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9 エリクの黒歴史 (1)

 エリク視点。

 しばらく続きます。

 エリクはジャイン領の木工職人の息子として生まれた。


 ジャイン領は小さな田舎領地だ。面積そのものも小さく、コミュニティも領主の住む村が一つあるきり。

 インフラもろくに整っておらず、水は井戸から汲み上げ、煮炊きも冬に暖を取るのも薪が必須。


 そんな弱小領地だから、当然華やかさなど無く、貧しいと言う程ではないが豊かと言うにも遠く、けれど領民全員が家族と言えるような温かく穏やかな村だった。


 そんな領地を治めるジャイン男爵は、気さくでのんびりとした、領民に混じって自ら畑を耕すような人物だった。本当に領民と同じ格好をして汗水流して働く様は貴族は見えない。おかげで子供達は皆、領主を村人だと思い込み、育ちながら立場の違いを教わる。そんな環境だった。

 領主自らそんな有り様なので、子供であるプリムラも、当たり前に村の子供に混じって育てられた。


 ゆえに、エリクは物心ついた時にはもう、プリムラとは仲良しだった。


 幼少期から愛らしかったプリムラ。いつも一緒に遊んで、後に同じ村人ではなく“お姫様”だと知ったのはいつの事だったか。

 彼女が特別な存在になるのは、至って自然な成り行きだった。


 ただ仲の良かった幼馴染みが、やがて異性になって、意識するようになって。

 そんな二人を、大人達は微笑ましく見守っていた。ジャイン男爵もだ。

 当たり前のように平民に混じって働く男爵は、娘が平民と結ばれる事になんら抵抗を覚えなかった。

 それに、男爵は可愛い一人娘を他所へやるのを惜しく思っていたのだ。相手がエリクであれば、結婚後も可愛い娘を手元に置いておける、と平民のエリクとの仲が進展していくのを、邪魔する事無く見守った。


