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待っているわんこの助

多くの子供が子犬を飼いたがるけれど中にはうまくいかないケースもあるのではと思って

わんこの助は、今ブリーダーの犬舎にいる。


朝は早くに起きて、冷たい地面を踏みしめながら短い散歩に出る。戻ると、ステンレスの器に用意された決まった時間のごはん。それが終わると、訓練の時間だ。ツイテ、マテ、おすわり、おて、フセ——誰かが来たとき、すぐに「いい子だ」と思ってもらえるように。


ここでは、成犬は「訓練済み家庭犬」として次の家族に迎えられやすくなるように、きちんとしつけられてから販売される。仔犬と違い、すぐ家庭になじむ「手間のかからない犬」を探している人にとっては、覚えることを済ませた犬のほうが人気があるのだ。


周りには、同じような境遇の犬たちが何頭もいる。声をかけ合うでもなく、それぞれのケージの中で黙って過ごしている。静かな空気。一定の距離。必要以上に感情を出す犬は少ない。誰もが、「次」を待っている。


みんなは繫殖引退犬だったりたまたま売れ残ったりした犬でずっとここにいる。

でも、わんこの助には、ひとつ前の「家」の記憶がある。


仔犬だったあの頃、ブリーダーのもとからある一家にもらわれた。男の子がどうしても犬が欲しいと言って、両親が了承したらしい。

見学に来た家族に気に入られ、わんこの助は段ボールに入れられてその家に到着した。


家の中で箱のふたが開いたときのことは、今でもよく覚えている。大きな声で「かわいい!」と叫んだ男の子。笑顔の母親。控えめな父親。わんこの助は、しっぽをちぎれそうなほど振って、何度もぴょんぴょんと跳ねた。


最初のうちは、毎日が夢のようだった。男の子は学校から帰るとまっすぐ走ってきて抱きしめてくれたし、ボール遊びや散歩も欠かさなかった。夜は毛布を分け合って寝た。寝息を立てる男の子のぬくもりが、わんこの助にはなにより心地よかった。


でも、時間が経つと、だんだん変わっていった。


男の子はゲームをする時間が増えていき、テレビの前に座り込むことが多くなった。散歩に行くように呼ばれても、返事をするだけで立ち上がらない。結局、母親がリードを手にするようになった。


その母親も、だんだん負担に思うようになったらしい。


「なんで私ばっかり世話してるの? あんたが欲しいって言ったんでしょう?」


「そうだけど。でも、もう飽きたし……こんなに大きくなるとは思ってなかったし……」


「私はもう無理よ、朝も夕方も散歩して、毛も抜けるし、においもつくし。あちこちかじるし、家が汚れるの、ほんと嫌なのよ」


「・・・」


「パクパク食べて結構食費もかかるし、予防薬?だってバカにならないの」


そんな会話が、ある夜、リビングから聞こえた。


しばらく黙っていた父親が、ぽつりと言った。


「……だったらさ、子どもが犬アレルギーってことにしよう」


「え?」


「そしたら理由になるだろ? 本当のこと言っても引き取ってもらえないかもしれないし。アレルギーって言っとけば、ブリーダーも納得するよ」


母親は一瞬戸惑ったあと、「……そうね」とため息をついた。


次の週末、わんこの助はまた車に乗せられていた。


戻ったのは、最初にいたブリーダーの犬舎だった。


「おかえり。残念なことになったね。また家族を探さないといけないね。そのために訓練を頑張って」


ブリーダーは、そう言って優しくわんこの助の頭をなでた。少し長く、少しゆっくり。その手のあたたかさに、わんこの助はじっと目を閉じた。


だが、ここには「家族」はいない。食事はあるし、散歩もある。清潔で安全な場所だ。でも、誰かに名前を呼ばれて、一緒に笑ったり、くっついて眠ったりする時間はない。夜は冷たい床の上、ケージの中で丸くなって眠るだけ。


人は時々来る。

でもそれは生まれた仔犬を見に来ている。

生まれればすぐに予約がついてしまう。生まれる前に予約されちゃう子犬もいるそうだ。

僕たちも見てくれはするが見るだけだ。


仔犬の時はあんなにちやほやしてくれたのに。

みんな、見たがって、触りたがって、なぜたがった。

いまだって中身は一緒だよ。ぼくはぼくだ。

むしろ、知恵もつき、勇気もあるし、思いやることもできる。

でも誰も来てくれない。


それでも、わんこの助は希望を捨てていない。


ブリーダーさんの話では忠実なおとなしい犬は迎えてくれる家庭があるそうだ。

毎日、訓練をがんばれとのこと。ツイテ、おすわり、マテ、おて、ほえない。おりこうだねって言ってくれる声を思い出しながら、何度もくり返す。人間にとって「いい子」でいることが、自分の未来を変えると信じているから。


夢がある。


あのときのような家族が、今度こそ本当にわんこの助を必要としてくれること。ずっと一緒にいてくれること。一緒に遊んで、疲れたらくっついて眠ること。


もし叶うなら、誰かの足元で、安心してまぶたを閉じたい。名前を呼ばれて、しっぽを振って駆け寄りたい。手をぺろぺろ舐めたい。


今はまだ、ケージの中だけど。


わんこの助は、今日も待っている。誰かが「おいで」と言ってくれる、その日を。

どの犬も誰かの家庭に迎えられると良いと思います

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