第117話 多すぎる供物
北の小祠という呼び名が村に広がると、第三標識の前は少しにぎやかになった。
にぎやかと言っても、祭りのような騒ぎではない。水場へ行く途中で手を合わせる人が増え、畑へ出る前に白い筋を見に来る人が増えた。子どもたちは「北」と小さく言ってから、神官に注意されて声を落とす。
悪いことではない。
祠が村へ戻り始めた証拠だ。
けれど、ミオは朝から少しだけ気になっていた。
第三標識の根元に置かれた石皿が、昨日より大きい。
「……増えてる」
石皿には、麦がいつもの倍くらい入っていた。豆も二粒ではない。五粒ある。塩も、包みが少しふくらんでいる。
誰かが、よかれと思って足したのだろう。
リタが石皿の前で、困った顔をしている。
「ミオ様、これは……」
「リタが置いた?」
「いえ。わたしが来た時には、もうありました」
「そっか」
白狐が石皿を見た。
耳は動いた。けれど、いつものような供物への期待ではない。少しだけ、まぶしいものを見た時のように目を細めている。
「白狐さん」
「多いです」
「やっぱり?」
「はい。供物としては心がこもっています。ですが、祠灯には少し重いです」
「重い、か」
ミオは透明な板をかざした。
第三標識の灯りが、ゆっくり揺れている。消えそうなわけではない。けれど、昨日までのぽう、ぽう、という落ち着いた灯りではなく、少し明るくなっては戻り、また明るくなっている。
[OFFERING CHECK]
――――――――――
供物量:前回比増加
麦:多め
豆:五粒
塩:多め
祠灯:揺れあり
祈り場反応:未乱れ
――――――――――
「まだ乱れてはいない」
「では、大丈夫でしょうか」
リタが少しほっとしかける。
ミオは首を振った。
「今日だけなら、たぶん大丈夫。でも、この量が毎日になると、祠が落ち着かなくなる」
「多い方が、よいわけではないのですね」
「うん。気持ちは分かるんだけどね」
村人の一人が近づいてきた。
年配の女性だった。昨日、北の小祠の話を聞いて、何度も手を合わせていた人だ。手には、小さな布袋を持っている。
「あの、ミオ様。わたしも少し豆を持ってきたのですが」
「豆を?」
「北の小祠へ向かう道が見えたと聞いて、ありがたくて。家に残っていた分を少し」
「……見せてもらってもいい?」
女性は布袋を開いた。
中には、豆が十粒ほど入っていた。
リタが目を丸くする。白狐は黙っている。神官は少し離れたところで、こちらの様子に気づいて歩いてきた。
ミオは布袋を見てから、女性の顔を見た。
責める話ではない。
この豆は、欲ではなく、感謝だ。
だからこそ、言い方を間違えたくなかった。
「ありがとうございます。北の小祠のこと、うれしかったんですね」
「はい。村の外に、また祠があるなんて……。何かお礼をしたくて」
「その気持ちは、祠にも届くと思います」
女性の顔が少し明るくなる。
ミオは続けた。
「でも、今日はこの豆を全部置かずに、二粒だけにしませんか」
「二粒、ですか」
「はい。残りは、次の日や、その次の日に。少しずつ続けた方が、祠の灯りが落ち着きます」
女性は布袋を見下ろした。
すぐには納得しにくい顔だった。
神官が横に立つ。
「祠は、村の暮らしを削ってまで多くを求めません。毎日、続けられる量がよいのです」
「でも、少ないと、失礼には」
「少ないものを、心をこめて続ける方が、祠へ届きます」
白狐が静かに言った。
「祠は、今日だけの山盛りより、明日もある小さな皿を喜びます」
「神獣様……」
「豆を十粒置けば、たしかに豆は多いです。ですが、明日から何も置けなくなれば、祠はさびしくなります」
女性は布袋を握った。
それから、豆を二粒だけ取り出した。
「では、今日は二粒にします」
「ありがとうございます」
ミオは胸の奥で息を吐いた。
村人の善意が、祠灯を揺らしている。
それを止めるのではなく、続けられる形に戻す。
難しいけれど、これは必要な作業だった。
神官が石皿の前に座った。
「今日の供物を、いつもの量に戻しましょう。余った分は、明日以降のために預かります」
リタが麦を少し取り分ける。塩の包みも小さくする。豆は二粒だけ残す。女性が持ってきた豆も、そのうち一粒だけを加えた。合計で、いつもの二粒より一粒多い。
