27 子守りの神罰
「ああああああぁぁぁぁっ、いやっ、なにこれ、なによこれえええええぇぇぇぇっ!」
ミュリエルは半狂乱になって神罰の穢れに塗れた右腕を振り回す。
侍女や護衛が「お嬢様!」「お気を確かに!」と取り縋る。
それを呑気に眺めていたシエルは、ぐいっと後ろに引かれた。エリクだった。エリクによって更に後ろに下げられ、それを認めたライフェルトはシエルから手を離し、ミュリエルとシエルの間に立ち塞がった。
「な、なに、あれ……」
呟くエリクの声は、細かく震えていた。シエルの肩に触れた手も。
例によってシエルは何も感じないが、神罰も穢れの一種、周囲の人間に影響があるのだ。普通(と言っていいのか)の穢れとの違いは、シエルには分からない。だってどっちも影響無いし。
「子守りの神罰。言ったでしょ、子供に危害を加えると罰せられるって。アレがそう」
「神罰……」
シエルがエリクとコソコソ話している間も、事態は進行して行く。
「神殿に知らせを! 神官を呼んでください!」
ライフェルトがたまたま近くにいた壮年の男性に言う。男性はガクガクと頷いて走り去った。
そこに。
「ライフェルト様! どういうおつもりですか! お嬢様をこのような目に遭わせて!」
侍女(と思われる女性)がミュリエルにしがみつきながら、そんな事を言い出した。
「せめて人目につかぬようお嬢様を保護するくらいすべきでしょう!? 子爵家如きがお嬢様を蔑ろにするだけでも許し難いというのに一体何をぼんやりとしているのです! 第一なぜお嬢様に寄り添わずそんな子供を庇うのですか! グライデル家に世話になってる身で」
以下略。
ペラペラと鬱憤を撒き散らし始めた侍女さん。往来の場で主家の内情っぽい事喋っちゃってるけど、この人この後大丈夫かな。
「ちなみに、ああやってペラペラ喋ってるのも、神罰の影響ね。よく見て、あの侍女さんの周りにもぼやっと穢れが纏わり付いてるでしょ? このタイミングで現れたって事は、あのお嬢様の神罰と連動してると見るべき。お嬢様が手を上げた原因と子守りの神に判断されたんだね」
「そ、そう……」
ついでなのでエリクに注釈。
神罰というのは、本人にのみ降り掛かるものじゃない。人が罪を犯す時、そこには原因があり、実行した本人よりそうさせた誰かの方により罪があるケースは珍しくない。
神罰はそうした、原因になった人物や、直接的には関わっていなくともそれを望んだ者、その罪を喜んだ者など、様々に飛び火する。
あの侍女は怪我をした子供を蔑む発言をした。おそらく、ミュリエルが簡単に子供に手を上げるような価値観を培った経緯に、あの侍女が深く関わっている。
すぐ横に居る護衛さんは異変は無い。本当に護衛だけで、個人的な関わりは無いのだろう。
「落ち着いてるね、シエル」
油断無くミュリエルを警戒してるライフェルトが、視線を前に向けたまま、そう苦笑する。
「時々遭遇するからね、こう言う場面」
「そうなの?」
「うん。孤児院でさ、よく下の子に乱暴する子とかがね、祝福の儀を終えた直後にいつものように下の子に接して神罰を受けるの。最早風物詩」
「ふ、風物詩って……」
「シエル、流石にそれは……」
シエルの言い草に絶句する二人。
あ、二人以上だ。たまたま近くにいた知らない人が、こっち見てギョッとしてる。
「同じ子供のうちは、暴力振るっても神罰の対象にはならない。だから、言っても聞かないんだよね。で、しっぺ返し食らって大人しくなるまでがセット」
尚、そこで素直に大人しくなるなら良い方。
悪いと「なんで自分がこんな目に」と逆ギレする。
「あのお嬢様は、成人して間がないの?」
「いや、もうすぐ成人して一年になるんだけど……。彼女は年下の子に接する機会が無いだろうから」
だとしても、親からキッチリその辺教わる筈なんだけどなぁ。
なんて喋ってるうちに神官及び神殿騎士の団体が到着した。
ミュリエルを囲んで何やら詠唱。同時にエリクの震えが収まったので、神罰の影響を遮るものかも知れない。
ややあってミュリエルは大人しくなり、がくりとその場にしゃがみ込んだ。神殿騎士の一人が進み出てミュリエルを抱える。
そして神官達に囲まれたまま獣車に運ばれた。
侍女と護衛は、獣車の後をゆっくり付いて行くようだ。神殿騎士に促されて移動する際、シエル達を指差して何か言ってた。
大半が獣車を囲んで神殿に向かう中、三人の神殿騎士がこちらに――ってディグルじゃん。残り二人もディグルと同じ隊の人で交流がある人だ。わぁ、奇遇。
「失礼、ライフェルト・シラー殿ですね? 先程の侍女に、あなた方も関係だと伺ったのですが」
あの侍女さん、そんな穏やかな言い方じゃなかったんでしょ? 別に気を使わなくていいよ?
