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 次の日。空は幹也くんの心と同じく、雲ひとつない快晴だった。天の湯の前には、うぶめさんと雨と雪の姿もある。

「また遊ぼうね、人間のお兄ちゃん」

「うん。またすぐ来てね!」

 幹也くんに向かって無邪気な言葉をかけるふたりに、うぶめさんは「こら」と叱りつつ、いつもの微笑みを見せていた。

 これから天国に向かう幹也くんは、お客さま用の白い浴衣ではなく、自分の私服に腕を通している。肉眼では分からないけれど、この先をまっすぐに進むと、後悔を洗い流したお客さましか通ることのできない道が現れるそうだ。

 幹也くんの顔には、もう後悔の色はない。彼の母さんがこれからどう立ち直るのか見届けることはできなくても、幹也くんはあまり心配はしていないように見えた。

『前に進む勇気が俺にもあったんだから、母さんにないはずはない』

 映し湯を離れる直前、独り言のようにそう呟いていた言葉を、私はそっと聞いていた。幹也くんを産んでくれたお母さんなら、私も大丈夫だと信じている。

「幹也くん」

 私は、すっかり凛々しくなった彼に声をかけた。

「なにもかも手探りで、私は本当にダメダメだったけど……初めてのお客さまが幹也くんでよかった」

 慣れないことばかりだったけれど、幹也くんの旅立ちの手助けを少しでもできたことを誇りに思う。

「来た時とは違い案内役はいない。自分の足で進んでいけ」

 すると、白檀の香りとともに御影さんがひょっこり現れ、見送ってくれた。幹也くんはみんなの顔と、自分が過ごした天の湯の屋敷をじっと見つめ、ゆっくりと歩き出した。 そしてふいに振り返り、私に向かって大きな声で叫ぶ。

「お前も頑張れよ! ありがとうな……!」

 泣いてはいけないと必死に我慢していたのに、その言葉に胸が熱くなり、私は涙をこらえきれなかった。

「幹也くん、いってらっしゃい!」

「おう!」

 ニカッと白い歯を見せて手を振る彼のことを、うぶめさんたちは従業員として見送っていたが、私はまるで大切な友達との別れのように姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。

「……天国って、どんな場所なんでしょうか」

 私の呟いた声を拾ってくれたのは御影さんだった。

「さあな。それは行ってみた者にしか分からない」

「そうですよね……」

「でも、『天香国色』という名の、とてもいい香りの花が咲いているらしいぞ」

「てんこうこくしょく、ですか?」

「ああ。一度そこへ行った者は二度と出戻ってはこない。そのぐらい心地いい場所なんだろう」

 その瞬間、花の香りが風に乗って、私の頬を撫でたように感じた。幹也くんの姿はもう、私の瞳からすっかり消えていた。新しい場所で、ゆっくり過ごしてほしい。そして叶うのなら、彼がもう一度お母さんに会えるように願った。

「初めての客を見送った感想は?」

「……正しい言い方じゃないと思いますが、寂しいです。それと、今さらですが自分の不甲斐なさに反省しています」

 もっと手助けできたはずなのに、役に立てなかった場面ばかりが脳裏をよぎる。

「でも、そういう一生懸命さがあいつの母親への本音を引き出させたんだろう? 湯坐としてはまだまだかもしれないが、見習いとしてはよくやった」

 御影さんに頭を撫でられて、私は唇を噛み締めた。

「私、もっと頑張ります!」

 成り行きで働くことになった場所だけど、しっかりと自分のやれることをやっていきたい。

 

 ここは極楽通り四丁目のあやかし湯屋。

 後悔を胸に抱えた人だけが訪れる、天国に一番近い不思議な温泉宿。

 私の見習い湯坐としての生活は、まだ始まったばかりだ――。


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