第109話 祠灯
奥の石板が少しだけ見えたあと、祠の前はしばらく静かだった。
誰もすぐには動かなかった。ミオも、透明な板を下げたまま待った。供物台の光は細く残っている。祠の扉の隙間から見える奥の石板にも、一本だけ淡い線が灯っていた。
それは、祠が眠りながら片目を開けているような光だった。
「このまま、もう少し読める?」
「祠が見せてくれたところなら読めます。奥へ急がず、入口の灯りから見ましょう」
「うん。今日は、返事をもらえた分だけ見る」
ミオは透明な板を供物台へ向けた。指先が少し動きかけたが、板の端を握り直す。急がない。祠が出している光を、順番に読む。
[SHRINE INITIAL]
――――――――――
供物台:点灯維持
祈り入力:保持
奥部石板:微弱点灯
祠道外縁:接続維持
読み取り範囲:入口層
――――――――――
「入口層だけ読める」
「奥は、祠がもう少し目を覚ましてからですね」
「うん。今は入口」
言葉にしておくと、自分の手も落ち着いた。ミオは板の表示をゆっくり追った。
祠の中には、いくつかの古い項目があった。供物台、祈り場、祠灯、祠道記録、外縁祠群。最後の言葉に、ミオの目が止まった。
「外縁祠群……」
「祠が複数あるのですか」
「たぶん。ここ一つだけじゃない。ほかにも、つながってる祠がある」
リタが小さく息を吸った。
「ほかの村にも、祠があるのでしょうか」
「まだ分からない。でも、道は一つじゃなさそう」
ミオは表示を拡大した。地図のようには出ない。薄い線が、祠の奥から三方向へ伸びている。一本は来た道、第三標識の方。もう一本は北の森の奥へ。さらにもう一本は、東の低い丘の方へ向かっていた。
[OUTER SHRINE TRACE]
――――――――――
接続一:第三標識方面
接続二:北側外縁祠候補
接続三:東側外縁祠候補
状態:全系統休眠
現祠:入口応答
――――――――――
「三本ある」
「三つの道ですか」
「うん。ここから、ほかの祠に伸びてる。全部眠ってるけど、線は残ってる」
神官は祠の前で静かに頭を下げた。
「この祠は、道の終わりではなく、分かれ目だったのですね」
「分かれ目……うん。たぶん、外縁の祠道の入口」
「入口ですか」
「リュミナ村から見たら、ここが外へ出る入口。ここをちゃんと戻せば、ほかの祠にもつながるかもしれない」
言ってから、ミオは胸の奥が少し熱くなった。
村の外に、道がある。祠がある。さらにその先にも、祠がある。リュミナ村は山の端で行き止まりのように見えていた。けれど、古い仕組みの上では、外へ伸びる入口だった。
白狐が祠を見たまま、ぽつりと言った。
「ここは、見張る場所だったのかもしれません」
「見張る?」
「人を疑う見張りではありません。道を忘れないように、祈りを絶やさないように、外の祠と内の村をつなぐ場所です」
「白狐さん、思い出した?」
「いいえ。いま、そう感じただけです」
白狐の声は、少しだけ悔しそうだった。
ミオは何も言わずに、供物台を見た。麦と豆と塩の小さな包みが、静かに置かれている。神官の祈りが先で、供物は右、中央はあけたまま。その手順を通したから、祠は返事をした。
ここでも、ミオ一人ではなかった。
「祠灯って項目がある」
「灯りですか」
「たぶん。入口の灯り。つけるというより、灯る条件を見る感じかな」
白狐がうなずいた。
「よい見方です。祠が自分で灯せるように、場を整えるのです」
「うん。こっちから無理に明るくするんじゃなくて、祠が返してくれるのを待つ」
ミオは祠灯の項目を開いた。状態を見るだけ。表示は薄く、欠けている。
[SHRINE LAMP]
――――――――――
祠灯:待機
条件:祈り入力/供物応答/中央保持
祠側判断:自律点灯
現在状態:条件照合中
――――――――――
「条件はそろってるみたい」
「では、待ちましょう」
「うん」
神官が短く祈りを重ねた。
リタは供物の包みを少し整えた。中央をふさがないように、右の端へきれいに寄せる。白狐は何も食べず、供物台の横でじっと座っていた。
ミオは透明な板を胸の前に下げた。
何もしない。
待つ。
風が、少しだけ戻った。草がさわさわ鳴る。祠の屋根から、小さな土の粒が落ちた。割れた扉の隙間にある奥の石板が、一度だけ淡く光る。
次に、供物台の中央から、細い灯りが立ち上がった。
炎ではない。魔法の火でもない。石の内側からにじむような、やわらかい白い灯りだった。ぽう、と丸くふくらみ、供物台の上で小さく揺れる。
リタが声を漏らした。
「灯りました……」
神官は深く頭を下げた。
白狐の尾の先が、ふっと淡く光った。
今度は、さっきよりはっきり見えた。
「白狐さん」
「……気のせいではありませんね」
「うん。今のは気のせいじゃない」
「困りました」
「困るの?」
「少しだけ、戻りそうで戻らないのは、落ち着きません」
「そっか」
ミオはそれ以上、明るく言わなかった。
白狐は嬉しいはずだ。けれど、それだけではない。力が戻るということは、封印されていることも、失っているものも、思い出すかもしれないということだった。
祠灯は、消えずに揺れている。
[SHRINE LAMP STATUS]
――――――――――
祠灯:点灯
祈り入力:保持
供物応答:保持
外縁祠群:輪郭取得
白狐封印:微弱反応
――――――――――
「白狐さんの封印にも、少し響いてる」
「はい。隠すことでもありません」
白狐は供物台の光を見つめた。
「ただ、いまは祠のことを先に」
「うん」
ミオは表示を保存した。
祠灯が点いたことで、祠道の線が前より少し見えるようになった。第三標識へ戻る線。北へ伸びる線。東へ伸びる線。どれもまだ薄い。けれど、消えていない。
神官が言った。
「今日は、祠に灯りが戻りました」
「うん。入口だけだけど」
「入口でも、灯りです」
「そうだね」
ミオは祠を見た。
草に埋もれ、屋根が沈み、柱も傾いている。それでも、供物台に小さな灯りがあるだけで、祠はもう廃れた場所には見えなかった。
戻った。
全部ではない。
でも、最初の灯りは戻った。
リタが供物のかごを抱え直し、祠へ頭を下げた。
「また来ます」
「はい。次は、祈り場をもっと整えましょう」
神官がそう言うと、祠灯が一度だけ、ぽうっと強くなった。
返事のようだった。
ミオは透明な板をしまった。
奥の石板はまだ少ししか読めない。扉も、祠側の返事を待っている。外縁祠群も輪郭だけ。
それでも、祠は生きている。
そして、その先には、まだ眠っている祠がある。
リュミナ村の外へ続く道は、一つではなかった。
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