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二人からの着信

 蒼坂さんから着信があったのは、その日の夜10時を過ぎた頃だっただろうか。

 こういうと、やけにあっさりとしているものの、僕にとっては、それこそ天と地が引っくり返るぐらいの大ハプニングといえる。

 いつものように明日の予習を済ませ、話題についていけるようにと、リビングのソファに寝転がり、大して興味のない歌番組を見ていた時だ。

 携帯が鳴った。

 画面を見るも、表示されているのは『非通知』の文字。

「……誰だよ、一体……」

 ボタンを押し、携帯を耳に当て、口を開く。僕にしては随分と不機嫌な声が出たと思う。

「はい、もしもし。誰?」

『あ、あの……』

 すぐにわかった。直接会った時は気づくまでにかなりの時間を要したものの、こうしてワンクッションというか、なんらかの媒体を通すことにより、即座に判別できるというのはなんとも不思議なことではあるが。

「あ、もしかして……蒼坂さん?」

『はい。その、遊月くんの携帯でいいんだよね?』

「そ、そうだよ」

 緊張で声が上擦ってしまった。は、恥ずかしい。

「えっと、なにか用、蒼坂さん?」

『うん、その、文化祭の件、なんだけど……』

 文化祭?

蒼坂さんが、一体どんな用件なんだろう?

「どうかした?」

『文化祭で、読み聞かせをすることにしたんだよね?』

「うん、そうだけど?」

 十和瀬から聞いたのだろうか。

あの後、予想通り――いや、予想以上に、彼女の反応は凄まじいものだった。主に悪い意味で。

必死にそれを拒絶し、尚且つ、先ほどまで拒否していた蒼坂さんへの出演依頼を自ら提案し始めたほどだ。

それでも僕が頑なに拒否し続けていると、とうとう足早に駆け出して、改札を抜けてしまった。

なんの連絡もないと思っていたが、まさか蒼坂さんを通してくるとは。

「十和瀬、なにか言ってた?」

『うん。変わってくれ、って』

「はは、やっぱり」

『あんなに慌てた朱里ちゃん、久しぶりだった。ね、朱里ちゃんを選んだのってやっぱり遊月くんだよね?』

「うん。僕以外は、十和瀬が元声優ってこと知らないし」

『そっか。だから、か』

 含みのある物言いと共に、くすくすとおかしそうに笑っている声が受話器の向こうから聞こえてくる。

「どうかしたの?」

『ううん。……ただね、口では嫌々って言いながらも、なんとなく朱里ちゃんの声が弾んでるように思ったから。これでやっとすっきりした』

 蒼坂さんはなにを言っているのだろうか。それに、さっきからなんとなく楽しそうな……。

「蒼坂さん?」

『ふふ、なんでもない。あ、私も、朱里ちゃんに話してみるよ。私も、朱里ちゃんの声、聞きたいし。それに……』

「それに?」

『あの朱里ちゃんが、あんな風に恥ずかしそうにしてるなんて、もの凄く可愛いし!』

 あれ、蒼坂さんって結構S?

『ま、冗談だけど。でもね、私この前、朱里ちゃんに言われて考えてみたの。なんで私は、朱里ちゃんの真似をしているんだろう、って……』

「うん、それで?」

『私ね、朱里ちゃんに憧れてるんだと思う。それは、朱里ちゃんの演技とか、性格とか、私にないものをたくさん持ってるからってだけじゃなく、多分、朱里ちゃんの声が大好きだから……』

