幸せにしたって下さい
「おい、潤太。お前、人の話聞いてんのんか」
俺はぼーっとしてたらしい。ター坊が睨んでるがな。
「え、ああ、聞いてるで」
「そっか、聞いてない思ったわ……あんな、真衣あいつな、諦め早いねん。自分は大切にして貰える可愛い女やないからって、好きになった相手に大事にされんかったら怖いんや。自分から好きやなんて言わへん。アホやで、結構、かわいいとこあって、俺はいけると思うねんけどな」
そやな、オカンは守ってもらえそうな可愛い女ではないわな。一人で生きていけますオーラ全開に見えるからな。ホンマは、一人じゃ何もできんし、人に頼ってばっかりやけどな。ホンマのオカンを知ってるのはオヤジだけやと思っとったけど、ター坊は幼馴染だけあって、よう見てるんやな。
そうや、やっぱりオカンはオヤジと結婚して、生まれつきの病気の事知らんかったとしても、俺と亮馬を命がけで産むんや。そんで、我儘放題で幸せな日々を……送って……死んでまう……。
命がけ? そういや、俺と亮馬を産む時、あいつ死んどってもおかしなかったって病院の医者も言うとったな。奇跡の子供達やってんな俺ら。
もしも、オヤジと結婚せんと、俺も亮馬も産まんかったら……まさか、オカンは今でも生きてるんやろか……俺を産まなかったら……。
いきなり立上った俺に驚いて、ター坊がひっくり返った。
「何すんねん。おいっ、潤太」
俺は階段を走り降りて、店の出口に向かった。出口の前で、なんでこんなとこで居眠りやねん。大バーちゃん、めっちゃ邪魔やで。俺は今から真衣に会って、オヤジの事を諦めさせるんや。二度と思い出さん様に、それが俺が此処に来た理由や。
「おまはん、ホンマにあほやなぁ」
寝とったんちゃうんかい。にやけた顔して俺を見んなや、くそババア。
「ジュンタ、おまはん何するつもりやねん」
そんなん分かっとるやないか。
「オカンに生きとって欲しいんや。死んだらアカンねん。オヤジと結婚なんかさせへん。俺なんか産んだらアカンねや。幸せで生きとらなアカンねん。じゃますんな。そこどけっ」
大バーちゃんが、首を横に振って溜息つきよった。
「せやからアホや言うねん。オカンは幸せやなかったんか。アホたれが」
そう言った大バーチャンが出口から退いた。ふんっと鼻を鳴らした顔が憎たらしい。俺は引き戸を思いっきり開いて走り出した。オカンの実家、ジーちゃんの家なら分かる。ここからなら直ぐや。
オカンがオヤジと結婚して、俺と亮馬を産んだら、オカンは死んでまう。オカンが死ぬのは嫌やねんて、悲しいねんて。まだ一緒におりたかってん。ずっと一緒におりたかってん。
俺を産めへんたら、オカンはもっと長生きできる。そしたら……。
俺は、大バーチャンが言うた通りのアホたれやないか。オカンが俺を産まんかったら、俺はオカンに会われへんやないか、一緒になんかおられへん……。どないしたらええんや……オヤジなら、知っとるやろか。オヤジなら分かるんやろか。オヤジ……助けてや……。
思いっきり走っていた俺は、力が抜けて道にへたり込んでた。ハアハアと息が荒いんは運動不足やないで、心の力不足や。
「大丈夫か?」
誰やねん、その偉そうな大丈夫かは。ホンマに心配してそうにない声やろ。顔を上げたら、なんでおるんや、オヤジ、グットタイミングやで。って……でも、この若いオヤジに何聞いたらええんや? まだ、自分が麻衣と結婚することも知らんのに……。
どうしたらええんやっ。
「あれ、お前……」
俺の顔見て、もろ嫌な顔しやがって、俺はお前の息子やゾ。知らんやろけどな。
オヤジ、あんたが何でそんな嫌な顔しとんのか、俺は知ってんで。ヤキモチやろ。プライドの高いあんたは、結構いつも平気そうにしてるけど、オカンが他のやつと仲良くしてると気に入らん顔しとったやん。他の誰にも分からんでも、俺と亮馬には分かっとんねん。
「なんや、あんたか。俺になんか用か?」
