your color
よく晴れた日の昼下がり。授業を終え、僕は大学構内を足早に歩き、カフェテリアへと急いでいた。もっとも、周囲からはあまり急いでいる様には見えなかったと思う。僕は常に無表情だから、内面がうまく伝わらない。が、僕は今、大変焦っている。何故なら、二人の先輩を待ちぼうけにさせてしまっているから。怖い先輩ではないが“予測不能な”先輩たちではあるのでほんの少し不安な気分になるのだ。そして不安というものは時間がたつほどに肥大化していくものである。授業終了間際には蟻サイズほどだった不安はいつの間にか像サイズになっていたのだ。
僕は人混みの合間を縫ってようやくついたカフェテリアに一歩足を踏み出した。昼休みのため、賑わうテラス。どうか先輩たちが見つかりますように。果たして。
光り差し込み、活気溢れるカフェテリアにて彼女の声はよく響いていた。だから僕はすぐに目当ての人たちを発見出来たわけなのだが。それにしても。
「もうほんっとうに“黒”って感じなのッ!」
「はいはい」
「“闇”じゃないの! “黒”なの! 濁りのない純粋な“黒”でね! “漆黒”って言葉が近いかな。……や、ちょっと違うな。やっぱり“純粋な黒”! それが一番ぴったりな気がする」
「はいはい」
「あ、“純粋な黒”と“漆黒”の違いはね、なんか、“漆黒”って艶があるイメージでしょう? 漆だからさ。でもね、“彼”は艶がある感じじゃないのね。濁ってもいないんだけどさ。ホンットーに純粋な“黒”でね」
「はいはい」
「珍しいよ、あそこまで純粋に一色な人なんて」
「はいはい」
「あ、もしかして残念? 自分の色は純粋な一色じゃないから負けたみたいで悔しい?」
「はいはい」
「大丈夫だよぅ! 柏さんの色は七色グラデーションだから! なかなか珍しいよ! だから初めて会ってソッコーで話かけたんだもん!」
「はいはい」
「それで、彼の名前と学年学部学科出席番号なんだけど……って、あ! 松田くんだ」
大きくかつ透き通るような高い声で名を呼ばれ、そこから少し離れたところに居た僕は少しだけ周囲の人たちの視線に晒された。が、それは一瞬だった。チラ見をした後、彼らは何ごともなかったかのように各々の会話へと戻る。僕は無表情で二人の女の先輩が待つテーブルへと足を進めた。
カフェテリアで一番声を響かせていた方の先輩が椅子に置いてあった鞄をどけて、僕の座るスペースをつくってくれた。
「待ってたぞぅ! さっさとその重そうな鞄を置いて座るのだ!」
芝居がかった楽しげな口調で話しかける先輩に軽く会釈をし、もう一人の先輩にも目を向ける。こちらは対称的に静かであったが、手にしていた図書から視線をちらりと僕に向け、一言、抑揚のないような、それでいてどこか怒っている風にも聞こえる声を発した。
「遅い」
恐らく、相方の話し相手をしなければならなかったことにうんざりしていたのだろう。それにしてはきっちり手元の紙面へ視線はいっていた気がするが。言及する気はない。
僕は挨拶と謝罪を込め、頭を下げた。
「すみません、講義が若干延びたといいますか、僕の作業が遅くて時間内に終えられなかったといいますか……」
取り敢えず、昼食に遅れた理由を述べたのだが、二人はまるで聞いてない、というか、どうでもいいといった感じでゴソゴソと持参のお昼ご飯を取り出した。僕も出した。ちなみに、弁当一人、おむすび一人、パン一人である。
「それで? 何の話をしてたんですか?」
もそもそとパンを食べながら、僕は二人に聞いた。応えたのは言わずもがな、先ほどまで何やらを熱弁していた西崎先輩の方だった。
「すっごく純粋な“黒”の人を見つけたって話をしてたの!」
キラキラと宝物を見つけた子供のような目をして、西崎先輩は身を乗り出してきた。思わず僕はのけ反った。柏先輩が「箸危ないよ」と一言だけ注意した。図書を片手に、反対の手にはおむすびを持ちながら。西崎先輩は友人の注意に素直に従い、箸と身体を元の位置にもどし、弁当の中のご飯を突いた。僕は脱力したように肩の力を抜いて、二人の先輩を見た。今日も変わらず独特の空気を纏っている人たちだ。