 周りがそんな様子だったから、エリクは大人になったらプリムラと結婚するのだと自然と未来を描いていた。


 けれどそんな展望は、あっさりと覆された。


 大人への仲間入りを果たす祝福の儀。

 めでたい筈のその日は、エリクにとっては絶望の日となった。

 プリムラが突然王都に行く事になり、大人達が揃って「プリムラの事は忘れろ」などと言い出す。

 意味が分からなかった。

 堪らずジャイン男爵に突撃した。

 突然の来訪にもすぐに応じてくれた男爵は、しょぼくれて小さく見えた。男爵も辛いのだと、その姿から察した。男爵にもどうしようもない事なのだと。

 その様子に、エリクはようやくプリムラは居なくなるのだと理解した。

 男爵から聖魔法の事やその決まりなどを教えて貰ったが、どちらかと言うとプリムラを失う寂しさを共有し、慰め合うような話し合いになった。


 納得いかないまま、けれどどうにも出来ない事なのだという事だけ理解して。

 行き場の無い気持ちを持て余していたある日、ふらりとプリムラが現れた。

 慌ただしい屋敷から抜け出して来た、と言う彼女と、エリクは久しぶりに遊んだ。いつものように森の果物を取って、川で魚をつついて。

 何も無かったかのような日常。それがふと、陰る。プリムラが急に黙り、俯く。


「エリク、私ね、村を出なきゃいけないの」


 やがて絞り出されるように告げられた言葉。「エリクともお別れなの」と。

 ポロポロと泣く彼女に、エリクはただ背中をさするしか出来なくて、そんな自分が情けなかった。


 程なく、プリムラは村ではまず見ない立派な馬車に乗って村を離れた。

 エリクは馬車がただ遠ざかって行くのを、見ているしか出来なかった。


 失意の日々を過ごし、プリムラに遅れる事一月、エリクも祝福の儀を受けた。

 そこでまた転機は訪れる。エリクは【武術の才能】を授かった。


 【◯◯の才能】と付く祝福は、それなりに珍しく、武術系ともなれば有用。これで男爵の推薦が付けば王都の学園にも十分通えるものだった。

 王都行きを打診されたエリクは即飛び付いた。

 これでプリムラに会える、プリムラを諦めずに済む、と。


 それが地獄の幕開けになるなどとは、思いもせずに。




 エリクの祝福の儀から一月後。

 諸々の準備を終えて、エリクはジャイン男爵とその護衛、計三人で故郷を出発した。「一人では大変だろう」と男爵自ら付き添いを申し出てくれたのだ。

 平民の子に対する対応ではないが、八割程は愛娘に会う口実だ。村の者は皆、秒で男爵の思惑を察した為、誰も何も言わず送り出した。


 初めて村を出て外の世界に触れたエリクは毎日が驚きの連続だった。

 ジャイン領は農業と狩猟採集がメインで、家屋は木材に土壁が基本。道もただ踏み固めただけだった。

 それが隣領に出ると石畳の舗装された道に、石を積んだ壁に囲われた街。密集した家々は煉瓦造りで、数え切れない程の店がある。

 そんな街も国全体で見れば小規模に分類されるのだが、住民百数十人程度の村しか知らないエリクには途方もない世界だった。


 だが、それらの衝撃を吹き飛ばすものがあった。

 “穢れ”だ。

 それは、街道から遠く離れた盆地にあった。視界に入っただけで悍けを催す“それ”にエリクは頭が真っ白になった。


「エリクは穢れを見るのは初めてだったね。うちの領は、貧しいが穢れの脅威だけは免れてるからね」


 硬直しながらも小刻みに震えるエリクに、男爵は穏やかに説明する。

 あれが、この世界を脅かすものだと。

 あれが、プリムラが戦う事を運命付けられたものだ、と。


「この国には恐ろしい穢れ地があってね、その穢れを抑えるお役目を課せられてるのだよ。私達が向かっている……プリムラの住まう王都は、その穢れ地のすぐ近くにある。あの穢れがささやかに思えるような穢れだ。その側に在って、穢れから人々を守るのが、プリムラの神から与えられた使命なのだ。――プリムラの側に居る、と言う事は、あの穢れとも日常的に関わると言う事だ。君は、それでもプリムラの側に居てくれるかい? プリムラを守ってくれるかい?」


 静かに、訥々と男爵は語り、エリクに問う。

 その男爵の瞳に、哀しみと不安とをエリクは感じた。

 頭を使うのが苦手なエリクは、男爵の言葉を理解出来たとは言い難い。

 けれど、男爵がプリムラの身を案じていて、プリムラの為に自分に良くしてくれている、と言う事だけは、しっかりと理解していた。


「俺……俺に、どこまで出来るか、分かりません」


 以前だったら二つ返事で「もちろん!」と答えていただろう。

 しかし、あの穢れを見た直後では、それが出来るとは断言出来なかった。


「でも、頑張ります。俺の全力で、プリムラを守ります」

「うむ」


 青ざめながら、精一杯と言う顔で誓うエリクに男爵は満足気に頷いた。

 生まれて初めて穢れを見てそれだけ言えるなら十分だ。むしろ、穢れを目の当たりにしてもあっけらかんと「守れる」と口にされていたら、「本当に分かってるのか?」と疑念を覚える所だ。そうなっていたら今からでもエリクを帰郷させていただろう。


 そうして辿り着いた王都は、本当に桁違いな穢れがすぐ側にあった。

 相当距離があってなお存在感を放つ山脈は“サルトリ大禍山脈”と言い、大陸有数の穢れ地だ。その周囲に広がる森にも穢れは広がり“瘴魔の森”と呼ばれている。


 王都の手前から穢れに充てられ体調を崩していたエリクは、本当にこんな所で生活出来るのかと弱気になったが、男爵が手続きを終えて城壁の内側に入った途端、フッと身体が楽になった。


「へ?」

「楽になったかい? もう大丈夫だよ」


 王都には、穢れの影響を防ぐ結界が張ってあるのだそう。

 それは古アーテラス大帝国を築いた始祖ヨーコが張ったとされている。

 六百年も前の物なのにいまだ健在で、現在使われている結界より余程強固でそれにより穢れ物や魔物からも守られていると云う。


「こんなに穢れが近いが、他所の堅固な都市より安全なのだよ。……そうでなくては、とてもこの地に居着いて穢れを管理するなど、出来ないからね」


 と、男爵。

 改めてプリムラの背負う物に思いを馳せる。が、それも長くは続かなかった。

 これまでも国内有数の大都市を経由し、その規模や設備に唖然としていたエリクだが、王都は更に格が上だった。


「だ、旦那様! こんな所から水が!」

「それは水道と言うのだよ。王都ではこの道具から水を得られるんだ」

「旦那様!? 火が! ど、どうすれば」

「大丈夫大丈夫、これはコンロと言ってね、こんなに小さいがかまどの役割をするんだ。この宿は各部屋にコンロがあって、客が自由にお茶を淹れるんだ。どれ、お茶を淹れてやろう」

「旦那様が!?」


 ジャイン領では水は井戸から組み、煮炊きは大きな竈門で薪に火を付けて調理するもので、お茶の一杯を淹れるのにも相応の手間と労力を必要とする。

 また、村ではトイレと風呂は共用で、やはり汲み取りやら湯を沸かすやらで専門の者が運営するものだった。その風呂もトイレも各部屋にあって気軽に使え、しかもそれらは貴族専用では無く、平民向けの宿にも当たり前にあると言う。それどころか、王都の一般家庭には風呂もトイレも備わっていて、平民が当たり前に利用しているとか。


 あまりに遠い世界に、エリクは気が遠くなった。


 そういえば、入る時に潜った門も、エリクから見れば異常な程立派だった。

 あの時は体調不良で意識が回らなかったが、あの門、いや城壁、あれ厚みだけでジャイン男爵の屋敷よりデカくなかったか。通り抜けるだけでそこそこ時間掛かってなかったか。アレもう壁じゃないだろ。細長い城だろ。


 それに、エリク達は王都に入ってすぐ宿を取ったのだが、その理由もまた凄かった。


「この南門からプリムラの居る神殿までは数時間掛かるからねぇ。今から向かっては夜中になってしまうんだ」


 同じ都市なのに、行き来だけで一日がかりって何。それもう違う街では?

 私も一刻も早くプリムラに会いたいけどね、そんな男爵の言葉が右から左に流れて行く。


 自分は本当に、この王都でやっていけるのだろうか……?

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