56 鋏の音
フェルディナンドやフレデリクと朗読会をし、ディランと話してから数日。
学園の一年が瘴魔の森に入る日が来ました。
その日は朝から曇天だった。灰色の分厚い雲が空一面を覆っている。
昨日までは晴れてたし、この時期は晴天が続くのに。
……なんかこう、イベント(仮)の準備にしか思えないのは気の所為だろうか。
「あー、珍しいよね、この時期に。なんか雨まで降りそう」
「ですよねー?」
ゴリゴリと薬草を磨り潰しながらラケルは言い、シエルは使う薬草の葉と茎を切り分けながら相槌を打つ。
ここは冒険者ギルド内にある薬剤室。
念の為、様子を見に瘴魔の森に行くか、と冒険者ギルドに来たら速攻でラケルに捕まったのだ。
なんでもここ数日、大怪我をする冒険者が立て続いたとかで一部の薬の在庫が危うくなったのだとか。
それは使用頻度の高い、常に一定量在庫があるよう指示されてる薬なので急ピッチで作っている所だ。
常であれば急がなくてもいいのだが、今日は学園の一年生百余名が森に入る日。ある程度トラブルが起こる想定で準備しなくてはいけないのだ。
瘴魔の森は気になるが、ラケルには何かと世話になっている。これくらいの手伝いなら、なるべく引き受けたい。
「雨になったら、学園の子はどうなるんだろうね」
「うーん、流石に中止じゃないですか?」
なんて駄弁っていると。
……ゴロゴロゴロゴロ……ポツ、ポツ……。
降って来た。しかも、雷付き。
「……よりによって今日降らなくても」
「一年生の人、可哀想ですね」
エリクはどうしてるだろうか、とこの時のシエルはのんびりと構えていた。
しかししばらくして部屋の外が騒がしくなった。それも良くない騒ぎ方だ。雰囲気が重篤な怪我人が運ばれた時に似ている。
ラケルと顔を見合わせ、様子を見てくるか、と話していた時。
バンッ! と音を立てて、慌ただしくギルド職員が入って来た。
「ラケル居るか!? 居るな!」
「どうしました?」
「魔物暴走が発生した!」
「「!!?」」
魔物暴走!? 嘘でしょ!?
絶句するシエルの横で、職員が状況を説明する。
詳しい事はまだ分からないようだが、学園の行事の真っ只中でトラブルがあったっぽい。騎士団が呼ばれ、冒険者にも招集が掛かったようだ。
ラケルは急ぎ薬の用意をしていつ何があっても対応出来るようにと求められていた。
――――……ィン。
「シエル、聞いてたね。薬を大量に用意するよ」
「え、あ……」
それは至って真っ当で常識的な要請で。
「……あの、すいません俺」
「シエル」
言いかけたシエルを遮って、珍しく強い口調でラケルは言う。
「君は、ここに居なさい」
「!」
「エリクくんはきっと、学園や騎士団で保護されてるよ。そっちは専門の人に任せて、僕達は僕達の仕事をしよう」
「……!」
思いっきり、考えてた事がバレてる。その上ド正論で釘を刺されてしまった。
ラケルの言う事は正しい。魔物暴走の現場に子供が向かったって迷惑にしかならないし、そもそもエリクはとっくに避難してる可能もある。でも。
直感する。これはイベントだ。
ならばエリクは高確率で問題の渦中にいる。それに特殊な何かが起きてる可能性も高い。
……やっぱり放おっておけない。
俯き、渋々ながらも納得した振りをしてラケルの隙を伺う。薬の調合に入れば――。
――――……シャ、キィ…ン。
バンッ、とまた扉が開けられる。
「大変だ! 事故が起きて怪我人多数!」
「はあ!? 魔物暴走じゃなく!?」
「こんな天気に足場組んで高所作業したバカが居たんだ! 雷に驚いて落ちた上に、足場が崩れて巻き込まれた人が何人も!」
「ふざけんなどこのバカだ!」
……何、今の。
トラブルの連続に声を荒げる大人を他所に、シエルは思案する。今、聞こえたような音は……。
「シエル、僕は出るから、出来る事は進めちゃって!」
「あっ、ちょ……」
考えてる間に、ラケルは言い置いて行ってしまった。
バタンと扉が閉まると、唐突に静かになる。ザーザーといつの間にか本降りになった雨音と、ゴロゴロと響く雷鳴が薬剤室を満たす。
嫌な感じだ。今、前日のトラブルで薬の在庫が減っており、そこに魔物暴走の報。
更にトラブルが重なって、本職であるラケルが一時的だろうが不在。
どんなにエリクの安否が気になっても、手伝わない訳にはいかない状況。
……まるで、シエルを森に行かせまいとするような。
試しに、現状を無視してギルドを出よう、と扉に近付く。
途端。
――シャキンッ!
