吐き出した気持ち
「……さっき、蒼坂さんが学校に来た。聞いたよ、昨日、十和瀬を傷つけた、って」
蒼坂さんの名前が出た瞬間、十和瀬の瞳が大きく見開かれる。
だが、それも束の間で、すぐに自嘲気味な薄ら笑いを張り付かせる。
「……なんだ、そういうこと。結局、梨音相手にいいところを見せたいだけ、か」
「なに言ってるんだよ?」
「さぞご満悦でしょうね、自分の大好きな人気声優から頼りにされて」
「僕はそんなつもりじゃ……」
「隠さなくたっていいじゃない? なんなら責任を押し付ける形で、梨音に代役でも頼めば? そっちの方があんたも嬉しいでしょ!」
「十和瀬……」
あまりにも痛々しい発言は、もはや聞くに堪えなかった。
「なによ、そんな憐れんだ目をして……!」
「違うよ、僕は、そんなこと!」
「うるさい!」
気がつくと、彼女の頬には一筋の滴が伝っていた。
掴んだままの僕の手を振り払うこともせず、ただ唇を噛みしめ、震えながら僕に食ってかかる。
「なによ、私の気持ちなんてなにもわからないくせに……」
言葉が見つからない。
「私が、私が今までどうやって梨音に接してきたのか、知らないくせに!」
「……知らないよ」
「そうでしょ! 私は……、ずっとあの子を支えてきた。仕事でミスした時とか、インタビューでうまく答えられなかった時とか、落ち込んだ梨音をいつも励ましてあげた。嬉しかったわ、あの子が私に頼ってくれたことが。仕事が無くなって、どんどん差がついても、こうして頼ってくれれば、少なくとも同じ目線にはいられる。対等に話せる、友達でいられるもの!」
髪の毛を振り乱し、自らの内に溜めこんでいた感情を吐き出していく。普段の十和瀬からは考えられないぐらい、それは弱弱しく、また異常ともいえる保護精神。偏った価値観だった。
いや、そうじゃない。『異常』や『偏った』なんて理解しがたいものではなかった。少なくとも、僕には、その気持ちがわかってしまった。共感すら覚えてしまったのだ。
「……違ってたら、ごめん」
「え?」
「本当は、怖いんでしょ。蒼坂さんが、十和瀬に失望するんじゃないか、って」
彼女の目が大きく見開かれた。愕然としたその表情は、まるで、心の中に無理やり手を捩じり込んだような、不快な感覚として僕を包む。
十和瀬の様子が変わったと聞いた時、僕は色々と考えてみた。そして、その答えに行き着くまでに、そう長くはかからなかった。
本当の答えはわからない。これは、あくまでも僕の推測に過ぎないことだ。
だけど、間違っていないと思う。
蒼坂さんは、『傷つけた』と言っていた。でも、それは少し違うだろう。十和瀬は傷ついたわけじゃない。
彼女は恐れたんだと思う。突然怖くなった。自分に対して、偶像とでもいうべき、崇高過ぎるイメージを抱いている蒼坂さんが、久しぶりの演技を聞き、失望することに。
蒼坂さんは、十和瀬が声優を引退した後でも、役柄や性格を真似していた。それは十和瀬への憧れからきているものに違いない。
その憧れを本人が痛いほど感じているからこそ、気丈に振る舞い、そして対等であろうとしているのだろう。蒼坂さんが抱く『声優・十和瀬朱里』を壊さないために。
だが、読み聞かせをする文化祭のステージを蒼坂さんが観に来ることによって、十和瀬への憧れが消えてしまったとしたら?
憧れが失望に変わった時――厳しい言い方をするなら、十和瀬の存在意義が失われてしまった時、これまでの関係が変わってしまうかもしれないもう友達ですらいられなくなるかもしれない。そのことに。
たかが、文化祭の読み聞かせだと言ってしまえばそれまでだ。でも、万が一、もしかしたら、そんな不安が浮かんでは、なかなか消えることはない。
その気持ちは、痛いほどわかる。友人との関係性が変わることを恐れて、僕はずっと親友であるはずの康太に、オタクであるということを必死で隠していた。本当の自分を偽っていた。知られたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、否定されたらどうしよう、そんな悪いイメージに縛られて、ずっと脅えていた。
十和瀬をずっと支え続けてきた、蒼坂さんの力になるという責任感。それが今、彼女を苦しめている。
「なにがわかるのよ、あなたに!」
かろうじて絞り出されたその声は、今にも折れてしまいそうなほどにか細い。




