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 その後バックヤードでうぶめさんに会い、私が担当になった少年の情報を少しだけ聞いた。

 名前は、楢橋幹也(ならはしみきや)。年齢は中学三年生の15歳で、彼の死因は私と同じで事故死だったという。私自身はまったく事故の記憶がないけれど、痛みやショックをわりと覚えている人は多いそうだ。

 私はまだ自分が死んだことを認められずにいるが、幹也くんはどうなのだろう。周りは見たこともないあやかしだらけのこの世界で、もしかしたら私と同じように戸惑っているんじゃないかと思った。

 手がかかるお客さんならうぶめさんが代わりに対応してもいいと言ってくれたが、私はそれを断った。

 いきなりとはいえ、私が任された仕事だし、なるべく自分の力でやってみたい。

 うぶめさんから甘味処の場所を教えてもらい、早速向かうことにした。外に出たのは、私がここを訪れた時以来だから三日ぶりのこと。肺を通っていく空気が美味しく感じられ、履き慣れていない下駄の歩き方も、なんだか軽やかだ。

「おや、花さま。お出かけですか?」

 まだ光の灯っていない石灯籠が並ぶ道。そこには緋毛氈が敷いてある長腰掛があり、日差し避けの番傘の下にカマイタチの椿、翼、司がいた。

 仲良く座っている三匹は、光沢のあるゆで卵を食べていた。地面に着かない短い足を宙に浮かせ、卵を両手に持ちながら頰張る姿は、不覚にも可愛くて思わず微笑んでしまった。

「えっと、ちょっと甘味処に」

「おお、では五丁目に向かわれるのですね。この極楽たまごもその通りで買ったのですよ。ほら」

 椿が見せてくれた竹籠には、苺のように真っ赤卵が入ってえた。ビックリとして思わず手で確認すると、ほんのりと温かく、少し重みもあった。

「これはここの温泉を使って茹でたたまごなんですよ。天の湯の湯気に含まれる特別なガスが卵に化学反応を起こして、この独特の色合いになるとか。味付けなしでもじんわり塩気があって、とろりとした黄身が大人気。午前中にはいつも売り切れちゃうんですよ」

 椿はそう言うと、色鮮やかなゆで卵を頬張った。 本当に美味しそう……。別に催促したわけではないのに、私が物欲しそうに見えたのか、つり目の翼はたまごを取られまいと睨んできた。

「食べたいなら自分で買ってこいよ。まあ、今日分はもう俺たちが全部食ったから無理だけどな」

 ほくそ笑みながら、わざとらしく二個目のたまごを一口で食べてしまった。

「そんなこと言ったら可哀想だよ。僕のを分けてあげる……わわ、落としちゃった。砂利だらけだ。どうしよう」

 心優しい司は、悲しそうにしょんぼりしている。

「洗えば食べられるかも。よかったらその卵、もらってもいいかな?」

 私は砂利まみれになった卵をそっと拾い上げた。

「え、あ、き、汚いです。新しいものを……」

「平気。このぐらいでお腹を壊したりしないから」

 そういえば、食べ物を粗末にしてはいけないと誰かに教わったような気がする。でも誰に言われたかは、どうしても思い出せない。

「ふん、俺たちに媚びたって得することなんてないぜ」

 翼が不機嫌そうに長椅子からひょいと降りた。

「花さま。こんな場所で油を売っていてよろしいのですか? 甘味処に行かれるのでしょう?」

 椿の言葉に、ハッと本来の目的を思い出す。

「我々も休憩は終わりですし、お仕事にお戻りください。それと、これは最後のひとつです」

 椿は私の手の中で、砂利のついた卵と綺麗な新しい卵をそっとすり替えた。

「え、でも……」

「構いませんよ。私たちはいつもいただいていますから」

 椿の優しい視線に遠慮しても失礼だと思い、私は卵を受け取って小さく会釈した。

「お気をつけて、いってらっしゃいませ」

 椿と司がそろって手を振る。翼は無言のまま、つんと背を向けていた。


 私は甘味処に向かいながら、椿にもらったたまごを一口食べた。……うわ、美味しい。半熟はあまり得意なほうではなかったけれど、これなら何個でも食べられてしまいそうだ。口いっぱいに広がる絶妙な塩気と、とろとろの黄身が、心を優しく包んでくれる。

「いらっしゃいませ。美味しい甘栗がありますよ」

「焼きたての醤油煎餅はいかがですか?」

 しばらく歩くと、瞳に映る景色がガラリと変わった。

 天の湯の周りは温泉の匂いが漂っていたのに、今はあちらこちらで食べ物の香りであふれている

 うぶめさんの説明では、五丁目の甘味処までは歩いて10分ほどだと言っていた。土地勘もないし、近くと言ってもたどり着ける自信はあまりないが、おそらくこの通りのどこかに甘味処があるはず。