「声が好き、か……」

『……どうかした?』

「ううん、その気持ち、分かるなって」

 ひと目惚れ、というのがある。だったら、ひと耳惚れ、というのもあるのかもしれない。

僕がアニメを好きになったきっかけを作ってくれた声。

「僕、【緋い雨――スカーレット・レイン】がきっかけで、声優とかアニメが好きになったんだ」

『え、そうなの?』

「うん。だから分かるんだ、十和瀬の声がどんなに綺麗で、人を惹きつけて放さないか、って」

『そっか、遊月くんも知ってるんだ、朱里ちゃんの魅力』

 お互いの好きなものを共有できることが、こんなにも嬉しいことだったなんて。だからこそ、あの声をなんとしても聞きたかった。

「蒼坂さん、十和瀬の説得、お願いしていいかな?」

『うん、任せて。遊月くんが聞きたいって伝えたら、絶対にOKしてくれると思うな。あ、ごめんね、長々と。それじゃ、私は朱里ちゃんに連絡するから。またね、遊月くん!』

 着信の時同様、慌ただしく電話を切られ、僕はしばし呆然としてしまった。落ち着いて考えてみると、僕は人気声優と電話をしていたわけだ。

「……僕、ファンに殺されたりしないかな……」

 人知れず呟く僕の顔はにやにやと不気味に笑っていて、物騒な発言とは違って、人にはとても見せられないものだった。

 そんな幸せな気分で、入浴した僕は、いつもより長めに湯船に浸かり、意味もなく足をばたつかせていた。

 上機嫌に風呂から上がり、鼻歌交じりに何気なく携帯を見た。

急転直下。

僕の顔から笑みが消える。

 風呂に入っていた約30分弱、それこそ数分おきに着信があった。その数、実に16件。

 発信元は、予想通りの十和瀬だった。

「おっと……」

 そうこうしている内に、17件目の着信が鳴る。

「はい、もしもし」

 さすがに無視するわけにはいかないと、慌てて通話ボタンを押した。

『遅い』

「す、すみません……」

 開口一番、何様だ、お前は。どっかの社長か、それとも女王様か。少なくとも、同級生に対する扱いじゃないぞ、これは。いや、即座に謝る僕も僕なんだが。

『……ま、そんなことはどうでもいいんだけど。用件はもっと別のこと』

「あ、うん」

『あんた、梨音に頼まなかったの?』

「うん、そうだけど。どうして?」

『なんでよ? あの感じじゃ、誰が聞いても梨音のことを言ってるって思うでしょ? 心当たりがあるなんて言って……』

「だから、十和瀬っていう心当たりがあるじゃないか」

『そういう問題じゃなくて!』

屁理屈じみた返答に、焦ったように切り返す十和瀬。

『なんで、私なのよ……?』

「なんで、って言われても……」

携帯電話を右手から左手に持ち替えて、空いた右手で濡れたままの髪の毛を掻く。

「僕が君を選んだ理由なんて単純で、特に深いものはないんだけどな……」

『なら、その理由を聞かせなさいよ?』

「え? そうだな……、ただ、僕が聞きたいだけなんだよな。アニメを見るようになったきっかけをくれたのが十和瀬の声だったから、それをもう1度聞きたいだけ。好きな声優、というか、人の声を聞きたいって思うのって、なにか変かな?」

『……え?』

 受話器の向こう、明らかに動揺した反応が返ってきた。

「どうかした?」

『べ、別になんでもないわよ! っていうかあんた、なにそんなこと堂々と口にしてんのよ!』

「そんなことってなんだよ。僕は別に、好きなものを好きって言ってるだけじゃないか。十和瀬が言ったんだろ、好きなら好きでいいって」

『あれは、そういう意味で言ったんじゃなくて……』

段々と、聞きとりづらく、か細くなっていく声音。

『……遊月くんって、ずるい』

「え、なに?」

『なんでもないわよ、馬鹿! オタク! 蒼坂信者!』

 いや、信者ってなんだよ。

 明らかに動揺している十和瀬に向けて、僕は嘆息し、それから一呼吸置いてゆっくりと頼んだ。

「十和瀬、改めてお願いするけど、文化祭の読み聞かせ、君にやってほしいんだ。ダメかな?」

『……べ、別に、ダメじゃないけど……』

 相変わらず返答は、普段の彼女とは似ても似つかない小さなもの。

「え? なに? ごめん、ちょっと聞き取れなかった……」

『あー、もう! 分かったって言ったの!』

 今度はしっかりと聞き取ろうと、耳に受話器を押し当てていたのがまずかった。甲高い声は、僕の耳を貫く。

「あ、ありがと。……はは」

 本調子となった彼女の叫びがあまりにもおかしくて、思わず漏らしてしまった笑み。それに、当然のように食ってかかる。

『な、なによ?』

「いや、別に。たださ――」

『ただ?』

「――楽しみだな、って。また聞けて、嬉しいなって思ったんだ」

『え? あ、うん……』

きつい罵声でも、失笑でもなく、恥じらいと動揺、そして嬉しさが入り混じったような、なんともいえない複雑な十和瀬の反応。

 それにつられて、僕は顔が高揚する。電話でよかった。直接話していたら、僕は耐えきれなくなって絶対に逃げ出していただろう。

『あの、さ……』

「ん?」

『……ありがと、ね』

「こちらこそ。……楽しみにしてるから」

相手が息を飲んだのが分かった。なにかあったのかな?

『……あんた、天然なのね。怖。気をつけなきゃ……』

「十和瀬? さっきからなにぶつぶつ言ってるの?」

『なんでもない。とにかくお休み。また明日』

「あ、ちょ……」

一方的に電話を切られ、虚しい電子音が聞こえる。

 十和瀬、どうかしたのか? なんか慌ててたみたいだけど?

 でも、ま、とりあえず、役者は確保。後は台本、どうしようかな。



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