10 エリクの黒歴史 (2)
王都は概ね円形だが、上から見ると東西に長く、片方が少し窄まっていて、卵に似た形になっている。
窄まっている方が東を向いており、その先端部分にあるのが神殿だ。
その神殿の側――王都の東に、サルトリ大禍山脈と、その周囲に広がる瘴魔の森がある。
こちらは瘴魔の森により近い為、一般住宅や商業施設は少ない。代わりに冒険者ギルドを始め、鍛冶屋、薬屋、騎士団本部などと、戦う為の設備は充実している。
エリクは西南の門から王都に入った。
そこから見た王都は華やかで、東に進むごとに物々しくなっていく様子に、また面食らう。
……やはり、王都でも西と東とでは別の街と思っていいのかもしれない。
王都の端から端に移動する形になったエリク一行は、朝早くから出発して昼前に神殿に到着した。
神殿には予め連絡を入れていた為、すんなりと奥へ通された。
そして。
「お父様!」
「愛しの娘よー!!」
案内された応接室には既にプリムラが待っており、父親の姿を認めると、パッと顔を輝かせ、駆け寄って来た。
ガバッと腕を広げるジャイン男爵、その懐に飛び込むプリムラ。
相変わらずの仲良し親子である。
「ああ、会いたかったよプリムラ。元気してたかい? 神殿とは上手くやってる? 修行は辛くはないかい?」
「私は元気よ。神殿の人も良くしてくれてるわ。修行は……ちょっとキツいけど」
「プリムラ……」
「あ、でも大丈夫、始めたばかりだもの。これからよ、これから」
一頻り再会を満喫したプリムラは、次いでエリクにも声を掛けた。
「エリク、本当に来てくれたのね。嬉しいわ」
「プリムラ……! 俺も、また会えて嬉しいよ! 俺ね、【武術の才能】を授かったんだ! だから神殿騎士になってプリムラを守るから!」
ソワソワしながら親子の語らいが終わるのを待っていたエリクは、ようやく声を掛けられて、つい食い気味に語ってしまった。
最初は学園入学だけの予定だったが、目標がプリムラの護衛なら神殿騎士になるべきでは、と話が発展し、結局学園と神殿の両方に入る事になったのだ。
後から思えば無謀な選択だったが、ジャイン男爵は学園の授業にさほど苦労しなかった為、神殿騎士の修行と平行でも大丈夫だろうと軽く考えていたのだ。
プリムラはエリクの勢いにパチクリと目を瞬かせたが、直ぐに微笑んで「期待してるわ」と返した。
この日はプリムラは休みを取ったとかで、一日男爵と過ごした。
神殿の中を案内し、共に食事をし。その間、プリムラはジャイン男爵にべったりで歩く時は必ず腕を組んでいる。
エリクは放置気味で少し寂しかったが、プリムラは生まれて初めて親元から離されたのだ。今は旦那様優先だ、と己に言い聞かせた。
それと同時にエリクの神殿騎士見習いの手続きも行った。
今日はプリムラを優先してくれて良いと言ったが、男爵とてあまり長く領地を空ける訳にはいかない。そう言われればエリクに反論の言葉は無かった。
プリムラが神殿騎士に興味を示した事もあって、揃って騎士団の見学もする事になった。
エリクが神殿騎士の説明を受け、それにジャイン親子が付き添う形だが、聖魔法使い様と共に騎士団内を案内されたエリクは非常に目立った。
既に顔見知りが出来ていたのか、たまに声を掛けて来る者もおり、プリムラは屈託なく「私の幼馴染みよ」とエリクを紹介した。ジャイン男爵も「仲良くしてやってくれ」と言葉を掛ける。
そして別れる際には「プリムラを頼んだよ」と衆目の場でエリクに言ったのだ。
後になって振り返れば、この時の男爵の言動が、エリクを守る最後の砦となっていた。
“プリムラに纏わりつく害虫”と見做されるようになってからエリクは迫害を受けたが、暴力が振るわれなかったり問答無用で神殿を叩き出されなかったのは、ジャイン男爵が「自分がエリクの後見だ」と大勢の前で、ハッキリと示したから。
