57 何が起きた……かは後回し。今は、
外を見る。曇天だが雨にはなっていない。
自分を見る。濡れていない。寒くないし頭も痛くない。
じわじわと理解が追いつく。――時間が巻き戻ってる。
あり得ない話じゃない。心当たりはめっちゃある。『✡世界創造の意思✡』なら出来る。でも、なぜ今?
「シエル? どうかしたか?」
「いや……」
急にキョロキョロして黙りこくったシエルに、ラケルが心配そうに声を掛ける。
シエルはまだ混乱を引き摺ってる。頭の中がぐちゃぐちゃで、いまいち物が考えられない。
落ち着け。分からない事も多いが、これは好機だ。今度こそトラブルが続出する前に森に行くのだ。
そうだ、森に行く。それで合ってる筈だ。
――ポツ……ポツ…………ゴロゴロ……。
「!」
「ありゃ、降って来ちゃったね」
急がないと、と思った側から。
バンッ! と音を立てて、慌ただしくギルド職員が入って来た。
「ラケル居るか!? 居るな!」
「どうしました?」
「魔物暴走が発生した!」
前回よりタイミング早くない!? それに確か、先に外が騒がしくなって、それから職員が知らせに来た筈。
――全く同じ事が起きる訳ではない?
いや考えるのは後だ。ラケルが職員と話している間にそっとリュックと雨具を手に取る。
そしてそろりそろりと出入り口へ……。
「シエル、僕達は――シエル?」
ヤベ、気付かれた。
「ラケルさんすみません!!」
「シエル! 待ちなさい!」
え? と事態を把握してない職員の横をすり抜け、薬剤室を飛び出す。後ろでラケルが怒鳴るのをBGMに、ギルドを後にした。
本当すんません、後で埋め合わせしますんで。
幸いギルドは混乱の中にあって、唐突に飛び出した子供を気に留める者は居なかった。
そして通りに出たシエルは手近な路地に向かい、人が居ない事を確認して隠蔽魔法。からの飛行魔法。
ふわりと地上二メートル地点に浮かび、通りに出て瘴魔の森へ続く門へ。あ、身長二メートル越えの冒険者や兵士結構居る。高度上げなきゃ。
瘴魔の森へ向いている門へ続く通りは、浮足立っているものの、混乱は起きていない。どうやら何か起きたらしい、と通りを行く人々が囁き合っている段階だ。
門周辺へ行くと、慌ただしく人が行き交っていた。あちこちで散発的に怒鳴り声も聞こえる。
そんな門の内側、詰め所や門番の宿舎やらがあるエリアに誘導されている最中の集団を見つけた。十代半ばほどの少年少女達。彼等が学園の一年生か。
学生達は皆顔色が悪く、ガクガク震え、自身を抱き締めるようにしていたり友人同士でしがみつき合ったりして歩みは遅い。自分達を濡らす雨にも気付いていないのではないだろうか。
そんな子供達を観察しながら、エリクの姿を探す。この中に居るのなら、笑い話で済むのだが……。
と、少年少女達の頭上をうろうろしていると、探していた名前が耳に飛び込んで来た。
「こうしてる間にもエリクは戦ってるのよ!? ライフェルト様もディランも、ミハイル様も!! 私が行かなくて誰が行くの!?」
プリムラだ。同じ年頃の少年や騎士に囲まれながらカン高い声でキャンキャン吠えている。
……囲まれてると言うか、包囲されてる?