 辺りを見渡しながら進んでいるうちに、お祭りの出店のようなものが並んでいる賑やかな場所に出た。歩きながら色々と買うことができるみたいで、白い浴衣のお客さまがお面をつけた人たちから商品を受け取っているのが見えた。

 お面をつけた人は、おそらく湯屋で働く人と同じであやかしだろう。見た目は人間と変わらないけれど、可愛らしさよりもリアルさを引き立てているウサギやネズミやオオカミのお面を付けていた。

「あなたは、最近ここで働き始めた人間さまではありませんか?」

 そう声をかけてきたのは、ヒツジのお面をつけた人だった。立て看板には『極楽団子』と書かれ、お餅の甘い香りがふわりと漂っていた。

「え、あ、はい……」

「やっぱりそうでしたか! ではぜひ、私の作った団子を召し上がってください」

「でも、お金が……」

「この世界にお金という概念はございません。私たちの役目は美味しいものを作って、ここで過ごす皆さまの心を少しでも満たすことですから」

 きっと笑いかけてくれているのだろうけど、お面のせいで表情が分からない。お金を払わずにもらうのは気が引けるが、「遠慮なさらずに」とヒツジの人は笑顔でお団子を差し出してくれていた。

「では、いただきます」

 そう言って手を伸ばした――その時。

「やめろ」

 低く響く声にハッと横を見ると、そこには御影さんが立っていた。

「え、なんで……?」

 私の手は、団子に届く寸前で止まっていた。

「誰がここで商売をしていいと言った?」

 御影さんの視線は、ヒツジの人に向いている。

「な、なにをおっしゃっているのです? 私は他のあやかしと同じように、この場所で団子屋を営んでいるだけです」

「ふーん。じゃあ、その面は何だ?」

「は、はい?」

「ここにヒツジの面を着けてるやつはいない。認めないと言うのなら痛め付けて吐かせるしかないな」

 先ほどまでの和やかな空気は、一瞬にして張り詰めた緊張へと変わった。

「ちっ……」

 すると、ボンッ! という小さな破裂音とともに煙が立ち上り、気づけばヒツジのお面の人も、団子屋そのものも姿を消していた。一体、なにが起こったのだろう。ぽかんと口を開けたまま立ちすくんでいると、御影さんがただの空き地になった場所を見渡し、ため息を漏らした。