西崎先輩は、よく人を“色”に例える。いや、例えるというよりは感じると言った方が近いかもしれない。僕が初めて西崎先輩に会った時も、先輩は目を真丸くして「どぶ川よりも濁った色をしているね!」と言ったのだ。失礼千万である。ただ、本人は大層嬉しそうに手を叩いていたのだ。曰く、幼稚園時代に絵の具で遊んだ後、流し台で絵の具を混ぜた時のことを思い出したそうだ。意味が分からない。
一方、柏先輩の方は物静かな秀才と周りで認識されている。僕は天才の方が合っていると思うのだが。理由は、もちろん頭が大変よろしいということは当然なのだが、“変”なのだ。周囲は「今どき天才だなんて言葉は使うもんじゃない。天才に見えるその人は大層な努力家の秀才なのだ」と言うのだが、僕が彼女を天才と称するのはその変人さ故なのである。先輩が努力してないなどとは思ってない。そうではなくて、例えば読んでいる本。きっとあまり知られてないのだろう。彼女の読む本は全て“可笑しな”本であることに。例えば装丁だったり、挿絵だったり、作者の写真だったり。とにかくそういった“変”という共通項のある本を好んで読んでいるのだ。何故、作者の顔写真がツボに入ったからといって自伝でもエッセイでもないただの問題集を読む気になるのか。意味が分からない。
とにもかくにも、この二人の先輩は僕が今まで出会った人たちの中で断トツに変わった人たちなのである。二人の先輩と僕の共通項はただ一つ。サークルが同じだということ。“Color”という名の美術系サークルである。メンバーはもちろん僕らの他にもいる。ただ、今日のランチはたまたまこの三人だというだけだ。
「それで、その“黒い人”というのはどういう人なんですか? 新しいサークルメンバーですか?」
「ああ! いいねいいね! 是非“Color”に入ってほしいなぁ。うん! そうしよう! “初対面の時”についでに誘うよ!」
「…………は?」
初対面? どういうことだろうか。
柏先輩の方に顔を向ければ、彼女はこちらを見もせずに、言った。
「西崎は“黒の君”を見かけただけでまだ面と向かって話したことはないそうだ。一目惚れだな。……まぁ、いつものことだが」
そこで顔を上げ、僕の顔を見て、少し笑った。
「松田の時も一目惚れしてその場で即勧誘だったろう?」
確かにそうだった。一目見て、僕を「どぶ川よりも濁った色」と評し、その場で“Color”に勧誘したのが西崎先輩である。当時、新入生だった僕は幾つかある美術系サークルを廻っていたのだが、他のどこより印象が強かった。主に“不安を誘うサークル”として。まぁ、結局入ってしまったわけだが。
それはいいとして、此処で言う先輩の一目惚れとは顔の造作ではない。外見ではなく、先輩曰く“色”なのだそうだ。要は西崎先輩の感性のみによる一種偏見的な選抜なのだが、僕はどうやらお眼鏡にかなったらしい。もちろん、入会希望者を拒むつもりはないので自発的に来るものは来るのだが、こと西崎先輩のお気に入りの“色”をした人たちはほぼ100パーセントの確率で入会させられる。しかし、不思議なことに厭々入ってくるというわけでもないようなのだ。よく分からないが、自分に関して言うなら「まぁ、いいか」という気持ちになったのである。他の人たちがどうなのかは分からないが。
そこまで考えて、柏先輩のことが気になった。彼女も西崎先輩のお気に入りの“色”をしているらしい。曰く、「七色グラデーション」だそうだ。僕とは大違いである。そんな柏先輩は西崎先輩と同級生であり、恐らく一番親しい友人なのだろう。恐ろしいことに。傍から見るに、西崎先輩が一方的に纏わりついてるようにも感じるのだが、柏先輩ならば、傍に居るのが嫌なら上手く離れていくだろう。ということは、柏先輩は西崎先輩を気に入ってるということだ。……それとも惰性なのだろうか。二人とも今年で三年で、西崎先輩はよく柏先輩が一番最初の友達だと話しているから、二年以上の付き合いになるはずだ。よく続いているなと思う。そうは言いつつも、僕自身、もう一年以上の付き合いになるのだが。サークルが同じだというにしても学年が違っているのだ。普通こうなのだろうか。大学生にもなると関係ないのだろうか。人間関係が薄弱な僕にはその辺の判断がよくつかない。いや、やはりそれ以前の問題ではないか。西崎先輩も柏先輩も変わった人たちだと思う。強烈な個性を持っている。そんな人たちと何故僕は一緒に居られるのだろうか。流されてるだけなのだろうか。少なくとも棹差す力は僕には無い、と思う。やはり惰性か。
