ター坊
「ター坊。私はあんたの女やない。何べんゆうたら気が済むねん」
真衣がリーゼントの耳を引っ張ってる。ター坊? せや、俺がアルバイトしとるお好み焼屋のおやじさんや。確かに、俺のオカンとは幼馴染やし、ここにおってもおかしないわ。
ター坊が顔をしかめた。もともといかつい顔が、より一層凶悪になってるけど、真衣は気にも留めてへん。これが大人になっても変わらへんて怖いな。
「真衣。お前は俺の初恋の女やゆうてるやろ。これは、運命なんや間違いやあらへんで」
真衣がター坊の顔の前に指を突き立てて睨みつけた。
「はんっ。あんたおかしな事ゆうたらアカンで。あんたの初恋が保育園の黒川先生やって、私が知らんわけないやろ。私はあんたの初恋やないし、彼女でもないねん。紛らわしいこと言いなや。潤太が誤解してまうやろ」
くそっと言いながらター坊が俺を睨んでる。なんで睨まれなアカンねん。
「お前、誰や。真衣とどういう関係なんや? それによっちゃ、容赦せーへんで。ボコボコや」
拳を握って俺に向かって突き出した。そんなん俺には通用せーへんぞ。俺は、あんたが実は喧嘩がスッゲー嫌いで、弱いって知ってるんやから。怖いのは顔だけや。
俺はター坊に向かってニッコリ笑ってやる事にした。
「こんちは、俺、潤太っちゅーねん。真衣とはさっき出会ったばっかやけど、仲良くなれるって自信あんねんな。でも、心配はいらん。真衣の彼氏になろうとは思ってへんし、なられへんねん」
俺の言葉に反応するように、今度は真衣が俺の目の前に鼻先をくっつけて睨んできた。めっちゃ怖いんですけど、オカン。
「潤太。あんたどう言う事やの。私の彼氏になるつもりがないっ、なられへんて、どう言う事や! そんなん分からへんやん。なんで、そんな言い方すんのん? 潤太、嫌いやったら、そう言えばええやん。自分のタイプやないって、俺はもっと大人しくて可愛い女が好きやねんて、言えばええやろ。変な言い方して欲しないわ。何がなられへん、やねん」
真衣の目が心なしか潤んでる気がすんのは勘違いやろか。そない思てたら、真衣はぷいっとそっぽを向いた。泣きそうなんを見られたないんや。オカンは今も昔も意地っ張りなんやな、やっぱ。
「あんな、俺、喪中やねん。せやから、彼女は作られへん」
え? 俺って何ゆうてんねん。喪中と彼女は関係ないやろ、普通……。って真衣が振り返って睨んでるやん。めっちゃ怒ってるで、この顔は。
「潤太、あんたエエ度胸やな。あんたが誰の喪中かしらんけど、その喪中の当人とこに送り込んだろうか。死ね、アホウ」
イヤ、喪中の当人て、あんたやから。既に、送り込まれてるわ。
「私、帰るわ。アホらして付き合ってられん。縁があったら、また会えるやろ。じゃーな、潤太」
え? 真衣、お前が帰ってもたら俺はどないしたらええねん。この夢ん中で、俺の家は何処になってるんや?
