和瀬が声を充てたキャラクター。画面の中で、キャラが口を開く度、その声が聞こえる度に、僕は不思議と嬉しくなった。
「私、その……」
恥ずかしそうに、十和瀬は目を背けた。
「それから、もうハマっちゃってさ。今ではすっかり、アニメオタク」
それを知られるのが嫌で、僕はずっと隠していた。興味のないフリをして、他人からの視線に脅えていた。だけど、そんな自分自身すらも受け入れてくれる康太の存在が、僕を解放してくれた。自分の味方が1人でもいるとわかっただけで、胸を張れる、勇気をくれる。
「十和瀬がそのキャラを演じてたって聞いた時は、信じられないと思ったけど、凄く嬉しかったんだ」
「嬉しかった?」
「そう。僕がアニメや声優を好きになったきっかけをくれたのが、僕の世界を広げてくれた大好きなキャラの声が、十和瀬だったってことに!」
世界を広げてくれた――なんて恰好いいセリフを言ってみたものの、たかがアニメを見て、言いようのない満足感を得ただけに過ぎない。それでも、僕の世界は確実に大きくなった。
受験中、成績が下がって落ち込んでいる時、誰にもこの辛い気持ちを理解してもらえず涙が出そうな時、僕は何度となく【リンファ】に救われた。彼女の声を聞くだけで気分が上向きになり、また頑張ろうと思えるようになった。
「そっか。……ありがと、少し、落ち着いた」
おずおずと顔を上げ、少なからず笑顔を作った十和瀬。それから、ゆっくりと心の内を話し出す。
「遊月くんの言う通りかもね。梨音が来るって聞いた時、凄く嫌な予感がした。もし、失望されたらどうしようって思ったら、突然怖くなった。私を慕ってくれるあの子が、手の平を返したように私から離れていったらどうしようって」
「うん」
「……それにね、梨音だけじゃないのよ」
「どういう意味?」
「遊月くんや、他の皆も。演技の途中や終わった後で、否定されたり、笑われたらって。向けられるかもしれない視線や、飛んでくるかもしれない罵声が、私は怖い……」
どことなく困ったようにはにかんだ十和瀬の顔に、僕はもうなにも言えなかった。これ以上、説得紛いで、彼女を追い詰めるようなことはしたくなかった。
「……帰るわ」
「え?」
「いつまでもこんなやり取りしてても、仕方ないじゃない?」
「それはそうだけど……、でも!」
「……ごめんなさい」
力を失った僕の手をするりと払いのけ、踵を返しレジへと進む。
その背中を目で追いながら、必死に言葉を探した。
「あのさ、十和瀬……これだけは言わせてくれない?」
彼女の不安を真正面から受け止めたい。受け止めた上で、力になりたい。
「否定なんか、させないから。誰にも、君を笑わせない。僕は、なにがあっても君の味方でいるから」
会計を済ませ、店を出ようと扉に手をかけた十和瀬が驚いたように僕を振り返る。
「もし、もし、仮に皆が十和瀬を否定して、笑ったりしても……、僕が、僕だけは、それに負けないぐらい大きな音で手を叩くから!」
語彙能力のなさが恨めしい。必死になって考えた挙句、僕が絞り出せたのは、そんなありきたりな言葉に過ぎなかった。それも半分以上が涙声になってしまっている。それでも、必死で彼女に向けて叫んだ。今だけは、泣くわけにはいかない。
「我が儘って言われてもいい、自己中って言われてもいい。僕は、君の声が聞きたいから!」
彼女に伝えられるのはこの思いだけ。
「待ってる、明日……絶対に待ってる!」




