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聖女は世界をハックする 〜見た目は魔法!?超古代技術で貧しい村を天空都市に育てます〜  作者: 七森ふれあ
貧しい村は、蓄え始める

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19/92

第18話 空の白い輪が、少し近く見えた

村の広場に、小さな台が三つ並んでいた。


 一つ目には、麻袋と紐。ノルテ村の人たちが朝早く運んできたものだ。口紐は前より長くなり、底の縫い目も少しだけそろっている。二つ目には、乾かした野菜と塩の小袋。三つ目には、薬草の束と、教会で使っていた古い木札が置かれていた。


 市、というには小さい。


 けれど村人たちは、その言葉を口にしたがった。


「市みたいだな」

「市というには、ちょっと少ないだろ」

「少なくても、市は市だ」

「じゃあ、小さい市だな」


 その言葉だけで、子どもたちがはしゃいだ。


 ミオは保存庫の前で、木札を一枚ずつ確認していた。昨日、バルドに言われた通り、売ったものと数を書くための札だ。文字を書ける人は少ないので、絵と刻み目も使うことにした。


 麻袋は四角の絵。塩は小さな壺。乾燥野菜は葉っぱ。薬草は細い束。銅貨は丸。


 子どもたちが描いた銅貨の丸は、なぜかほとんど芋に見える。


「これ、銅貨かな」

「銅貨です」

「白狐さん、芋に見えない?」

「芋に見えます」

「見えるんだ」

「ですが、描いた本人が銅貨と言えば銅貨です」


 白狐は木箱の上で、きちんと前足をそろえていた。昨日から、村人たちは白狐を見る目が少し変わった。白狐さま、と呼ぶ声に、前より畏れが混じっている。


 ただ、白狐本人は、その木箱の上で麦がゆの椀を待っている。


「白狐さん、神獣感があるのかないのか分からないね」

「あります」

「どっちが?」

「神獣感です」

「椀待ってるけど」

「神獣にも朝食は必要です」


 ミオは笑いながら、透明板を出した。


 今日の目的は、市を大きくすることではない。村の中で、どれだけ出していいかを確認することだ。売りすぎれば、村が困る。何も出さなければ、銅貨も情報も入らない。


[VILLAGE TRADE CHECK]

――――――――――

麻袋:四

紐:小束六

乾燥野菜:小袋五

塩:小袋三

薬草:小束二

販売上限:少量

記録管理:試験運用

――――――――――


「今日は、ほんとに少しだけ」

「何度も言うのはよいことです」

「白狐さん、最近そればっかり」

「あなたには必要です」


 広場の端では、村長が木札を持って練習していた。


「日、相手、売ったもの、数、受け取った金……日、相手、売ったもの……」

「村長さん、そこ逆です」

「逆か」

「先に相手の名前」

「相手の名前を聞き忘れたら?」

「次から聞く」

「次から聞く、と書いておくか」

「それは記録じゃなくて反省です」


 ノルテ村の若い男が真面目な顔で言った。村長は「反省も要る」とうなずいている。


 ミオはそのやり取りを見て、少しほっとした。


 村は忙しくなった。見張りも、記録も、品物の数も、やることは増えた。けれど、昨日のようにただ怯えてはいない。増えた作業を、村人たちは少しずつ自分たちの手に移している。


 その時だった。


 広場の上を、薄い影が通った。


 雲かと思った。


 ミオは顔を上げる。


 空は晴れている。雲は少ない。青い空の高いところに、白い輪が浮かんでいた。


 いつも見えているものだ。村人たちが、天の輪とか、神さまの道とか呼んでいるもの。晴れた日にはうっすら見えて、曇りの日には消える。ミオもこの世界に来てから、何度も見上げていた。


