15 初夏の緑
エリクを秘密基地に招待した日から、早半月が経った。
既に花の季節は終わり、季節は初夏。
ここ、アルセルス王国は大陸の端、北西に位置している。
この辺りには日本のように四季があり、冬は雪が積もり外に出るのも億劫になる。対して夏は気温が高いが海風が吹くので気温の割に過ごしやすい。
だからと言う訳でもないが、シエルは今、図書館横の椅子やテーブルのあるスペースで待ち合わせをしている。
木陰に入るにはまだ早いが、この時期の勢い良く伸びる新芽や若葉は目にも楽しく緑の香りも好ましい。
インドア気質なシエルにも、心地よい空気の中で本を読むのは楽しいものだ。
そうして機嫌良く待っているシエルに、元気の良い足音が近付いて来た。
「シエル!」
たったったっ、とリズミカルな足音を響かせやって来たのは、当然エリク。
と、その後ろからもう一人。
「もう来てたんだ? 待った?」
「待ったと言えば待ったのかな? 本読んでたから、待ってた意識はなかったけど」
「……シエル、ホントに本好きだね」
理解不能、と言う顔のエリクに「まぁね」と応えておく。
そんなやり取りにクスクスと軽やかな笑い声が掛けられる。
にこやかに二人のやり取りを見守っているのは、少年と言うより青年と呼んだ方が近いだろう長身のイケメン。
濃い緑色の髪に、今周りを彩っている若葉のような明るい緑色の目をしている。
少女漫画のヒーローやってそうな、男臭さが無く線の細い美形。悪く言えば優男。柔らかな雰囲気で、乙女の理想の紳士を体現したような出で立ちだ。
「本当に仲良しなんだね。エリク、紹介して貰える?」
「あっ、はい、すみません。シエル、この人が騎士科の先輩のライフェルト・シラー子爵令息。先輩、この子が勉強を見てくれてる友達のシエルです」
子爵令息、の所で「これで合ってる?」みたいな不安気な顔でライフェルトの顔を見るのがエリクらしい。笑顔で頷かれた所を見るに、ちゃんと合ってるようだ。
一応聞いてたけど、お貴族様かー、やり難いなー。
この度、ライフェルト・シラーと顔を合わせる事になったが、これは単に友達同士を引き合わせよう、と言う平和なものではない。
事の起こりは数日前。
「自分の判断が信用出来ない」
「どうした急に」
真顔で唐突に言うエリクに何事かと問えば。
「あー、つまり。プリムラ様から離れるようになって、そしたら周りの対応も変わった。そんで友好的な人も現れて仲良くなったけど、信用していいか分からない、と」
「……うん」
しょぼ、と俯くエリク。
エリクを秘密基地に招待した日から、エリクの様子はガラリと変わった。妙に混乱した言動や優柔不断な物言いが消え、キッパリとプリムラの接触を断てたのだ。
やはり、エリクのプリムラへの執着は、あの鋏の主のせいだったのだろう。
それはともかく、そうした変化からエリクの周囲も対応を変えたらしい。学園生活は改善傾向にあるようだ。
神殿の方も、アグノスが暗躍してるし、いつの間にかディグルとも交流していた。神殿での生活も少しずつ快適になって行きそうだ。
……根本原因のプリムラと言う不安材料はあるけど。
そんな感じで状況は改善傾向にあるが、受けた傷は直ぐには癒えないようだ。
近付いて来た人物を好ましく思いつつ、また傷付けられるのではないかと怯えている。
「で? 俺にどうしろと?」
「シラー先輩に、会ってみてくれない? シエルから見てどうか、教えて!」
「それは構わないけど」
妙に切羽詰まった様子のエリクに、内容とは別の所に引っ掛かりを覚えた。
「! なら、直ぐに連れて来てもいい? 先輩もシエルに興味持ってたから、相手してくれると思うんだ」
「いつでもいいよ。ただ、本当に思う所を言うだけだよ? そのシラー先輩が良い人かどうか、判断出来るか分からないよ?」
助かった、と言わんばかりに明るく言うエリクに釘を刺す。一応前世分の人生経験はあるけど、人を見る目なんて自信無いからね。
なんせ生前は病がちであんまり学校通えなかったし、大人になってからもあまり人と関わらずに済む仕事を選んでボッチ陰キャ街道まっしぐらだったのだ。当然のようにコミュ障。
シエルの言葉に、エリクは力無く笑い、言う。
「良いよ。それでも、おれの判断より信じられるから」
……傷が……深い……。
「それに間違ったとしても、シエルの言う事なら後悔しないよ。それでまた酷い目に遭っても、シエルが居るから……」
そう、どこか濁った目で言うエリク。
傷って言うかもうトラウマ? 心の病レベル? しかもなんか依存されてませんかこれ??
