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序文


 ここが現実ではないと、なぜか直感で分かった。周囲は果てしない暗闇に包まれ、いつからここにいるのか、どうやってここに辿り着いたのか思い出せない。まるで出口のないトンネルを彷徨うような感覚だ。怖いのに、どこか見えない力に導かれるように、足は勝手に前へ進む。

 しばらく歩くと、大きな風を吸い込んでいる光の出口が見えた。眩しい光に目がくらみ、そっと瞼を上げて慣らすと――。

「……え、なにこれ……」

 目の前に広がっていたのは、まるで別世界のような夜の情景だった。まず飛び込んできたのは、入母屋造りの堂々とした屋敷が連なる光景。白い霧の中、提灯の柔らかな光が赤と金の彩りを浮かび上がらせ、闇に溶け合うように揺れている。

 鼻をくすぐる硫黄の香りに、ふと『温泉』という言葉が浮かんだ。よく見ると、長い煙突があちこちに立ち、辺りを包むのは霧ではなく、湯気のようだ。

 ……もしかして、旅館?

 私は知らず知らずに旅行に来てしまったのだろうか。でも手荷物はひとつもないし、着ているのも学校の制服だ。

 今日は学校に行ったっけ。いや、その前に今日は何月何日?  私は……どこから来た?

 なぜか、自分に関しての記憶がぽっかり抜けている。あれ、あれと頭を抱えていると、どこからか甲高い子どもの声が聞こえてきた。

「足元薄暗いですので、注意しながら一列に並んでくださいねー!」

 声の先に目をやると、長い人の列ができていた。旅行客だろうか。でも、家族連れではなく私と同じようにひとりの人ばかりで、腰の曲がったお年寄りからランドセルを背負った小学生もいる。辺りの雰囲気は華やかなのに、それぞれの表情はとても暗く、例えるならお葬式に参列しているような感じだ。

 な、に、ここ。なんか怖い……。奇妙すぎる光景に思わず後退りをしたら、後ろから声をかけられた。

小野崎(おのざき)(はな)さまですね」

「えっ」

 すぐに振り返ったけれど、そこには誰もいない。「こっちですよ、こっち」という声に、視線をおそるおそる下げてみた。そこにいたのは……人ではなかった。

「……ひぃぃっ」

 思わず悲鳴を上げ、腰が抜けてしまった私はその場にへたり込んだ。

「おやおや、お怪我はありませんか。お薬ありますよ」

「い、いや、来ないで……」

「落ち着いてください。我々は貴女に危害は加えません。大事なお客さまですから、丁重におもてなしをさせていただきますよ」

 円らな瞳で笑う顔の両頬には、しなやかに生えているひげがあった。細長い胴体と短い四肢をもち、鼻先をぴくぴくと動かしながらも、丸く小さな耳は私に真っ直ぐ向いている。

 喋っているだけでもありえないというのに、薄茶色をした〝イタチ〟は直立したまま立っていて、その手には提灯まで握っていた。

 これは……夢だ。夢に決まっている。なのに、尻餅をついた時にはしっかりと痛みを感じたし、地面に触れた手には汗と砂利がべったり付いていた。夢にしては、あまりにリアルすぎる。

 そんな中でも順番待ちの列は増えていて、私に声をかけてきたイタチの他に、もう二匹にいた。

「皆さん、ゆっくりと前に進んでくださ……わわ、すみません。ごめんなさい、誰かの足を踏んでしまいました……うう」

 こちらのイタチはタレ目で、そそっかしいのか謝ってばかり。

「おい。ぐずぐずするな。立ち止まったら切るぞ」

 こちらのイタチはつり目で、口調は乱暴だ。

 謎の施設に並ぶ人々と、それを誘導する三匹のイタチ。なにがどうなっているのか、わけが分からなすぎて頭が痛くなってきた。

「混乱されていますね。でも問題ありません。小野崎花さまは中人なので、こちらの列にお並びくださいな」

「ちゅう、にん?」

「はい。あっちの少々抜けている(つかさ)が案内しているのが大人(だいにん)の列。そこの気性が荒い翼が案内しているのが小人(しょうにん)の列。最後にわたくしこと椿(つばき)が案内している列が中人の列となっております」

 気づけば、椿と名乗るイタチの列には私だけが残り、他の人たちは屋敷の暖簾の向こうに消えていた。終始にこやかな椿の笑顔が、なぜか不気味に感じられ、このまま屋敷に入ったら二度と出られないのではないか――そんな不安が頭を過った。

「あ、案内って私をどこに連れていく気?」

 自分の身は自分で守らなきゃ。防衛本能が働いた瞬間、椿はさらに大きな笑みを浮かべ、尖った牙をキラリと光らせた。

「ここは極楽通り四丁目のあやかし湯屋でございます」

「 ……極、楽? あやかし? 」

「後悔を残して亡くなられた人間のお客さまだけが集まるお湯屋ですよ」

 きっと私のように尋ねる人が何人もいるのだろう。椿の説明はあまりに淡々としていた。

「我々あやかしたちはここで従業員として働き、お客さまの後悔を洗い流す手助けをしています。なので心配することはなんにもありません。必ず悔いなく花さまを天へと送り出すことができますよ」

「な、なに言ってるの? 私、死んでないから」

 これはやっぱり悪い夢を見ているだけなのかもしれない。私はこうして話してるし、体の感覚もある。尻もちをついた痛みだって感じた。死んだなんて冗談、気分が悪いにもほどがある。

「記憶が混乱しているのですね。無理もありません。花さまは事故死ですから。急な死を受け入れるのは難しいですよね」

 『事故死』という言葉に、心臓が大きく跳ねた。ありえない。こんなの、絶対にありえるわけがない。そう何度も自分に言い聞かせ、怖いことばかり言うイタチから一刻も早く離れたかった。

「花さま、どちらへ……!?」

 勢いよく駆け出したその後ろで叫ぶ声がしたけれど、絶対に振り返らなかった。


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