「俺、どないしたらええねん……行くとこ、分からんのに」
途方にくれる俺をよそに、真衣は行ってもた。振り向きもせんて、あれは相当怒ってるな。
「お前、行くとこないんか。家出? そんで真衣に引っついて、どうするつもりやってん! 泊まるとこもないのに、真衣とどないしょー思っとってんや」
ター坊の顔がドアップや。ええか、真衣とどないしょうとも思ってへんわ。オカンやぞ、アホ。
「何も考えてへんわ。ただ、置いて行かれたて、思ただけや……置いて行かれたて……」
俺は坐り込んでもた。何か、真衣に置いて行かれて、オカンが俺ら家族置いて死んでもたんを、思いだしてもーたみたいや。何か、体にも力はいらへん。
「おい、お前、家くるか? いくとこないんやろ。野放しにしとったら、また真衣んとこ行かれても困るしな」
ター坊。相変わらずお人好しやな。俺が困っとるって知って放っとかれへんねやろ。あんた、歳とっても同じやねんぞ、商売より人情優先やから店は流行っとんのに儲けがないんやろが。
『人助けは、うちのモットーや』
が口癖の家族やもんな、ター坊の家は。
「世話んなるわ。お好み食いたいしな」
ター坊の眉間にしわが寄った。
「何で家がお好み焼屋って知ってんねん」
あっ、しまった。アホか俺、いらんこと言うたら怪しまれるやん。
「いや、真衣がな。ター坊のお好み焼屋の話しててん。めっちゃ旨いって言うてたからな、食いたなってんやん」
ター坊は納得したようや。単純なおっさんやからな、昔も変わらんかったんやな、やっぱし。
「そうか。真衣は正しいで、家のお好みは世界一やからな。ようさん食わしたろ。はよ来いや」
店の建物、変わってるやん。いや、ちゃうな。正確に言うと変わったんやない、俺がバイトしてる店が新しいなった建物なんやな。こりゃまたエライ古いやん。
「はよ入りっ」
ター坊が呼んでる。はよ行って、腹一杯たべたろ。
「ちーすっ」
いつもの調子で店ん中入ったら、おばさんが眉をあげて見返してきた。このおばさん、もしかせんでも『お好み焼きサトナカ』のバーちゃんやん。ター坊のオカンや……若いやん。
「ター坊の友達か? 初めて見る顔やな。今、焼いたるさかい、上って待っとり」
若いバーちゃんが二階に上がる階段を指した。ん? 階段の前のパイプ椅子に座ってる、ちっちゃいお婆さんって、見た事あるで。いや、ほんまは見たことない。なに言うてんねん、いやいや、このお婆さんは大バーちゃんやないか。俺のバイトしとるター坊のおっさんの店の、そうやっ丁度ここ、階段の下にある椅子に置いてある写真立ての中の大バーちゃんや。ター坊が店継ぐ前に死んでもたって言うてたよな確か。そうか、俺ってやっぱリアリティのある夢みてんねんやな。そうやな、30年まえやったら、大バーちゃんは生きてるやん。
つい大バーちゃんをジッと見とったら、大バーちゃんの顔がゆっくり上ってきて、見てる……俺を見てる。
「これ、ジュンタ。おまはん、こんなとこにおったらアカンやろ。おまはんの生きとる場所から、何しにきたんか、よー考えてみ」
何? 大バーちゃんが俺の名前知っとるってどういうことや。俺の見てるリアリティ溢れる夢ん中でも失敗があるんやな。設定上は、大バーちゃんが俺を知ってるはずないんやからな。
写真でしか知らん、バイトの俺を知ってる筈ないんや。まぁ、バイトに来るたびに、油まみれになっとる写真、きれいにふいとったからなぁ、一回出会ってみたいオモロイ顔やったしな、超リアルな夢でも、失敗はあるやろ。
気色悪っ。大バーちゃんがにやーっと笑っとるやん。
「夢やて、思てんねやろが、アホたれ。これは夢やないで、おまはんが見るもんは、ぜーんぶホンモンや」
夢やないって……大バーちゃん、あんた何者?
「大バーちゃん、なに言うてるんや? これは俺の夢ん中やねんて」
「ちゃうっちゅうとるやろが。おまはんが此処にきたんは、やらなアカン大事な事のためやねんで。おまはんのオカンの為に、おまはんしか出来んことが、あるんや」
「オカン? オカンの為て……」
大バーちゃんが、眼を細めて睨んでる。怖い様な、オモロイ様な、つい笑ってまいそうな顔や。
「ここは、おまはんのオカンがおまはんを産む人生を送る為の分かれ道。オカンがまちごうたら、おまはんは産まれてこんのよ。オバーは神さんに聞いてんで、ほんまや」
「一体、何の話やねん。ばばあ頭おかしいんか? 俺はもう生まれとるし、弟かておるわ。人の夢ん中出てきて、ふざけた事ねかすなや」
大バーちゃんが、ふんと鼻を鳴らしてから店に出て行きよった。って思たら、振り向いた。なんやねん、気色悪い笑顔見せんなや。でもその笑顔見てたら、不思議と信じてまいそうや。
ほんまに神さんに大事な事聞いとんのか? なー、大バーちゃん、オカンの為にせなあかん大事な事って、なんなんや? 俺のこの懇願するような瞳を見たら、大バーちゃんも教えてくれるやろ……って、お前、無視かいや。
「教えてくれんのかい、クソババア……イッタッ」
くそ、誰や俺の髪ひっぱるんは。引っ張られて上向いたら、ター坊が怖い顔して怒ってるやないか。
「お前、バーのこと、クソババア言うたんか? バーはな、仏さん並みやぞ、アホ。拝みくされ」
引っ張られた髪を引き抜いて、俺はター坊を睨んだ。
「仏さん並みって、なんやねん」
「もうええわ、俺ら家族の問題や。ほら、そこのお好み持って上がってこんかい」
昔から可笑しな家族やねんな。そういや、ター坊の奥さんの千賀子おばさんも、昔からよー分からん家族やねんって言うてたな。
俺は、もう一度、大バーちゃんを見た。いつの間に元の位置に戻ったんか、相変わらずうたたね中で、あんな事いっておいて起きる気配もないってか。大事な事って、何やねん。
ぐーきゅるるるる~
腹の虫が鳴った。はようお好み食べな、飢え死にすんで。
「お前、真衣に手ー出すんやないで。あいつは、いつか俺のもんになるんや。そう決まっとるんや」
飯を食って、俺はター坊の部屋に敷かれた布団の上に胡坐をかいて座ってる。飯食わしてもろて何やけど、ター坊の意見には頷く事は出来ん。だってそーやろ、ター坊と真衣が出来てもたら、俺は産まれてこんってことやないか……ん? 待て。
大バーちゃんが、さっき何て言った? 俺のオカンの人生の分かれ道て、言わんかったか?