むっとした顔しよったな。
「しゃがみこんどるから、どないかしたんか思ったんやろが。お前や分かっとったら放っといたわ」
「なんで放っとくんや。俺に怨みでもあるん? 何か気に入らんとか」
「別に」
別に、やて。オヤジそんな事ぬかしとったら、オカンを他の男に持っていかれんで。ホンマに自分から動かん男やな、あんたは。かっこ悪いことはせんとこうってタチやもんな。
「俺が真衣と仲良くしとんが気にいらんのんちゃうんか」
ここまではっきり言ってやれば、さすがのオヤジも何か言うやろ。どうや。
いや、待て……このままオヤジとオカンが上手くいって結婚したら……オカン死んでまうやんか……でも、上手くいかんかったら、俺も亮馬も生まれてこうへんやん。どうしたらええんや。さっきと同じジレンマにハマリよったな俺。
「なん言うてんのか、わからんなぁ。お前とお前の女のことがなんで俺に関係あんねん。もうええわ、元気そうやし、じゃーな」
逃げんのんかいっ。オヤジ、そりゃないだろうよ。でも、止めもできないままオヤジは歩きさって行った。
「仕方ねーか。まだ、俺のオヤジにゃなってねーもんな……まだまだ頼りないやっちゃな、オヤジっ」
どうしたらええんや……。オカンはずっと生きてて欲しいねん。でも、俺も生まれてきたいんや。そんでオカンと一緒におりたい。オカンに俺のオカンになって欲しいねん。そんなに我が儘なことか? みんな、自分のオカンは今のオカンしかおれへんて思うやろ? 自分も生まれてきたいて思うやろ? そう思うのは、間違いやないよな。
「俺、間違っとんのか……」
今、オカンとオヤジが上手くいって俺が生まれて亮馬が生まれて、オカンはその後16年で死んでまう。もっと長生きできたはずやろ。……ん?……計算あわへんぞ。亮馬が今16才、真衣は17才言うてたから、まぁ直ぐには結婚せんとして、20才で亮馬産んだら……オカンは36で死ぬんやんか。オカンは、47才やってんぞ……11もちゃうやないか。なんでや、ちょっと待ちや。そうや、オカンは26才のときオヤジと付き合い始めたて言うてたやないか。なんでそんな後なんや?
やっぱ、これは俺の夢なんか? これやったら、リアリティもへったくれもないやんか。いや、俺にはもう夢やなんて思われへん。これはホンマもんや。ってことは、オカンとオヤジは今すぐに付き合うわけやないんや。もし俺が何かして、二人が早ように付き合い始めたら、もっと早ように俺を産んだら、オカンは早ように死んでまうんやろか? それとも、もっと長生きする? もっとずっと一緒におってくれるんか?
「せやったら……」
俺はオヤジを追いかけようと立ち上がった。
「待ってやオヤジっ、いやえっと、柳田さん。待ってって」
やっと追い付いたのに、振り返ったオヤジは眉間にシワ寄せて、めっちゃ嫌な顔や。機嫌悪い時の顔全開やな、こんなとこは昔からいっしょなんや。
「お前、何でおれの名前知ってるんや?」
しまった。初めて会ったんやったわ。
「いや、あんな、あんたは気付いてへんやろけど、前に一回会ってるねん。会社の人と一緒やって、そんでな、その人が呼んどったから」
オヤジはふーんといいながら、胡散臭そうに目を眇めた。オヤジあんた、その目つきオカンが嫌いやって言うとったやろ。ちなみに俺も嫌いやねん。人を馬鹿にした様な目つき、これでよう今までボコられんできたもんやな。喧嘩は好きやない、避けて通るもんやて、よう言うたな。
「で? 何の用や」
「あんな、えーと……もしもやな、あんたが結婚して、奥さんが死ぬ可能性の高い不治の病やったとするやん」
「何の話やねん。お前、頭おかしいんとちゃうか。学校で、もう少し勉強せえよ」
むかつくやっちゃな。俺はあんたより、勉強も運動も出来るんやからな、馬鹿にすな。まぁ、知らんやろけどな。
「勉強はしとる。これでも、成績は良い方や。ちゃうちゃう、さっきの話や。ほんでな、赤ちゃん出来たら、あんたどっちとる? 奥さん? それとも子供?」