いや、プリムラの状況なんぞどうでもいい。情報を得られそうだったので少し留まって話を聞く。
「いいえ、先程は気圧され固まっておられた。今のプリムラ様には荷が重いかと」
「あ、あれはちょっとびっくりしただけよ! もう大丈夫だから!」
「プリムラ様、落ち着かれよ。あなたが戻って何かあれば、囮になった彼等も浮かばれません」
「はぁ!? 何よその言い方! 誰も死んで無いわよ! ふざけないで!」
全くだ。今だけはプリムラに全面同意する。ふざけた発言した奴、顔覚えたからな。(怒)
ともあれ、ざっくりとでも事の流れはだいたい分かった。なんでライフェルトの名前まであるのかは謎だが後でいい。
要するに、彼女含めてエリク達が森に入ってる最中に魔物暴走発生。プリムラを逃がす為にエリク達が囮になった、と。
……エリクらしいな。
ついでにその横で地図を広げ、学生が騎士に何処かの場所を教えていた。十中八九、問題の起きた地点だろう。エリク達もその辺りに居る筈だ。
シエルは瘴魔の森へ、一直線に飛んで行った。
時を少しだけ遡って、シエルが来る少し前の門周辺。
泣き喚く生徒、膝を抱え震えるばかりの生徒。そんな生徒達を宥め、話を聞き出そうと奮闘する兵士。
混沌とする中、その喧騒からゆっくりと離れようとする身形の良い少年が一人。
俯きがちで手で口を覆う姿は傍目には気分が悪いのだろうか、と心配になる様子だが、少年は、込み上げて来る笑いを堪えるのに必死だった。
そっと移動し丁度よい物影を見付けると、我慢の限界だったのだろう、声を立てて――笑いだす。
「ふっ、くくっ……っははははははっ」
まだ周囲に人がいる為抑えてはいるが、それは紛れもなく哄笑だった。
一頻り笑い、落ち着いて来た所に、声が掛かる。
「楽しそうだな、オルドリッジ」
何時から居たのか、少年が隠れた物影の直ぐ近くに、人影があった。
ピタリと笑いを止めて、オルドリッジと呼ばれた少年は声の主へと視線を向けた。
そこに居るのは歳も背格好も変わらない、けれど圧倒的な存在感を放つ美しい少年。
気怠げに壁に凭れて、どこか鬱屈した雰囲気がある退廃的な少年だった。身体が育ちきっておらず、男らしいラインがありつつもまだ細い、そんなアンバランスさが顔の造形と相俟って危うい魅力を醸し出していた。
「これはネスト皇子殿下」
臣下の礼を取るオルドリッジ。しかしその表情に敬意はなく、むしろはっきりと表れているのは侮蔑の色。
「このような事態になってしまい、至極残念です」
「こそこそ何かやってると思ったら。何を考えてる? 瘴魔の森を刺激するなど。お前の実家も危険に晒されるぞ」
退廃的な少年――ネストは相手の言葉を無視してさっさと本題に入った。こうした率直さは皇族として失格だ。それが侮られる要因の一つなのだが、彼は気にも留めない。
「何のお話でしょう? よく分かりませんが、今回の事件が帝国に波及すると危惧しておいでで? 心配しすきですよ、帝国はあの山を越えた向こう側ですよ? いくらなんでもそんな大事にはなりませんて」
やれやれ、と肩を竦めて見せるオルドリッジ。
そんな彼を、ネストはどうでも良さそうに、ただ視界の中に居たから見てる、と言う様子で眺め、億劫そうに告げる。
「そもそも、森を刺激した目的はなんだ? ただ王都を危険に晒しただけで、帝国にもお前にも利益はないだろう?」
「はあ……。話を聞いていませんね? 全く……。皇子は私が魔物暴走を起こした犯人だと思ってらっしゃる様子。妄想癖のある方だとは思っておりましたが、ここまでとは……。ああ、それでも私は帝国の臣民として皇子のお側に居りましょう、ええ、帝国の為に」
そこで、ネストは初めてオルドリッジを意識的に見た。
憐れみを湛えた、死にゆく者を見守るような眼差しで。
「……何をしたって、お前が王になる事は無いのに」
その一言は、表情は、少年に劇的な変化を齎した。
カッと目を見開き、ネストに迫って胸ぐらを掴み、壁に叩き付ける。
「ごちゃごちゃうっせぇんだよ! 道化皇子が! 【道化】は【道化】らしく人様の手の平で踊ってろよ!」
言い捨て、ネストを放り投げるように手を離すと、オルドリッジはさっさとその場を離れた。
残ったネストはただぼんやりとその背中を見送った。
皇子として、人としての責務で忠告しただけで、あの少年をどうにかしようとは思っていない。
どうでもいい。
あの少年が大願を成就しようと、破滅しようと。
この国が滅びようと、帝国がどうなろうと、どうせ……。
諦めと絶望に、ネストは自然と下を向いた。
ふと、何かが意識に引っ掛かり、視線を上げる。
「……!?」
ネストは何か驚いた様子で学生集団の頭上を注視した。その目線は何かを追うように細かく動いている。
その目の動きが数秒ほど止まり、それから森に向かってスーッと移動した。
しばらく固まっていたネストだが、やがて小刻みに震え出し、手で口元を覆う。
「神気…………御使い様?」
思わず、と言う様子で呟き、思案するように半眼し、黙り込む。
やがて、ぽつりと溢した言葉は。
「……帝国、終わったかな」
ハハッ、とそれは先とはまた種類の違った、諦念を感じさせる様子だった。
ネストはしばらくその衝撃を引き摺っていたが、彼が鬱屈した様子なのはいつもの事だったので異常に気付く者は誰も居なかった。