ふと顔を上げると西崎先輩はおいしそうに自分のお弁当を食べていた。何故か楽しそうだった。柏先輩は図書のページを繰りながら黙々とおむすびを咀嚼している。
あれ、いつの間に話すのを止めていたんだろう。そもそも何を話していたのだっけ。自分の思考に耽っているうちに現実空間から取り残されたような感じがした。よくあることではあるのだ。僕は、例えばたった一つの言葉で、色んなことを思い起こしては考え始めてしまう。一瞬で“飛んで”しまうのだ。気づくと大抵、眼前で付いていけない話がくり広げられたりしているのだが、今は何故か無言だ。西崎先輩も柏先輩も何も言わない。その上、二人とも今の状況に何ら違和感を感じてないのだ。マイペース、なのだろうか。周囲のテーブルに目を向ければ、彼らは雑談で盛り上がっているようだ。どこのテーブルもおしゃべりをしながら和気藹々としている。無言なのはこのテーブルだけではないだろうか。何故に一緒に昼食を取っているのに無言なのか。先ほどまで楽しそうに“黒の人”を語っていた西崎先輩も何も言わない。西崎先輩が何も言わなければこれ幸いなのかどうなのか知らないが、柏先輩も何も言わない。しかし、二人の先輩は平然としている。僕は内心オロオロした。何か話した方がいいのか。何も話さなくていいのか。何を話せばいいのか。この状況は何がどうなってこうなったのか。別に気まずい空気は感じないが、三人も若者がいて無言はいかがなものか。
常日頃から無表情である僕は、外面とは裏腹に、内面では大層混乱していた。一人でも何故か楽しそうな西崎先輩。黙々と読書する柏先輩。二人の顔を盗み見て、ああ、二人とも意外と綺麗だなぁ、なんてウッカリ思ったりして、自分がそう思ったことに気づいてからギョッとして、視線をひたすら手元のパンに落として、ああ、早く食べなくちゃなぁと思いながら思うように進まなくて。
思わず、何か話さなければと強迫観念めいた気持ちに押され、バッと勢いよく顔を上げて、同時に口を開いた。
「そ、それで、その人はなんて名前なんですか?」
僕がいきなり焦ったように問いかけると、二人の先輩は顔を上げた。柏先輩は軽い驚きを見せてから、小さくおかしそうに笑った気がした。そりゃ、そういう反応もするだろう。名前を尋ねた“黒い人”の話題はなんだか随分遠いことのような気がした。“微妙な”時間が空いた話題とでもいうのだろうか。「それで」という接続詞が役割をまるで果たしてないと、自分で言った後に思った。というか、僕はどのくらい“飛んで”たのだろうか。
僕の質問自体に応えてくれたのは不思議そうに首を傾げて僕を見返した西崎先輩の方だった。
「知らない」
何ごともなかったかのように答えは返ってはきた。まるでそれまでの沈黙などなかったかのように。先ほどまでの会話の延長のように、すんなりと。そもそも、沈黙はどのくらいあったのだろうか。もしかして、僕が随分長く感じたあの沈黙は、実際は一瞬のことだったのかもしれない。そう、例えば、たまたまお昼ご飯を取るのに集中していた、会話と会話の僅かな間の時間くらいの。ならば、二人の違和感がまるでない態度は頷ける。僕はとんだ道化者になってしまうわけであるが。いや、もうそのことはいい。いつものことだ。気にしても仕方ない。今はそれよりも西崎先輩の答えの方が重要な気がする。重要と言うか、頬が引きつりそうになるというか。あれほど熱弁していたはずの人の名前をまさか。そんな。ありえるだろうか?