ミオが「あ」と言う前に、リタが気づいた。
「三粒になりました」
「うん」
「戻しますか」
「……今日は三粒でもいいかも」
ミオは透明な板を見る。
祠灯の揺れが、少しだけ落ち着いた。完全に昨日と同じではない。でも、強すぎる揺れは消えている。
白狐が豆を見た。
「三粒です」
「白狐さん、うれしそう」
「祠灯も落ち着いています」
「本音は?」
「三粒は、数えやすいです」
「そこ?」
リタが小さく笑った。
神官も、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
[OFFERING ADJUSTMENT]
――――――――――
麦:少量へ調整
豆:三粒
塩:少量へ調整
祠灯:揺れ縮小
村人感情:感謝/継続へ誘導
――――――――――
ミオはログを見て、少しだけ眉を寄せた。
村人感情、という表示は正しいのかもしれない。でも、目の前にいる人を、その言葉だけで見るのは違う気がした。
女性は、余った豆を布袋に戻している。
リタは石皿を整えている。
神官は、今日の分と明日の分を分けるために、小さな器を持ってきた。
白狐は三粒の豆を見ている。
そこにあるのは、感情という項目ではなく、それぞれの手だった。
ミオは透明な板を少し下げた。
「明日も、二粒か三粒くらいで」
「はい。三粒までなら、分かりやすいかもしれません」
リタが言った。
「二粒だと、たまに一粒転がりますし」
「転がる前提?」
「昨日、転がりました」
「そうだった」
白狐がうなずく。
「三粒は、安定します」
「供物として?」
「皿の上で」
「物理的な話だった」
年配の女性が、そこで小さく笑った。
笑えたなら、大丈夫だと思った。
神官が村人たちへ向き直った。
「北の小祠へ向かうためにも、今の祠灯を落ち着かせておくことが大切です。供物は、麦ひとつまみ、豆は二粒から三粒、塩は少し。家の暮らしを削らず、明日も持てる量でお願いいたします」
村人たちは静かにうなずいた。
誰かが「それなら続けられる」と言った。
その言葉に、ミオはほっとした。
続けられる。
それがいちばん大事だった。
古い祠へ向かう道では、祠灯が少しだけ揺れた。けれど、祈り場に着くころには落ち着いていた。中央の石はあける。供物は右。今日は小さな荷はなし。リタが石皿を置くと、三粒の豆がころ、と小さく鳴った。
白狐の耳が動く。
「いい音です」
「豆の音?」
「はい」
「白狐さん、今日は豆に厳しいね」
「供物運用の安定です」
ミオは笑いながら、透明な板をかざした。
祠灯は落ち着いている。朝の揺れは残っていない。供物の反応も強すぎない。北側へ伸びる細い筋も、消えていない。
[SHRINE STABILITY]
――――――――――
祠灯:安定回復
供物量:小量基準へ調整
北側線:維持
祈り場:乱れなし
――――――――――
「戻った」
「祠も、ほっとしているように見えます」
リタが言った。
「うん。多分、これくらいがいい」
神官が祠の前で手を合わせる。
「村の感謝は、少しずつお持ちします。明日も続けられる量で、また参ります」
その言葉に、祠の灯りがぽうっと返った。
強くはない。
でも、きれいに丸い光だった。
村へ戻るころには、第三標識の根元の灯りも落ち着いていた。朝のように揺れてはいない。白い筋も、北側へ細く残っている。
年配の女性は、豆の入った布袋を大事そうに持っていた。
「明日も、二粒か三粒ですね」
「はい。無理のない分で」
「分かりました。残りは、明日と、その次の日にします」
女性はそう言って、少し照れたように笑った。
ミオはうなずいた。
たくさん置くことより、明日も来られること。
今日、村が覚えたのは、たぶんそれだった。
夕方、第三標識の前には、いつもの量の供物が置かれていた。麦ひとつまみ、豆三粒、塩少し。皿は軽い。でも、灯りは落ち着いていた。
北へ伸びる白い筋も、消えていない。
ミオはそれを見て、胸の奥で小さく息をついた。
次へ進む道は、多く積むことで開くのではない。
続けられる量を、明日も置けること。
その方が、祠の灯りは長く残った。
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