はぁ~と溜息を吐いてから、オヤジは目を閉じよった。ゆっくりと開けた目は、呆れかえっとる。まずいかもな。
「お前、ホンマ、人をおちょくっとんのか」
「違うて。ホンマに、真剣に聞いとんねん。マジで答えてーな、頼むわ。お願いします」
これだけ深く頭を下げたら、お人好しのオヤジは応えてくれるんとちゃうか。
「俺は子供は嫌いや。結婚する予定もない。ついでに、お前も嫌いや」
そうや、オヤジは子供が嫌いやった。でも、オカンかて子供が嫌いな珍しい女やった。まぁ、オカンの場合は自分自身が子供やからやろけどな……。そうか、そうや、オヤジはオカンの病気のこと分かっとったら、子供は作らんかったて言うてたもんな。俺らのオヤジになってからでも、そないなこと言うんや、こんなに若いオヤジに聞いたかて、エエ返事はもらわれへんて初めから分かってるやん。俺、何がしたかってんやろ。
もうええ、このオヤジには何も相談でけへんし、ホンマの事なんか言われへん。仮にホンマの事言うてオカンと結婚しても、きっと俺らはこの世に誕生する事は無いんや。
「あんな、俺、もうあんたと会う事ない思うねん。最後に一個だけお願い聞いてえや」
オヤジはまたしても嫌ーな顔をしよる。ホンマ感じの悪いやっちゃ。俺はオヤジと馬が合わんかった。何となく苦手やって、うざいねんな。でも、俺は負けへんでオヤジ。あんたに、俺の頼みを聞いてもらう、絶対にな。
「なんでお前の頼みなんか聞かなアカンねん。ホンマあほちゃうか」
「あほちゃう。俺の頼みを聞いてください。お願いします。そしたら俺、頑張って勉強するし、あんたが行け言うた大学かて行くから。なんでも言う事聞くから」
「何言うとんねん。俺はお前に大学いけなんか言うてへんやろ」
「いや、これから言うねん。あんたは俺に、エエ大学いけって言うねんて。俺、ちゃんと大学行くし」
アカン、俺、なに言うてんねん。頼みごとせんならんのに、ホンマあほや。
「あんな、あんたが将来、めっちゃ気ぃ強い我儘な女好きんなって、その人のエエとこ自分だけ分かるんやって思えたら。そしたらな、そしたらな……幸せにしたって欲しいねん。いっつも笑ってられるように、悲しい事なんかないように、幸せにしたって。頼むから。お願いやから。結婚して、ずっと幸せにしたって……あんたしかおれへんねん。頼むから。あんたやないとアカンねん」
何回も頭下げたら、オヤジがまるでおかしなモノでも見る様に、歪めた口をポカンと開けとった。本気にしてへんのか、オヤジ。
そんなら、男の本気みせたろやないか。俺は歩道の真ん中で土下座した。めっちゃプライドの高い俺が土下座なんか、二度と見られへんぞ、オヤジ心して見ーや。
「頼みます。その人、幸せにしたって下さい」
オヤジは聞こえへんくらいの声で何かぶつぶつ言うてる。
「お前、名前なんて言うねん。人にもの頼むんやったら、名前くらい言わんかい」
「やなぎ……いや、潤太。潤太や」
もう必死や。今のオヤジに対して俺が出来るんは、頼む事だけなんやから。
「どこのアホなんか知らんけど、俺がお前の頼み聞いたら俺の前から消えてくれや。何か、お前とおると居心地悪いわ」
「俺の頼み、聞いてくれんの」
「お前に頼まれんでも、自分が好きになった女は幸せにするやろ、普通。まっしかたないから、頼みはきいたるから、はよう家帰って勉強せ―。勉強してエエ大学行けよ。じゃーな」
そう言った瞬間、オヤジが振り返った。
「もうついて来んなや」
そんなにってくらい早足で去って行く事無いやろ。ホンマにオヤジは本気で俺の頼みごとを聞いてくれるって信じてんで。あんなにオカンを大事にしとったんやから、今の適当な感じのオヤジでも、俺は信じるで、頼むでオヤジ。
「おい、お前なぁ、いったい何やっとんねん。あのリーマン、知り合いなんか」
知ってる声がする。