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 それから数日後、私は再び甘味処でどら焼きを三つ買い込み、幹也くんの部屋へ届けに向かった。

「ちゃんと三つ買ってきたか?」

 相変わらずお礼ひとつ言わず、彼は部屋でゴロゴロしているだけだ。しかもリクエストは日に日にエスカレートし、「漫画を読ませろ」「マッサージしろ」と、まるで私を私を召し使いのように扱ってくる。

 幹也くんの役に立ちたい一心で、できる限り応対してきたつもりだが、本当にこれでいいのだろうか。毎日のように「あれやって」「これして」と言われる一方で、彼の本当の後悔――その核心にはいまだ触れられずにいる。

「たまには、部屋の掃除くらいしたらいかがでしょうか?」

 私はわざと、皮肉な言い方をした。部屋の散らかり具合は目に余るものがある。あんなに綺麗だった空間も今や足の踏み場はなく、空き缶やチラシがあちこちに散乱していた。旅館の客室なら専門の清掃員が入るものだが、天の湯では身の回りの整理整頓は基本的に本人の役目だ。しかし、あまりに汚れがひどくてつい口を挟まずにはいられない。

「ほら、これはゴミ箱でしょ? なんでもかんでもテーブルの上に置くのは良くないよ」

「面倒くせーじゃん。捨てるの」

「ゴミ箱なんてすぐここにあるでしょう。そんなちょっとしたことを面倒がってたら、何も片づけられなくなるよ」

「説教おばさんかよ」

「……なっ」

 生意気な口調にムッとしながらも、散らかった本や紙屑をひとつずつ代わりに拾い集める。誰のためでもなく、自分がそうしないと気済まないのだ。

「向こうでもそうだったの?」

 私は手を動かし続けながら、声だけ投げかける。

「向こうって何だよ」

「現実でもこんなふうにダラダラして、部屋の片づけもできない人だったのかなって」

「お前に関係ねえだろ」

「どうせお母さんに片してもらってたんでしょう。なんだか目に浮かぶよ。幹也くんがそうして寝転がってる横をお母さんが文句を言いながら掃除機をかけたりしてさ――」

 その時。突然幹也くんがドンッ!! と思い切り畳を叩いた。

「ペラペラと知ったようなこと言いやがって。あいつの話は二度とすんじゃねーよ」

 そう言って、幹也くんは私に背を向けてしまった。胸が早鐘のように打つ。まさかここまで怒るとは思わなかった。 ……もしかして、幹也くんの心に引っ掛かっている人物って……。 頭に浮かんだ可能性を本人に聞くことはできなかったが、私は初めて彼の、感情の揺れを見た気がした。


 その後、私は浅の間を追い出されてしまった。しばらく歩いていると、どこからともなくチリンチリンと風鈴の音が聞こえてきた。顔を上げると、無数に吊るされた風鈴の中で、一つだけが大きく左右に揺れている。

 ――あれは、幹也くんの風鈴だ。

 呼び鈴の役目もある風鈴燈籠には個人の名前が記されているわけではないけれど、なんとなくあれが幹也くんを表すものだと分かる。そして、揺れている理由が私を呼び出すものではなく、心そのものが揺れているという意味だということも。

『あいつの話は二度とすんじゃねーよ』

 きっと私が、最も触れてほしくない彼の傷に触れてしまったのだろう。

 自分の母親を「あいつ」と呼んでいた幹也くん。スマホを何度も取り出しては画面を見つめていたのは、特別な女の子の写真なのだと思い込んでいたけれど、その視線の先にあったのは、きっと……。

「あら、花も休憩?」

 バックヤードを抜けて地下の部屋を開けると、そこにはうぶめさんがいた。最初は地下牢獄かなにかだと思っていた場所は湯坐たちが使う休憩室であり、元々は貯蔵庫だったらしい。

「いえ……ここに来れば誰かいるかな、と思って」

「ん? なにかあったの?」

 うぶめさんか岩さんがいたらいいなと思っていたから、ちょうど良かった。

 「幹也くんのことなんですけど……」と、言いかけて視線が止まる。 休憩室にはうぶめさんひとりだけだと思っていたけれど、うぶめさんの膝の上で雨と雪が並んで眠っていた。

「お昼寝中ですか?」

「昨晩も誰かの部屋に忍び込んでイタズラしてたみたいなの。得意気にその話をしてる内にいつの間にか眠くなっちゃったみたいで」

 起きている時はあんなに騒がしいふたりはよほどうぶめさんの膝枕が気持ちいいのか、ぐっすりと目を瞑っている。つい顔を近づけ、頬をそっと撫でてもまったく起きる気配がない。

「なんだかこうしてると親子みたいですね」

「え?」

「いや、雨と雪はうぶめさんに懐いてますし、お姉さんというよりかは……」

 お母さん、と言ったら失礼だろうかと、唇が迷う。うぶめさんが綺麗なお姉さんであることに変わりはないが、そこに母性愛のようなものも少なからず感じることがあった。

「ふふ、ありがとう」

うぶめさんはにっこり笑いながら、雨と雪の髪をそっと撫でた。

「私はね、『産女』って書くあやかしなのよ」

 そばにあった和紙に書いてくれた文字。読みもそのまま「うぶめ」だという。

「あやかしというのは、同じ意味を持った存在が各地に何人もいるものなの。産女というあやかしが生まれたきっかけは妊娠中に死んでしまった女性をそのまま埋葬したことによる怨みから生まれたものだと聞いているわ」