 でも今日は、違った。


 輪の縁が、いつもよりはっきりしている。


 白い。


 細い。


 けれど、ただの雲ではない。空に貼りついた傷のように、まっすぐで、遠くて、変にきれいだった。


「……白狐さん」


 白狐は、もう空を見ていた。


 耳が動いていない。


 しっぽも動いていない。


 ミオは、その反応だけで嫌な予感がした。


「今日は、見すぎない方がいいって言ってたよね」

「言いました」

「今、かなり見えてる」

「ええ。かなり、見えています」


 村人たちも気づき始めた。


「天の輪が濃いな」

「祭りの日みたいだ」

「昔は、もっと白かったってばあさんが言ってた」

「今日は、なんか近い」


 近い。


 その言葉に、ミオの胸がざわついた。


 近いはずがない。空の高いところにあるものだ。山より遠く、雲より高く、この世界の外側にあるようなもの。それなのに、今日は少し近く感じる。


 ミオは透明板を布の上から押さえた。


 開かない方がいい。


 昨日、白狐に言われた。空を見すぎない方がいい。開くと、向こうもこちらを見るかもしれない。


 けれど、透明板が布の中で小さく震えた。


 一度。


 二度。


 まるで、空の白い輪に反応しているみたいだった。


「開かないでください」

「まだ開いてない」

「開きたい顔です」

「それ、そんなに出る?」

「とても」


 白狐がミオの前に立った。


「見るなら、短くです。深く追ってはいけません」

「うん」

「何か出ても、追わない」

「うん」

「レンという名前が出ても」

「……うん」


 言われた瞬間、胸の奥が少し痛んだ。


 レン。


 昨日、ふいに口から落ちた名前。大事な人。たぶん。まだそれ以上は戻らない。でも、その名前を聞くと、胸の中に手を入れられたみたいになる。


 ミオはゆっくり透明板を取り出した。


 村人たちからは、薄い聖石板に見えている。何人かが不安そうにこちらを見る。白狐は黙ったまま、ミオの足元に座った。


 透明板を空へかざす。


 最初は何も出なかった。


 青い空。


 白い輪。


 村の屋根。


 麻袋を干す紐。


 その全部の上に、透明板の薄い反射が重なっているだけ。


 けれど、次の瞬間、画面が細かく震えた。


 白い輪の縁に、文字が浮かぶ。


[SKY RING TRACE]

――――――――――

上位環状構造:損傷

遠隔管理系:断続

観測範囲:不安定

同期残滓:極小

――――――――――


 ミオは息を止めた。


「上位環状構造……やっぱり」


 白狐が低い声で言う。


「そこまでです」

「まだ短い」

「短いですが、もう十分です」


 ミオは透明板を下げようとした。


 その前に、画面の端が一度だけ暗くなった。


 文字が追加される。


[SKY RING TRACE]

――――――――――

上位環状構造:損傷

遠隔管理系:断続

観測語:R――

同期残滓:極小

――――――――――


「R……」


 ミオの声が、出た。


 たった一文字。


 それだけなのに、指先が冷たくなった。


 R。


 レン。


 違うかもしれない。たった一文字だ。ほかにもRで始まる言葉はいくらでもある。リングかもしれない。ルートかもしれない。リモートかもしれない。なのに、ミオの中では、その文字がまっすぐレンへ向かった。


 目の奥で、何かがちらつく。


 白い部屋ではない。


 古い机。


 開いたノートパソコン。


 夜の画面。


 横から聞こえる声。


『それ、またスコープ広がってない?』


 誰かが笑っている。


 レンだ。


 たぶん、レンだ。


 ミオは透明板を握る手に力を入れた。


「今、声が」

「ミオ」


 白狐の声が強くなった。


「閉じてください」

「でも、今」

「閉じてください」


 透明板が熱を持ち始めた。


 じん、と指先に伝わる。危ないほどではない。でも、ただの石板ならあり得ない熱だ。表示がにじみ、白い輪の縁が画面いっぱいに広がる。


 ミオはあわてて板を下げた。


 表示は消えない。


[OBSERVATION WARNING]

