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屋敷の連なる迷路のような空間から逃げ出したいのに、走っても走っても建物が途切れない。高い石塀が威圧的にそびえ、角枠障子の窓に掛けられた竹のすだれが、赤い光を飲み込んで闇に溶け込む。
「ハア……ハア……」
足元は薄暗く、煙突から立ち上る湯気が風に流されて視界をさらに曇らせていた。
出口はどこ? どこなの?
屋敷の間の細い路地を抜けても、また別の屋敷にぶつかる。右に曲がり、左に進んでも、景色は変わらない。焦りと不安が膨らむにつれ、足はどんどん速くなる。
お客さまとと呼ばれた人たちが消えた赤い暖簾の屋敷はどこだったか。あの不気味なイタチたちから逃げられているのかさえ、分からなくなっていた。
ひとまず通ってきたトンネルを探そうとしたが、それらしい場所は見つからない。ぐるぐると走り回り、足の感覚が麻痺してきた頃、ようやく屋敷の連なりが途切れ、開けた場所に出た。
そこには今までの道とは異なる、深く飲み込むような闇が広がっていた。雑木を揺らす風の音が、まるで誰かの呻き声のように響く。
ゴオオオッ…。この先に巨大な穴があるかのように、湯気を吸い込む音が空にこだましていた。ひょっとしたら、あのトンネルがあるかもしれない。行ってみようと、慎重に足を前に出した――その時。
「どこへ行くつもりだ」
背後から、胸を突き刺すような低い声が響いた。驚いて振り返ると、そこには美しい男性が立っていた。
柳鼠色の着物に紺の羽織を纏い、風に揺れる細い髪が白檀の甘い香りを運ぶ。彼の鋭い視線が私を捕らえ、薄水色の瞳は妖艶で、背筋がぞくりとするほどだった。
あまりに美しい容姿に一瞬見とれたが、私はすぐにあることに気づいた。彼は人間そっくりなのに、頭には獣のように尖った耳が生えていた。
――あやかし。さっきのイタチの言葉が脳裏に蘇る。やっぱり、ここは普通じゃない。関わっちゃダメ。巻き込まれたくない。暗闇の先に逃げようとした瞬間、腕を強く掴まれた。
「お前の道はそっちじゃない」
「離してください。私は早くここから帰りたいんですっ!」
すると、再びうめき声のような風が吹き抜けた。まるで『こっちへおいで』と囁くような、不気味な誘いだ。
「目障りだな」
彼が鋭い視線で暗闇を睨むと、風は嘘のように止み、辺りは静寂に包まれた。何かが消えた――見えない何か。彼の視線だけで、まるで異形の存在を追い払ったかのようだった。
「あいつらは心の隙間を狙って誘い込む。そっちに行けば、もう光ある場所には戻れない」
……脅し、じゃないことは、瞳を見て理解した。
高ぶっていた心が急に静まり、説明できない涙がじわりと溢れてきた。
「なんなんですか……。私、なんでここにいるんですか。どうすればいいんですか……」
これはきっと夢ではない。夢ならば、こんなに口いっぱいにしょっぱい味は広がらない。
「幼いな、お前」
「幼いって、私は高校生……きゃっ」
言い終わる前に、彼に突然抱き上げられた。お姫様抱っこされた私は、驚きのあまり手足をばたつかせた。
「な、なにするんですかっ、下ろしてください!」
必死に抵抗したが、彼は動じず、私が走ってきた道を悠然と引き返す。
「どこに行くんですか? 下ろして、下ろしてよ!」
「騒ぐと噛むぞ」
「……か、か、噛む!?」
冗談ではなく、本当にやりかねないと思い、抵抗することをやめた。大人しくなった私を確認した後、彼は下駄の音を軽やかに響かせながら歩き出す。
白檀の香りで頭がクラクラした。