「…………知らないんですか」
「うん、知らないよ。“初対面の時”に聞くから別に問題ない」
ご馳走様、と手を合わせ、持参した魔法瓶に手を伸ばす様を半ば唖然としながら、けれど、ああ、先輩らしいなと思いながら眺めた。少しぼんやりと。
「西崎」
またもや逃避しかけた脳に、柏先輩の声が届いて、僕は慌てて現実へと戻ってきた。
見れば、柏先輩も自販機で買ったペットボトルの飲料を喉に流し込みながら、丁度今ランチを終了させたようだ。ちなみに、僕の手にはまだパンが残っている。なぁに、と魔法瓶の口を閉めて返事をする西崎先輩に、柏先輩はどうでもよさそうに聞いた。
「君はさっき、“黒の君”の名前学年学部学科学籍番号がどうしたとか言ってなかったか? 調べがついた訳じゃないのか?」
僕は沈黙を守った。が、本当は言いたい。柏先輩。調べがついたって、なんでそんな犯罪者の経歴を調べるかのような話しぶりなんですか。おかしくないですかその言葉。
しかし、二人の先輩の会話はまるで当たり前のように進んでいく。
「ああ、松田くんが来る直前までしてたあの話ね。調べはついたらしいんだよ!」
「らしいって……ああ、宮森に頼んだのか」
「そうそう。前の講義中にメールで届いてね! 今日の放課後のサークル活動で教えてくれるんだって!」
「なんで、その時のメールで名前だけでも聞いとかないんだ? いや、それは宮森にも言えるか。詳細はともかく名前くらいはメールで送ればいいだろうに」
「いやいや、その辺は宮森さんのポリシーなんだろうね!」
「というか、宮森も前の時間は講義中じゃなかったか? 自主休講か?」
「ああ、なんか、突発的休講になったらしいね! 先生が三十分経っても来なかったんだって!」
「……三十分過ぎに来たかもしれないな」
「あはは、そうかもねぇ。でもいいんじゃない? 大義名分は宮森さんの方にあるから」
「あまり意味はないと思うけれど。……どうでもいいが、松田。まだ食べ終わらないのか」
いきなり柏先輩がこちらを向いて、僕の手元を見ながら声を掛けたので、言葉の濁流に飲み込まれた気分に陥っていた僕は、ハッとして「すみません」と謝ってから急いで残りのパンを詰め込んだ。その間も二人の先輩の会話は流れている。僕はそれをぼんやり眺めながら、お茶をぐいと飲んだ。濁流に思えた先輩たちの会話は、不思議と一瞬で河のせせらぎに変わったように思えた。
「――っと! もうすぐ午後の講義が始まっちゃう! 急がなくちゃ!」
突然、西崎先輩はそんなことを言った。確かに、五分前くらいなのだが。
「珍しいな。いつもは鐘が鳴ってから行くじゃないか。ここから教室まで近いとか、講師は必ず遅れてくるからとか何とか言い訳して」
僕の考えを代わりに言ってくれた柏先輩に大きく同意して、僕は幾度か頷いた。そんな僕らに、西崎先輩は不服そうに口を尖らせて言う。
「言い訳じゃないよぅ。事実だもん! ……そうじゃなくてね! 次の講義は実はなんとあの“黒い人”も出てるんだよ! 前回見かけたのだ!」
「ああ、それが“初めて”?」
納得したような顔をする柏先輩に、嬉しそうにほくほくと頷く西崎先輩。
「そうそう。前の席の方に座っててね。きっと今日も同じような席に着くと思うよ。そんな気がする。あの人は毎回同じところに座るタイプだ。あ、でもだからって別の席には絶対座らないってわけじゃなくてね、いつもの席に誰かが座ったら多分、その近くじゃなくて、むしろ全然違う反対側くらいに座るタイプの人だと思うんだ。絶対合ってる」
鼻息荒く、目を輝かせながら話す西崎先輩に僕は引き、柏先輩は呆れたような視線を投げた。何故知り合って間もないにもかかわらずそう断言できるのか。しかもこの熱の入れよう。脳内麻薬でも分泌されてるんじゃないだろうか。まるで。
「……その人に恋してるみたいですね、西崎先輩」
思わずといったように零れ出た言葉に、僕自身がギョッとした。内心慌て、しかし恐らく外面にはなんら変化がないであろう僕を、西崎先輩がキョトンと見つめた。なんだかその視線がいたたまれなくて、僕は先輩から目を反らす。しかし反らした先には、面白そうに瞳を光らせる柏先輩がいて、僕はもう透明人間にでもなりたい気分に陥った。もうお願いですからとっとと講義に行ってください西崎先輩。
