追憶
久しぶりの更新です
小4の春。
「治らないのに病院なんて行ってどうするの?」
父さんに直接言ったことはないけれど、それがわたしの本心だった。
治らないと誰かから言われたわけではなかった。でも、早くに死んだ母さんと同じ病気だと知ったとき幼いながらに長生きできないと悟った。
「こんにちは。君の担当医の柳川です。よろしくね」
「…………」
それはわたしにしては珍しい行動だった。その時は父さんはもちろんのこと、誰に話しかけられても無視したのだ。父さんは困惑しただろう。今までこんなことはなかったのだから。
何と言ったのか覚えていないけれど柳川先生は一対一での対話を望み父さんを病室から出した。
「病院に来るの嫌だった?」
「…………」
嫌に決まっている。
「死ぬのは怖いかい?」
「…………」
怖くないわけがない。
「君は自分が不幸だと思うかい?」
「…………」
幸か不幸かなんて考えたことはない。
「逆に、自分は幸せだと思うかい?」
「…………」
分からない。
「お父さんのこと好き?」
「…………」
当たり前だ。
「お母さんのこと恨んでいるかい?自分をこんな身体に産んで、って」
「…………」
恨んでなんかいない。
声に出して答えたりはしなかったけれど、この質問には首を横に振ることで答えた。
「先生はね、死ぬのが怖い。自分のこと不幸だとは思わない。けど、満ち足りているのにもっと幸せになりたいと思う。幸せなのになんて贅沢なんだろうね」
小4のわたしには少し難しかったけれど、わたしに伝えようとしていることは何となく理解できた。
「……わたしは、わたしも死ぬのは怖いです。でも覚悟してます。死を受け入れる覚悟です。学校で先生が言ってました。人は死があるから生を素晴らしいと思えるんだって。君達には難しいかなって、言ってたけどわたしはその通りだと思います」
わたしの言葉に柳川先生が驚いた顔をした。
「難しいことを言うね。そうか……君は本能的に人よりも早く大人になろうとしているのかな」
「……?」
難しいことを言うのは先生のほうだ。
「隠さずに言おう。君は永くは生きられない。だから早く大人になってもらいたいんだ。自分の死を受け入れ、人よりも短い人生を楽しんで欲しいから」
「……母さんは人生を楽しんだと思いますか?」
わたしを産んですぐに亡くなった母。
母が写っている写真は笑顔に溢れていた。
それは幸せという感情からくるものなのか、わたしには分からない。
「どうかな。先生の幸せの物差しと君のお母さんの幸せの物差しはたぶん違うと思う。先生にとって何でもないようなことが、幸せだって思うかもしれない。その逆もまた然り」
わたしの質問に柳川先生は1つ1つ丁寧に答えてくれた。
30分ほど質疑と応答を続けた。
小学生の拙い言葉を理解し、柳川先生は嘘のない言葉ですべてを返してくれた。
「最後の質問です。わたしの病気は治らないのに病院に来ることに何か意味はありますか?」
「言ってしまえば、ない。けれど、病気による苦しみを和らげることは出来るかもしれないね」
文章中にある病は架空のものです。実際に存在するものとは一切関係ありません。