そうや、まさか……ター坊とオカンが結婚? それで、めでたく俺は生まれてこんってことか? 有り得へんやん。そんなんなったら、どーなんねん。
「ター坊。それは無理やな。真衣はな、もう運命の人と出会っとるんやから」
そう言ったら、ター坊が疑わしそうな視線で俺を見た。
「何や、まさか、それは俺ですとか、ぬかすんやないやろな。目ぇえぐり出したろかぁ」
「いや、違うから。俺やない。でもな、俺はそれが誰か知っとるねん。いや、わかんねん。諦めろって、ター坊には、もっとしっかり者の可愛い嫁がくるて」
「真衣かてしっかり者やし、可愛いわ」
ん? ター坊は、真衣がしっかり者やて思ってんのか? 間違ってるで。真衣、いや、オカンは俺のオヤジがおらんと何もできんし、家族に甘えて我儘ばっかやぞ。真衣とター坊は、どっちかて言うと似た者同士やん。
「真衣はしっかり者とちゃうで。どっちか言うとふわふわ漂ってる風船みたいなもんや。誰かがしっかり紐を握ってやらんと、どっかに飛ばされてまう。ター坊かて同じ様なもんやないか。あんたには、しっかり者の嫁の方があってるて、俺は思うで」
実際、あんたの嫁は結構可愛いし、若いのにしっかり者やないか。びっくりすんで、自分が将来どんな嫁もらうんか知ったらな。
「そうなんか? ……そういやぁ、真衣とはいっつも気が合って、考えてる事も似てるっちゃー似てるけどなぁ。間違いなく、一番の友達やしな……でも……俺はな、心配なんや、真衣の事が。俺が真衣の彼氏んなって守ったらんと、あいつ、いつかとんでもない事になりそうやねんな……」
とんでもない事ってなんやねん。あんたが彼氏になってくれんでも、真衣は俺のオヤジと結婚して幸せに暮らしましたとさ、になるねんぞ。
「そんな心配いらんちゃう?」
「いやな、あいつ気ぃめっちゃ強いやん。誰に対しても、ハッキリもの言うしな、喧嘩っぱやいねん。だから、いままでもな、気ぃの強いイカツイ男ばっか寄ってきよんねん。あれは、気ぃの強い女を自分の言いなりにしたい征服欲みたいなもんちゃうかなって思えんねん。今まで付きおうた男も、酷い奴が多かってな。殴られて怪我させらた事やてあるんやぞ。俺はな……真衣を守ってやりたいだけやねん」
ター坊が、溜息をつきよった。そういや、ター坊はオカンに対して、どっちかって言うと兄? いや、ねーちゃん思いの弟? って感じやったもんな。守ったりたいって気持ちはホンマもんかもしれん。
って、オカン。お前、付き合ってた男に怪我させられた事あったんか。今じゃあ、相手に怪我させても、怪我させられるなんて事は皆無やのにな。
オカンとオヤジは喧嘩してもオヤジは絶対にオカンを殴らんし、それ分かっててオカンはオヤジに言葉のトドメヲ刺すんや。刺されたオヤジは死にそうな顔してしょぼくれてる。で、オカンが笑顔で抱き着いたら生き返りよるねん。アホ夫婦やな。
そういや運命の人に出会ってんのに、あのアホは諦めようとしとったな。
『運命やって間違ごうた人……あの人やねん。でも、相手にされへん』
『アホとちゃうか潤太。人間、想い続けるなんて無理なんや。明日には色んな事が待ってる。変わって行くんが人の心や』