あー、でも、仕方ないか。
エリクはほんの十五歳の少年。周りの人間ほぼ全てから敵意を向けられるなんて、ただで済む筈がない。大人でもメンタル病むわ。
そんな状況下で、普通に仲良くしてくれた相手に依存するのも、うん、仕方ない仕方ない。
あんまり依存度が上がっても怖いが……それなら『シエル以外の友達』が出来れば良い。元々陽キャっぽいエリクだ。人と良好な関係を築ければ、改善の見込みはあるだろう。
それに、酷い目に遭っただろうに、まだ人を信用しようとするエリクに敬意を評したい。
それも、無関係な第三者ではなくプリムラの取り巻きの一人を。
信じていいのか、なんて不安になるのは、信じたいと言う願望の裏返し。とっくの昔にそんなピュアな気持ちを捨てたシエルには、エリクの無謀なほどの純粋さが眩しかった。
それが、若さゆえの無知から来るものだとしても。
たいした経験も積んでない空っぽな四十年だったが、人生の先輩としてエリクを応援したいと思う。
……もしも裏切られた時には…………うん、エリクにとことん付き合うよ…………。
回想終わり。
「はじめまして、シエルくん。僕の事はライフェルトと呼んで」
「はじめまして、シエルです。えーと、ライフェルト様?」
貴族の接し方とかさっぱりだが、取り敢えず呼び捨てはダメだろう、と様付けしておく。
「ふふ。よろしく」
ライフェルトはとても微笑ましそうにシエルに手を差し出した。
その様子はこの出会いを心底歓迎しているように見えた。とても裏で策を巡らせてるようには見えない。
差し出された手を握り、シエルは言った。
「よろしくお願いします。早速ですけど聞きたい事があります」
「そんなに畏まらないで。敬語も止めて良いよ。何?」
「ではお言葉に甘えて。――ライフェルト様はエリクの状況知ってたんだよね? ライフェルト様はどうしてエリクを助けなかったの? 今頃近付いたのはどうして?」
「「!?」」
シエルの言葉に、エリクもライフェルトも固まった。
はい、ド直球です。前世含めて対人苦手な自分にそれとなく探るとか無理です。これで壊れる関係ならその時はその時さHAHAHA。
ま、これでライフェルトがエリクに何か言っても『子供のした事だから』で誤魔化せなくもないし、何なら自分の事は切り捨ててくれても構わない。エリクはそんな真似しないだろうけど。
ジッと見上げていると、ライフェルトはポカンとした様子から徐々に真顔になっていった。
「……そっか。僕がエリクを虐めたりしないか確かめたかったんだね。それで僕に会ってくれたんだ」
微妙に違……いや合ってるか?
ともかく、「無礼な!」とか言い出さないでこちらの意図を汲もうとする姿勢は高ポイントだ。
ライフェルトはその場に膝を着いてシエルと目線を近付けた。
そして、まだ握っていたシエルの手にもう片方の手も添えた。両手でシエルの手を包むように。
「確かに、僕はエリクの事を分かっていて、見て見ぬ振りをしてきた。それは貴族の事情で、弁解の余地も無いよ。信じて欲しい、なんてとても言えない」
ライフェルトは言い訳もしなかった。
子爵は確か、貴族位でも低い方の爵位の筈。高位貴族から命じられたら断れなかっただろうに。
「だからこそ、状況が変わった今、エリクに償いたかった。貴族の都合で振り回して、彼から奪ってしまったものを取り戻したい。その手助けをしたい。全部は無理でも埋め合わせをさせて欲しいと思ったんだ」
「先輩……」
呆然とエリクが呟く。
あー、エリクが罪悪感感じてるような顔に……。いいんだよ、疑って掛かって当然だから。ライフェルトも分かってるから。多分。
尚、シエルはまだジッとライフェルトを観察している。口ではなんとも言える。
それはライフェルトにも伝わったようだ。
「うん、それで良い。君は疑ってて。そして、僕を見極めて」
「良いの?」
「うん。さっきも言ったけど、信じてなんて言える立場じゃないもの。でも、償いたいのも本当。だから僕を見張って。僕がエリクを裏切ったりしないように」
「……」
シエルはマジマジとライフェルトを見た。
「なんでそこまで言えるの? 俺、初対面だしただの孤児だよ?」
その言葉に、ライフェルトはゆるりと笑みを浮かべた。
「最初の質問、あれは意図的なものだよね? わざと僕を怒らせて、僕の人となりを見ようとした。それも僕が貴族と知った上で」
「……」
「シエルくんの事は聞いてるよ、賢い子だと。貴族を怒らせる事の意味は、分かってるでしょう? その上で、あんな言い方を選んだんだよね?」
「……」
「そうまでして友達を守ろうとする相手に、敬意を示さない訳にはいかないよ」
「……そう」
あー……、こう、なんつーか。
隔意維持するのが難しい人だな。
「分かった。変な真似したら、許さないからね?」
「はい、肝に命じます」
真面目くさって言うライフェルトに、シエルはつい笑ってしまった。
と、
「シエル……!」
「うおぅ」
横からタックルされた。いや、エリクが抱きついてきた。
「シエル、シエル……! 俺も、俺もシエルを守るからね! シエルをいじめる奴がいたら、おれがやっつけるから……!」
「え? 何、急に」
「シエルくんがエリクを守ろうとしてるから、エリクもシエルくんを守りたいと思ったんだよ」
本気で分からなかったシエルは、ライフェルトの説明に、ああ感激したのね、と納得した。
いや別に、貴族敵に回したって痛くも痒くもないんだけど……。
エリクは泣きだし、シエルは宥めるのに四苦八苦し、そんな二人を、ライフェルトはとても温かい眼差しで見守っていた。
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映写機のある廊下。
フィルムをずらりと並べた棚が、またずらりと並ぶ空間。
扉が延々とと並ぶ回廊。
ドリンクバーのあるラウンジ。
……いないな。
『何かお探しですか、ナッツさん』
専用の個室を出てウロウロしていたナッツ・ココに、『✡世界創造の意志✡』が声を掛けた。
「いや、いかにも乙女ゲームの攻略対象っぽいイケメンと知り合ったからさ。またあの鋏の主が出て来ないかなって」
『なるほど。でもシエルきゅんに迷惑掛けないように言ったし、もう近付かないと思いますよ』
「そっか」
関わって来ないなら、ほっといてもいいかな。……何をしたかったのか、ちょっと気になるけど。