「あれは、うちのあやかしじゃない。ここの面はすべて、神に仕える動物を模したものだ。やつらは賑やかな所に紛れ込んで、毒入りのものを食わせようとするんだ」

 ……ど、毒入り? 呑気に食べようとしていたお団子が、そんなに危険なものだったなんて――。

「ここにいる限り空腹にはならないはずだが、人間は食べることで安心を得る生き物だから、そこを狙われるんだ」

「……もし毒入りのものを口にしていたら、どうなっていましたか?」

「意識を失ったところで、連れていかれるさ。向こう側へな」

 前にも聞いた言葉――『心の隙間』や『向こう側』とは、一体なにを意味するのだろうか。御影さんに尋ねようとしたその時、どこからともなく黄色い声が飛んできた。

「若さま、おいでください!」

「新作の試食いかがですか!」

 カエルやシカのお面をつけた人たちが、こっちに向かって手を振っている。しかし、御影さんはその声に反応することはなかった。

「む、無視していいんですか?」

「ああ。俺に気に入られたらいいことがあると思ってるだけだからな。そんなことよりお前は、見習いの分際で休憩か?」

「違いますよ。浅の間のお客さまに甘いものが食べたいと頼まれたので、甘味処を探していたところでした」

「ふん。さっそくなめられているな」

 ……ひ、否定できないのが悔しい。反論せずに口をごもっていたら、御影さんは再び歩き始めた。

「なにをしてる。早く来い」

「え?」

「食い意地の張ってるお前だから、またヒツジから毒をもらうかもしれん」

 甘味処まで案内してくれるつもりなのかもしれない。一応心配をしてくれてると思いきや、「尻拭いするのはこっちだからな」と、釘を刺されてしまった……。

 御影さんの案内のもと、私は甘味処を目指した。周りはとても騒がしいのに、私たちはずっと無言で、なんだかすごく気まずい空気が流れていた。

「あ、あの。どうしてみんなお面を着けているんですか?」

 なにか会話をしたほうがいい気がして、自分から話を振ってみた。

「屋敷で働くあやかしとは違い、顔を晒したくないやつもいる」

「そう、なんですね」

 頑張って話題を探したのに、話はすぐに終わってしまった。

「わあ、これ美味しい」

 そんな中、すれ違う人たちは嬉しそうに食べ物を頬張っていた。みんな注文をすればなにも払わずに商品を受け取っているし、本当にお金は必要ないみたいだ。

「それにしても本当に賑わってますね。ここが死後の世界だということを忘れてしまいそうなくらい」

「湯屋に食事処がないからな」

 たしかに湯屋には厨房もコックもいない。私も食べたいという気持ちはあっても食べなくても平気だし、思えば先ほどのたまごが三日ぶりにした食事だった。

「あやかしは、食事をしなくても平気なのですか?」

「食べたいという欲求はあるが、食べなくても生きていける。お前みたいに匂いにつられてつい買ってしまうやつもいるけどな」

 椿たちは毎日『極楽たまご』を食べていると言っていた。あやかしも人間同様、空腹にはならなくても、なにか口にしたいと思うことがあるようだ。

「わ、若さま。どうなさったのですか?」

 目的の甘味処に着くと、ニワトリのお面を着けた店員が驚いた様子で近寄ってきた。

「用があるのは俺じゃなく、こいつだ」

「あ、えっと、甘いものが欲しいんですけど、商品はなにがありますか?」

「うちは極楽どら焼きの一種類しか置いていません。味に自信がありますので、皆さま一度ご購入すれば必ず再度ご来店されますよ」

 身を乗り出して店の奥を見ると、手際よく生地を焼き、こしあんと角切りの黄色い具を丁寧に挟んでいた。

「あの黄色いのは何ですか?」

「さつまいもでございます。こしあんとの相性は抜群。ここでしか味わえないどら焼きです」

「それでは、六つください」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 出来上がったどら焼きは、一枚ずつ紙ナプキンで仕切られ、茶色い紙袋に収められている。両手で包むと、ほんのりとした温かさがじんわり伝わってきた。


「客はひとりだろう。どれだけ食い意地が張ってるんだ」

 帰路の途中、御影さんが呆れたように言った。

「違いますよ。これはみんなの分です」

「みんなって?」

「うぶめさんに岩さん、それから椿さん、司さん、翼さん。六つお願いしたんです」

 みんなも喜ぶかなと思って、深く考えずに六つ注文していた。

「それじゃ、お前の分が残ってないじゃないか」

「ほんとだ……すっかり忘れてました」

 思わず笑うと、御影さんは大きなため息をついた。

「人の親切を、そのまま信じるなよ」

「え?」

「人間は誰かに優しくされるとすぐ心を許す。そこを狙うのが、あやかしの得意技だからな」

「そんな物騒なこと言わないでくださいよ。そもそも『働け』って命じたのはあなたでしょう? 気を許すなって言われても……」

「別に難しい話じゃない。常に気を張ってろってことさ」

 それならば、御影さんも敵なのだろうか?

 乱暴だけど、困っていれば声をかけてくれる。怖い人じゃないのかもしれないと思いかけていたところだったのに。

「人間とあやかしは、そもそも相容れない関係だ。本当に危ない目に遭いたくなければ、肝に銘じておくんだな」

「……はい」

 返事はぎこちなくしか出なかった。御影さんは一体、どちらの味方なのだろう。相容れないと言いながらも、彼の瞳はどこか寂しげだった。


 湯屋に戻ると、御影さんは「ちょっと仕事がある」と言い残してどこかへ消えてしまった。

 私は外出用の羽織を元に戻そうとバックヤードへ入ると、ちょうどうぶめさんと岩さんに出くわした。買ってきたばかりのどら焼きを渡すと、二人とも目を輝かせて喜んでくれた。椿たちには外で会えなかったので、うぶめさんが後で探して届けてくれるそうだ。

 結局、自分のぶんは買いそびれてしまったうえに、今日はまだゆで卵しか口にしてないけれど、誰かに喜んでもらえるとそれだけで胸がいっぱいになる。

 ……そういえば、御影さんが追い払ったヒツジはとてもいいことを言っていた。

 ――〝私たちの役目は美味しいものを作って、ここで過ごす皆さまの心を少しでも満たすことですから〟

 その〝おもてなし〟の精神にぐっときたのに、あれは私を騙すための嘘だったのか。それとも周りにいるあやかしたちに溶け込むための心遣いを身につけているのかもしれない。

 なにより、あのヒツジは私が働いていることまで知っていた。こっそり情報を探り回っているのだろうか。

何の目的で――。 いや、深入りは禁物。野生の勘なんてないけれど、直感でそう感じた。


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