「はい。私達は三人で行動していた所をミュリエル・グライデル嬢に呼び止められました。神罰の直接の原因はこの子です」
と、ここでライフェルトが横に退き、シエルを示した。
驚愕に目を見開くディグル。
「シエル!? ああ、こんなに血が出て……」
「え? 血、出てる?」
言われて頬に指を触れると、ベトッとした感触が。その指に付いていたのは確かに血だ。
「ごめん、シエル。神殿の人に被害を正確に見てもらおうと思って、手当てをしなかったんだ」
「ああ、そういう。それくらい大丈夫だよ」
エリクが何もしなかったのは、初めて見る神罰に頭が回らなかったから、とかかな?
ディグルはシエルの前に膝を着き、痛ましそうな顔をする。残りの神殿騎士二人もシエルの顔を覗き込んで言う。
「あ〜あ、血が出る程叩くなんて……」
「爪、ではないな。扇子か」
「はい、神罰を受けた腕に握っていた物です。……ところで、皆様はシエルと面識が?」
「ああ、この子が五歳の頃からの付き合いだ」
「そそ。いやー、最近友達が出来たって聞いて気になってたんだよね〜。こんな時だけどよろしく」
「テット、仕事中だ。後にしろ」
気安い様子の神殿騎士達に、ライフェルトの肩から力が抜けた。気を張ってたのね、もう大丈夫だよ。
こんな場所では、とシエル達も神殿へ向かった。一応関係者だから、事情聴取受けないといけないらしい。
はぁ、メンドくさ。
神殿に場所を変え、シエルは傷の確認をされると共に手当てを受けた。それから個別に状況を聞かれた後、会議室っぽい部屋に通された。まだ何かあるのかな?
神罰を受けた人の様子は覗き見したりしてたが、当事者になるのは初めてなので、細かい段取りなどは知らないのだ。
ちなみに、事情聴取自体はサクッと終わった。シエルは被害者の立場なので気楽だ。適当な椅子に座って出されたクッキーを摘んでいると、程なくしてエリクが入って来た。
「あ、シエル……」
「お、エリクお疲れー。お菓子あるよ、た」
食べよう、と誘う前にエリクがシエルの前に跪いてシエルの手を取った。
その表情は固く、罪悪感が滲み出ている。
え、何? 今日のはそんななるような事じゃないよね?
「……ごめん、シエル」
「えっと、何が?」
「シエルが手を上げられた時、おれ、動かなかった」
「へ?」
ぽつぽつとエリクが言うに、エリクの反射神経だと、少女が手を上げてから振り降ろされるまでの間に、手を掴むくらいは十分可能だったのだとか。
でも、相手はどう見ても貴族。反射的に間に入ろうとした身体を、王都に来てからの数々の記憶が押し留めた。
貴族に逆らったら、酷い目に遭うぞ――と。
「それが、頭に浮かんで……助けるの、躊躇っちゃったんだ」
「いいのいいの! それが当たり前だから! 貴族の会話に割って入った俺が馬鹿だったんだから!」
「っ、でもっ、でも゛、がばう゛ぐら゛い゛、じでも゛よ゛がっだ、の゛に゛」
ああああ泣き出したー!
え、そんな気にする事? この程度の傷騎士見習いやってるなら日常茶飯事でしょ?
大した事ないからー!!
「ふっ、うえぇぇぇ」
「エ、エリク……」
フェル様ー! ライフェルト様助けてー!!
そんなシエルの祈り(心の叫び)が通じたのか、直ぐに。
コンコン。
「失礼します。……え、どうしたの?」
「フェル! 良かった助けて!! 俺じゃどうしていいのか」
「あ、うん。よしよし、エリク、どうしたの?」
ライフェルトは状況が分からないまでも、直ぐに二人の横に膝を着いて頭を撫でてくれた。
あ、エリクだけでいいですよ。俺まで撫でなくても……。
「おお、シエルがオロオロしてる。初めて見た……」
「…………(オロオロ)」
「ディグ、つられて狼狽えるな」
ライフェルトに続いて入って来たディグル達が、入り口付近で何やらボソボソ言っている。
見てないで助けてよぅ……。
〜〜その頃、貴族用高級商店街にて〜〜
「……いない」
桜色の少女が、人通りの多い通りへ目を凝らせている。
「プリムラ様? 何かお探しですか?」
そんな少女の様子に、テーブルの向かいに座る青年が尋ねる。
ここは喫茶店のテラス席。今日は向かいの彼――と、その左右にも居る少年達と連れ立って買い物をしていた。その合間の休憩だ。
「あ、いえ、なんでもないの」
曖昧に笑って誤魔化すプリムラ。けれど。
「……今日はあまり楽しんでいただけなかったようですね。申し訳ありません、プリムラ様」
そう言って、残念そうに、落ち込んだ様子で微笑んで見せる青年――フィリップ・キンバリー公爵子息。
「そんな事ないわ! 今日も楽しかったわよ!」
慌ててフィリップの機嫌を取るプリムラ。
――ああ、もうっ! なんで私がご機嫌取りなんてしなくちゃいけないのよ!
第一、ライフェルトとミュリエルはどこ!? なんで遭遇しないのよ!
……可怪しい。夏前まで順調に物語は進んでいたのに、急に齟齬が出始めた。
何が起きているの?