――――――――――

外部観測圧:上昇

参照元:不明

対象照合:未成立

遮断推奨

――――――――――


「外部観測圧ってなに」

「こちらから見ただけではありません」

「向こうからも……?」

「見られています」


 白狐がそう言った直後、透明板の表示が白くはじけた。


 ミオは反射的に板を胸へ抱えた。


 音はしなかった。


 けれど、世界が一瞬だけ遠のいた気がした。


 広場の声が小さくなる。麻袋を縫う音が遠くなる。子どもの声も、村長の声も、白狐の声も、水の音も、薄い布の向こうへ行ったみたいになる。


 かわりに、短い映像が来た。


 赤い光。


 金属の壁。


 黒い端末。


 誰かの手。


 傷のついた指。


 そして、声にならない名前。


 レン。


 ミオは膝をつきそうになった。


 白狐が足に体を押しつける。


「ミオ」

「……見えた」

「何を」

「赤い光。壁。手。たぶん、レンの」


 白狐は顔を上げた。


 さっきまでの偉そうな顔ではなかった。小さな体のまま、真剣にミオを見ている。


「返事をしようとしてはいけません」

「返事?」

「あなたなら、しようとします」

「……しそう」

「しないでください。まだ道がありません。叫べば、穴が開くだけです」


 言い方は変だ。


 でも、なんとなく分かった。


 今あるのは通信ではない。たぶん、向こうとこちらが同じ何かを一瞬見ただけだ。穴の向こうに人影が見えたとしても、そこへ手を伸ばせるわけではない。無理に広げたら、村も自分も巻き込むかもしれない。


 ミオは透明板を布で包んだ。


 板はまだ少し温かい。


「閉じた」

「開いています」

「え?」

「あなたの顔が、まだ開いています」


 白狐はしっぽで、ミオの膝を軽く叩いた。


「戻ってきてください。ここはリュミナ村です」

「……うん」


 ミオはゆっくり息を吸った。


 広場の音が戻る。


 麻袋を縫う声。木札に線を刻む音。子どもが銅貨の丸を描いている声。村長が、白狐用の椀をどこに置いたか誰かに聞いている声。


 リュミナ村。


 今いる場所。


 守らないといけない場所。


 村人たちが集まってきていた。


「ミオさま、大丈夫か」

「顔が白いぞ」

「天の輪を見たのか」

「何か、神さまの言葉が?」


 ミオは首を振った。


「神さまの言葉じゃないです。たぶん、古いものの反応です」

「古いもの」

「空の輪が、少しだけ動いていました。でも、今はもう閉じました」


 説明としては、かなり雑だった。


 けれど村人たちは、それで少しだけ納得したようだった。分からないことを、全部分からないまま置くよりは、少し言葉がある方が落ち着く。


 白狐が一歩前に出た。


「今日の市は、広げすぎないでください。空が騒ぐ日は、余分なものを呼びやすい」

「白狐さまがそう言うなら」

「売るのは予定の分だけだ」

「見張りも増やそう」


 村人たちが動き出す。


 白狐はミオを見上げた。


「今のは、よい判断でした」

「どれが?」

「全部話さなかったことです」

「話しても、たぶん分からない」

「それもあります。ですが、分からないことを大きな言葉で飾ると、人は余計に怖がります」

「白狐さん、今日すごく先生」

「いつもです」


 いつもの返しに、ミオは少しだけ笑えた。


 けれど、胸の奥はまだ落ち着かなかった。


 R。


 赤い光。


 金属の壁。


 傷のついた手。


 レン。


 はっきりとは見えない。けれど、いなかったものがいるに変わった気がした。遠いどこかに、まだ誰かがいる。


 ミオは空を見ないようにして、広場の台へ戻った。


 木札の上に、今日売る予定の品が書かれている。麻袋二つ、紐二束、塩小袋ひとつ、乾燥野菜二袋。少ない。とても少ない。


 でも、ここからだ。


 この村を育てる。道をつなぐ。記録を整える。結界を直す。白狐の力を少しずつ戻す。


 そうしないと、あの白い輪へ近づけない。


 たぶん、レンにも。


「白狐さん」

「はい」

「今日は、空を見ない」

「それがよいです」

「でも、いつか見る」

「でしょうね」

「止める?」

「止めます」

「止めても?」

「あなたは、聞かないでしょうね」


 白狐はため息をついた。


「ですから、その時までに、せめて麦がゆを多めに用意してください」

「そこ?」

「長い戦いになります」

「白狐さんの戦い、麦がゆ多いね」

「補給は重要です」


 ミオは笑った。


 その時、透明板が布の中で一度だけ淡く光った。


 今度は開かなかった。


 ただ、布越しに小さな文字が透けた。


[SKY RING TRACE / CLOSED]

――――――――――

観測語:R――

外部観測:遮断

再接続:非推奨

――――――――――


 ミオはそれを見て、すぐ布を重ねた。


 白狐は何も言わなかった。


 空の白い輪は、まだ頭上にある。


 村人たちは小さな市の準備を続けている。


 ミオは木札を一枚手に取り、今日の品数を書き足した。


 手は少しだけ震えていた。


 でも、線は引けた。


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