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06:王都の悪趣味

筆者:石臼翁



 この王都には、時折どうにも理解に苦しむ「流行り」というものが生まれる。ついこの間までは、猫も杓子も、西方の甘ったるい焼き菓子に目を輝かせていた。かと思えば、今度は揃いも揃って薄汚れた冒険者の真似事をしたがる。それもよりによって、我々が住むこの下町の、ごみごみとした裏路地をうろつくのが「粋」なのだそうだ。いったい誰がそんな馬鹿げたことを言い出したのやら。


 先日の昼下がりも、私の店の前を、見慣れない一団が通り過ぎていった。男も女も、わざと泥で汚したような革鎧に身を包み、腰には使い古したように見せかけた小剣を提げている。

 だがその革鎧は上質な仔牛の皮でしつらえられ、泥の汚れも本物ではなく、汚し加工とやらを専門の職人が腕によりをかけて施したものだ。提げている小剣も、柄にはさりげなく宝石が埋め込まれている。

 何より、彼らの肌は日に焼けることを知らず、その手は土や汗とは無縁の白魚のようだ。およそ冒険者などという泥臭い稼業とは、天と地ほどもかけ離れた身なりの若者たち。言うまでもなく、王都の上地区に住まう貴族の御曹司やご令嬢たちである。


 彼らは、きゃあきゃあと意味のない嬌声を上げながら、古びた酒場の暖簾を物珍しそうにくぐっていった。あの酒場は、日雇いの傭兵や荷運びたちが、一日の汗の対価として手にした銅貨数枚を握りしめ、ぬるいエールで乾いた喉を潤すための場所だ。そこで出されるのは、硬い黒パンと、塩辛い豆の煮込みくらいのもの。それを、かの若者たちは「素朴で趣がある」などと言いながら、銀の匙でちびちびと口に運ぶのだろう。そして、普段は口にすることもない安酒を一杯だけ呷り、「本物の味がする」などと知ったような口を利くに違いない。まったく悪趣味にもほどがある。


 私に言わせれば、これは一種の「貧乏ごっこ」だ。彼らにとって、我々庶民の暮らしは、安全なガラス窓の向こうから眺める、刺激的で目新しい見世物に過ぎない。彼らは、いつでも綺麗な屋敷に帰ることができるという絶対的な安心感を担保にした上で、ほんの束の間だけ、我々の日常を「体験」しに来る。それは、動物園の檻の前に立って、珍しい獣の生態を観察するのと本質的には何ら変わらない。我々の生活は、彼らにとって現実ではない。ただの娯楽であり、退屈な日常を彩るためのスパイスなのだ。


 面白いのは、この悪趣味な流行りが、我々下町の人間にもささやかな恩恵をもたらしていることだ。先の酒場の主人は、貴族様ご一行が物珍しさから落としていく金貨のおかげで、店の屋根を葺き替えられたと喜んでいた。路地の隅でガラクタを売っている男は、貴族の令嬢に「アンティーク」とやらと勘違いされた錆びた燭台を、信じられないような高値で売りつけたと笑いが止まらない様子だった。彼らは、貴族たちの無知と傲慢さを、したたかに利用している。それはそれで、なかなかに痛快な光景ではある。


 しかし、だ。この滑稽な「ごっこ遊び」を見ていると、私は時々、彼らがひどく哀れに見えてくることがある。彼らは、本物の汗の味を知らない。己の腕一本で稼いだ金で飲む酒の、五臓六腑に染み渡るような旨さを知らない。泥にまみれ、傷つき、それでも仲間と笑い合うことの温かさを知らない。

 彼らが「本物」だと信じて追い求めているものは、すべてが作り物の、空虚な模造品ばかりだ。本物の泥を知らぬから、わざわざ職人に泥を塗らせる。本物の危険を知らぬから、安全な場所で冒険者の真似事をする。本物の人生の味を知らぬから、我々の暮らしを覗き見て、それを味わったような気になる。彼らのその心は、豪奢な暮らしとは裏腹に、ひどく乾いていて、満たされていないのではなかろうか。


 先日、そんな貴族の若者のひとりが、私の店にふらりと立ち寄った。そして、壁に掛けてあった古びた盾を指さした。それはかつて私が使っていたもので、オークの牙でつけられた深い傷跡が生々しく残っている、ただの鉄の盾だ。


「これをいただこう。素晴らしい装飾だ。いくらだ?」


 私は一瞬、言葉に詰まった。装飾。この、命を救ってくれた無骨な傷跡を、彼は装飾と呼んだのだ。

 私はただ静かに首を横に振った。「売り物ではございません。これは、わしにとっての『日常』そのものですからの」と告げながら。


 若者は、私の言葉の意味が分からなかったのだろう。つまらなそうに鼻を鳴らして、店を出ていった。

 それでいい。これは彼らが金で買えるような安っぽい「趣」ではない。我々が日々を生きるということ、そのものの重みなのだ。


 まあ、この悪趣味な流行りも、どうせすぐに廃れることだろう。次はいったいどんな「ごっこ遊び」が王都を賑わせるのやら。それを見物するのも、また一興かもしれない。



 -了-

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