そんな僕の心情などまるで気づいてないであろう西崎先輩はうんうん何やら考えて、ハタと思いついたように手を打った。そして小学生が授業中に先生の質問に“正解”を元気よく発言するかのように言った。
「嫉妬してるんだね! 松田君!」
ああ、もう本当に勘弁してほしい。
「……そんなわけないじゃないですか」
しかし先輩は僕の言葉にはまるで耳を貸す気はないようだ。
「照れるでないぞぅ! 心配するな! 確かに“純黒”もいいけど“濁った絵の具”も私はすごく好きだからね!」
いや、もう本当に意味が分からない。頼みますから人語を喋って下さい。というかそれ以前にそう意味じゃ……。
「ああ、そうだ! 気になるなら次の講義に松田君と柏さんも来ればいいよ! 受講生が多い講義だからバレることは絶対にないよ! 二人とも次は休講でしょう?」
いいこと思いついたといった風に、西崎先輩は楽しそうに笑う。柏先輩はちょっと眉を吊り上げた。その反応は多分、興味を引かれたのだろう。恐らく、行く気だ。その証拠に柏先輩はまたいつの間にか視線を落としていた図書を鞄に仕舞いこみ、いつでも行ける準備を整えている。僕はといえば。
「……今から行っても、席空いてるんですか? そろそろ鐘が鳴るでしょう」
そんな言葉で行くことをささやかに主張することしか出来やしない。けれど。
「大丈夫だよぅ! 広い教室だし、いつも席はまばらに空いてるからね!」
予想通り、西崎先輩は僕の言葉を軽く笑い飛ばして立ち上がる。その時、鐘が鳴った。
「教室の扉が前に一つしかない、などということがないことを祈るよ。せめて講師が着く前には席に着きたいものだな。急ごう」
柏先輩も立ち上がる。その瞳は子供のように輝いている。対象物は“黒の君”であり、同時に“僕”でもあるのだろう。厄介なことに。
「さ! 早く行こう! ……でも本当は授業始まる前に“初対面”するつもりだったんだけどなぁ」
「ああ、だから五分前には行こうとしてたのか。……というか、もっと早く行けばいいだろうに」
「初対面の人との長時間の会話はきっと嫌いだと思うんだ、彼は。だからさ。たまたま同じ講義で、たまたま近い席で、たまたま気まぐれで話すだけのゴマ粒みたいな時間の方がいいと思ったんだよ! 今でも思うよ!」
「ゴマ粒って……。まぁ、いいか。どちらにしろ、話しかけるのは授業後じゃないのか? 計画破綻だな」
「そうなんだよねぇ~。ちょっと厄介だよねぇ~。絶対、講義が終わったらさっさと出て行くタイプだと思うんだよ! ダッシュして出ていくんじゃなくて、無駄なく支度してさっさか後ろを振り返らずに行くタイプだよ。“純黒”だもの!」
「じゃあ、そんな時西崎の様なヤツに話しかけられたらウザイだろうな。第一印象は最悪だ。ご愁傷様」
「入会さえしてくれればいいよ! そうすれば毎日あの“純黒”を見れるんだもん! ああ、綺麗だなぁ、“純黒”! ……ってことで、勧誘任せたからね!」
「あほか。何様だ。……そもそも今日話しかける予定だったのなら宮森にプロフィール聞く意味あるのか、直接教えてもらえばいいだろうに」
「だからさ! そういうの初対面の人に聞かれるのは嫌いなタイプなんだって!」
「聞いてみないと分からないんじゃないか?」
「いいや、分かるね! そんなことしたら逃げられちゃうよ! 獲物は確実に仕留めなくちゃいけないんだ!」
「はいはい。もう分かった。取り敢えず講義中、観察させてもらうことにするよ。……で、松田。いい加減準備できたか? そろそろ行かないと本当に講師が来ると思うんだが」
透き通るような高く元気な声と、耳に心地よい落ち着いたハスキーな声の二重奏を聞きながらもたもたと準備をしていた僕は、慌てて立ち上がった。それを見て、二人の先輩が歩き出す。僕は二人の後を追う。
西崎先輩のお気に入りである“黒い人”はきっと、“Color”に入ることになるだろうから。だから僕は、初めての“後輩”を見る為に初めて、講義をサボることにした。というか。
――ねぇ、先輩方。僕が次、講義あるの本当は知ってるでしょう。
二人の背中に向かってそう言いたかったけど、なんとなく楽しそうな二人の雰囲気に呑まれて言えやしない。でも、僕も少し好奇心が顔を出したから、多分、珍しく笑ってたと思う。これから先輩達に振り回される運命にあるであろう“黒い人”のことを想いながら。