田舎の底辺貴族と言えど、聖魔法使いの実の父親。それも父娘関係が良好な事は傍目にも明らか。
ジャイン男爵を無碍にする真似は、高位貴族でも憚られたのだ。
これが無かったら、エリクは『男爵の推薦』も“詐称だった事”にされ、無一文で放り出されていたかも知れない。
そんな政治的攻防には一切気付かず、エリクはジャイン親子との時間を楽しんだ。
夕食も終わって。男爵が帰る段階になって。「ごはんちゃんと食べるんだよ、何かあったらお父様に知らせてね、直ぐに駆け付けるからああやっぱり心配だ離れたくない云々」と一向にプリムラから離れようとしない男爵を護衛が担ぎ上げ強制連行し。
「プリムラちゃああぁん、元気でねえぇ、また来るからああぁぁぁ」
と担がれたまま涙目で叫び、プリムラが両手で顔を覆ってプルプルする、なんて一幕があったりして。
「お父様ったら、恥ずかしいわ……」
「ははっ、旦那様はプリムラ大好きだから」
「分かってるわよ。……だから怒れないんじゃない」
そんな会話をする二人を神殿の者達は微笑ましく見守っていた。
この時は、まだ。
そして、エリクの神殿騎士見習いの生活が始まった。
どこの世界でもそうあるように、見習いの仕事の多くは雑用だ。洗濯、掃除、先輩騎士の武具の手入れ、ちょっとした事の使いっ走り。
それに走り込みや筋トレ等の身体作りに基本の素振り。
ここまでは想定内だし、身体を動かすのが苦にならないエリクには問題無かった。
問題は、座学。
エリクは元々、ジャイン領の自警団に入る予定だった。
そんなエリクは身体を鍛え、剣や弓を習い、野山を駆け回り、罠を張ったりは散々してきたが、読み書き算数は最低限、村民として困らない程度にしか学んでいない。
「お前これ、学園に入れるかどうかも怪しいぞ」
そう言ったのは誰だったか。
一平民、それも最低限の教養しかない者が強力な祝福を得て、国に取り立てられるのは珍しく無い事。
聖魔法使いも大半は平民出身だ。そんな者の為に国の方も対策は取っており、入学だけは学力に関係無く可能である。
急に学園に入る事になった平民の為のクラスもあり、サポートはしてくれる。
が、それを加味してもエリクの学力は酷かった。
それに、エリクは学園の授業に加えて神殿騎士として必要な知識も身に着けなければならない。
良い祝福に恵まれても、道は険しかった。
それに加えて、問題が生じる。
「エリク! 遊びに来たわ!」
ちょくちょくプリムラが遊びに来るのである。
それ自体はエリクにとっては嬉しい事だったが、今は全ての空き時間を勉強に注ぎ込まなければならない時期。正直、プリムラの相手をしている暇は無い。
そう言って控えて貰うようプリムラに言うべきだと、エリクも思ってはいる。
けれど。
「やぁ、エリク。勉強は捗ってる?」
プリムラと共に現れ、そう言うのはこの国の第四王子ミハイル・ヒモリ・アルセルス。
プリムラ達と同い年で、金髪碧眼、気さくで穏やかな、プリムラの婚約者候補、の一人。
――エリクが王都に来て直ぐに、プリムラに王子との婚約話があった事は聞いた。
けれど断ったとも。
「だって、王族よ? 私なんか無理だって」
そうあっけらかんと言うプリムラに安堵していたが、王子はちょくちょくプリムラを訪ね、親交を深めようとしている。
王子で、顔立ちも整っていて、偉ぶらずにエリクにも声を掛けてくれる、ミハイル王子。
他にもナントカ公爵子息とか、騎士団長子息とか宰相子息とか、凄そうな(ぶっちゃけ、どう凄いのかは分かってないが)貴族子息が競うようにプリムラに会いに来るのだ。
エリクは焦った。
焦燥感に追い立てられ、勉強よりもプリムラと過ごす方を優先してしまう。忠告してくれる者も居たが、どうしてもプリムラの誘いを断われない。
そうして、始めは協力的だった同室の見習い仲間や神殿関係者は少しずつ離れて行き。
気が付けば、エリクは孤立し、冷ややかな視線を向けられるようになっていた。