ダダダダダ、バンッ。
「うわっ」
「ラケ、うわすまん」
三度、慌ただしく扉が開けられる。
「シエル、一人か? ラケル師は」
「さっき怪我人が出たと要請が来て、そちらに」
「嘘だろ!? クソッ……シエル! お前も薬学の心得はあったな? 来てくれ!」
「ちょっ」
よく知らない職員に腕を掴まれ、引っ張られたシエルは反射で足を突っ張った。……それでも引き摺られたけど。
「俺成人前で五級までしか資格ないですよ! 患者を診る訳には――」
「相手が妊婦なんだよ! なんか血を流してて、とにかくヤバいんだって!」
「!? ……ああもう! 詳しく!」
確定だ。
さっき、確かに鋏の音を聞いた。そして、友人の危機を前にしても、見捨てる訳にはいかないと思わせる急患。
――シエルを、瘴魔の森に行かせまいとしてる。
イラッ、と来た。
ただそれが分かっても、急患を素通りは出来ない。若い職員に案内させ、道中事情を聞く。
原因はまた雷で、雷鳴に驚いた馬(普通の動物の馬)が突然暴れ出し、偶々近くを通り掛かった妊婦さんにぶつかりかけ、なんとか避けたものの転んでしまい、苦しがり血も流しているとか。
外に出ると、叩きつけるような雨が視界と音を遮るほどだった。一応雨具は羽織って来たが、この様子では大して意味が無いかも知れない。
妊婦さんはこの雨でずぶ濡れだった。急いで保護し、担架を用意させてギルド救護室に運ばせて濡れた服を脱がせて拭いてお湯を用意させて温めて産婆さんを呼んでと対処し、ようやくこの先は出番無いな、と判断しそっとギルドを抜け出し――た、途端。
――ジャキンッ!
ドォォン!
すぐ目の前の建物で爆発が起きた。
一瞬迷って、無視する事にする。
シエルは爆発からサッと目を背けた。被害を確認したら、また動けなくなる。それに。
ジャキンジャキンジャキンッ!!
「終わりだ、もう終わりなんだああああぁぁぁ」
「きゃあああああっ」
突然誰かが暴れ出す。
最早妨害工作としか思えないトラブルに、イライラと苛立つ。神経に粗いヤスリを掛けられるような不快感に、ふと疑問を覚えた。
ジャキンジャキンジャキンジャキンジャキン……
鋏の音が頭の中で反響する。鐘の中に頭を突っ込んだ状態で鐘を鳴らされたらこんな感じだろうか。
頭が痛い。近くで騒ぎが起きるのが分かるが、もう何が起きてるのか把握するのも苦痛だった。
その痛みも無視して、半ば機械的に門へと足を進める。
ジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンジャキン……。
「っ……」
酷い痛みに、とうとうシエルは頭を抱えて地面に膝を着いた。水溜りに膝から下がずぶ濡れになる。頭を抱えた腕の裾から雨水が侵入し、体温を奪う。
まずい。色んな意味でまずい。シエルは危機感を覚えた。けれど鋏の音と頭痛に思考が働かず、体も動かない。
どうしよう、霞む意識の端で焦った。
すると。
バツン。
停電が起きた時のように、視界が真っ暗になる。
驚いて顔を上げる。そこには。
「あー、珍しいよね、この時期に。なんか雨まで降りそう」
そこは出て来た筈の薬剤室で、出払っていた筈のラケルがのんびりと薬草をすり潰していて、なんだか聞き覚えのある台詞を言っていた。
「……は?」
『✡世界創造の意思✡』「……シエルきゅんに危害を加えたな?」