 うぶめさんがあやかしだということは分かっていたつもりだったけれど、生まれた理由にそんな悲しいことが隠されていたなんて知らなかった。

「子供を産めなかった悔しさ。子供が欲しいという妬み。子供がいるのに大切にしない親を脅かしたり、可愛い子供を見ると拐いたくなるようなあやかし。それが産女っていうあやかしの本来の姿なのよ」

 うぶめさんの表情が、一瞬切なく曇った。私はあわてて駆け寄り、頭を下げる。

「す、すみません……。何も知らずに親子みたいなんて言ってしまって」

 うぶめさんが子供好きなことは気づいてた。面倒見がいいと、簡単な考え方しかしてなかったけれど、きっとうぶめさんは子供が欲しいという願望が今でもある人だ。雨と雪を撫でる優しい顔を見れば分かる。

「本当のことを知っても、怖くないの?」

「え?」

「私からすれば、花も十分子供よ。だって私は何百年も生きてきたんだもの」

 怖いなんて思わなかった。ただ、自分が無意識のうちにうぶめさんを傷つけていたかもしれないと思うと、胸がざわついただけだった。

「……正直に言うと、まだあやかしに対する恐怖心はあります。でも、うぶめさんのことはこれから先、何があっても怖いなんて思わない」

「どうして?」

「うぶめさんと一緒にいると、安心できるからです」

 そばにいるだけで心が安らぐ人。困った時、どうすればいいかわからない時、真っ先に相談したい相手――それが、うぶめさんだ。

「ありがとう、花」

 うぶめさんは微笑むと、そっと私を抱きしめてくれた。いい匂いがして、とても温かい。

「私はこれからも子供を産むことはできないけど、母親ってきっとこういう気持ちなのね」

「……?」

「どんなことがあっても、子供を守るためなら強くなれる。私でさえそう感じるんだから、本当のお母さんはもっともっと、わが子を愛おしく思うに違いないわ」

 胸がチクンと痛んだ。顔さえ思い出せない自分のお母さんのことを、ふと考えてしまったから。

 自分がどんな毎日を送って、どんな家庭で育ったのか、私は何も知らない。けれど私は、お母さんやお父さんよりも早く死んでしまった。『親より先に逝くなんて、いちばんの親不孝だ』と言うけれど、それは幹也くんにも当てはまる。

 もし幹也くんの後悔の相手が〝お母さん〟だとしたら、まだ伝えたいことが山ほどあるはずだ。

「あの、うぶめさん……」

 話を切り出した瞬間、膝枕で寝ていた雨と雪が同時にムクッと起き上がった。どうやらうぶめさんに抱きしめられた体勢のままだったので、負荷がかかっていたらしい。

「うう、花、重いよー」

「わっ、ごめん!」

「何の話してたの? 楽しい話?」

「う、ううん、なんでもないよ!」

 結局タイミングを逸してしまい、幹也くんのことは何も相談できずじまいだった。


 休憩室を出て、天の湯の廊下を歩いていると、たくさんのお客さまとすれ違った。年齢もバラバラで、表情だけを見ればここでの生活を有意義に過ごしているように見えるけれど、心の内側までは分からない。

 ……私は幹也くんになにをしてあげられるだろう。なにをすればいいのだろうか。はあ、と深いため息を漏らしたところで、「うるさいな」と低い声が聞こえてきた。

「み、御影さん」

 私は丸まっていた背中をピンッと伸ばす。

「なんとかしろ。うるさくて昼寝もできない」

「うるさいって?」

「中途半端に心を突っついたんだろ。風鈴燈籠がずっと鳴りっぱなしだ」

 あれから幹也くんの風鈴は、たしかにずっと揺れ続けていた。チリンチリンと激しく鳴っているのに、私の足は浅の間に向かうことを避けている。

「……幹也くんの後悔は、現実に残してきたお母さんのようです。しきりにスマホを気にしていたので、きっと伝えたいことがあるんだと思います」

「…………」

「スマホが使えないことは分かってます。なら、幹也くんを一度だけでもお母さんに会わせることはできませんか?」

 死因が事故ならば、なにも言えずに別れることになってしまったに違いない。だから、なんとかして幹也くんをお母さんに……。

「無理だな」

 私の気持ちを跳ね返すように、御影さんは即答した。「常世の人間は、どんな手段を用いても現世の人間に会うことも話すこともできない。それが死ということだ」

 なぜかドクンと、私のほうが動揺してしまった。

 会いたい人に、もう二度と会えない。分かっているつもりで、分かっていなくて、理解しようと努力して理解できていなかったこと。

 御影さんの言葉で、私は死ぬということの重みに、やっと気づいた。

「それなら、どうしたらいいんですか? 会いたい人に会うことが後悔だったら、どうやって洗い流せばいいんですか?」

「お前、ここがどこだか忘れたのか?」

「……え?」

「ここは湯屋だ。会いたい人に会わせる湯はないが、会いたい人の顔を見せる湯ならある。連れてこい。案内だけならしてやる」

 瞳をぱちくりさせていると、「さっさと行動しろ」と怒られてしまい、私は急いで浅の間に向かった。


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