第一章 国盗り その6
「鎧殻解除」
その一言によって、サムエルの身体に装着されていた鎧殻卵の欠片が独りでに剥がれ落ち、見えない手によって元の卵の姿に組み直され、ドスンと着地した。
サムエルは鎧殻卵を抱えて、地面に脱ぎ捨てていた革袋の上に置き、再びすっぽりと包み直した。革袋の口を紐で締め、背中に担ぐ。ずっしりとした重みを肩に受け止める。
戦闘態勢を解除し、旅装へと戻ったサムエルはフランシスとテファーヌの方を向いた。
テファーヌは疲労のため、木陰に身を置いて休んでいる。時折、腹部を摩っているところを見ると、あの兵士の一撃が相当に応えているらしい。その隣でフランシス公子が行商人の一人と交渉している。漏れ聞こえる言葉の切れ端を繋ぎ合わせると、どうやら『溶けない雪山』まで自分達を運べる荷馬車を売って欲しいという旨を伝えているらしい。
行商人の方は額に汗を浮かべながら、フランシスの言葉の合間に何度も恭しく相槌を打っていた。フランシスが本物のパナリオン公国の公子であることは、先程の兵士とのやり取りで判明しているのだから、そのような対応にもなるだろう。
しかしこの村で公子と出会えたことは、サムエルにとっても僥倖だった。
数日前、サムエルの元に現れた竜伐院の使いの者から二つの指令が下された。
一つは、パナリオン公国内のクーデターに加担した鎧殻士師ギデオンの討伐。
本来、鎧殻士師を統括する組織である竜伐院だが、所属する鎧殻士師に対して強い統制を行うことはなく、比較的自由を認めている。場合によっては一国に仕官することも許している。だが略奪や人間同士の戦争の関与といった世の平穏を乱すことは固く禁じており、パナリオン公国の政変に関わったギデオンの行為を逸脱行為と見なし、かつての弟子であるサムエルに処断の指令を授けたのだった。
そしてもう一つの指令は、パナリオン公国の君主として擁立するに相応しい候補者の捜索。
新生パナリオン公国はギデオンを軍事力の要とした軍拡路線に突き進んでおり、他国の侵略を目指していることは明白。無論、これも大陸の平穏を乱す行為であり、クーデターの成功と軍事改革に鎧殻士師が関わっている以上、竜伐院としても見過ごせない事態である。しかし鎧殻士師であるギデオンの討伐は身内の処分として言い訳が立つが、一国の君主となったジョバンニに対して竜伐院が直接的に関わることは憚られる。
そのため、ジョバンニに代わる正統な後継者を見つけ出し、体面上はその者が手ずからパナリオン公国を取り戻したことにする必要があった。しかし以前の公爵の嫡男であるフランシスは戦死したとの報告があり、擁立の候補者は絶望視されていた。サムエルも、ギデオンとの戦いは望むところだったが、もう一つの指令には頭を悩ませていたところだった。
「それがまさか、生きていたとはね」
サムエルは行商人と交渉中のフランシスを眺めながら呟く。
拝竜教を棄教したサムエルには感謝の念を捧げる神がいないので、己の幸運に感謝することにした。
と、サムエルに視線を注がれていることに気付いたフランシスが、交渉を終えてゆっくりと歩み寄って来た。
ボロ布を纏ってはいても、その高貴な顔立ちは目を見張るものがある。
「鎧殻士師殿、確かサムエルと言ったな。事情はテファーヌより大体聞いている。この度の助力に誠に感謝する。貴殿が居なければ、我が未熟な女騎士は惨めな最期を遂げていただろう」
フランシスの金の前髪が軽く揺れる程度の、僅かな角度の一礼だった。しかし一国の公子が苗字を持たない平民であるサムエルに頭を下げるという行為そのものが、最上級の謝意である。
「いや、こちらこそ。そもそもの発端はギデオンが反乱に協力したせいだ。これは我ら竜伐院の身内の不始末だ、誠に申し訳ない」
「その気遣い痛み入る。……しかし見事な腕前だった。僕の眼に誤りがなければ、サムエル殿は彼らを殺さぬように戦っていたように見受けられたが……」
フランシスは未だに気絶したまま、縄で縛られている兵士達に視線を向けた。その目には忠臣に暴虐を振るった相手に対する憤怒が宿っていた。
「俺に敵対したと言っても、彼らは鎧殻卵を持たない生身の人間。俺にはどうしても、彼らを殺すことができなかった」
サムエルは先程の戦いで、鎧殻卵を使用し本気の一端を見せたものの、それでも殺意までは向けることが出来なかった。あくまで自身の力は竜に対するもの、そう捉え続け、今まで鎧殻士師として戦ってきたのだ。
「……ですが、貴君の騎士に対して狼藉を働いたことは事実。貴君が望むならば、この場で彼らを斬り殺すことに異論はありません。彼らを生かせば、あなたの生存もすぐにでも反逆者の叔父上に伝わることなる。あなたにとっても迷惑でしょう」
兵士の生殺与奪を委ねられたフランシスは、すぐに首を横に振る。
「……いや、元より私はこのまま『溶けない雪山』に攻め上がる決意であった、遅かれ早かれ叔父貴には気付かれていたはずだ。それにこの宿場町を彼らのような異端者の血で汚すのは耐えがたい。……ならば、彼らは生かしてやろう。気絶している内に森の中にでも捨て置けば、僕の邪魔になることも無いだろう」
「……温情、感謝いたします」
サムエルは貴族の人間と真向かいで話した経験はなかったが、フランシスという少年の持つ君主としてのオーラを鋭敏に感じ取ることが出来た。容姿や口調の気品さはもちろんのこと、その豪胆さや度量の深さはとても年下の少年とは思えない。
「そう言っていただけると、こちらも有難い。……ところで、今しがたの言葉、『溶けない雪山』を攻めると言うことは、君主の座を奪った叔父上を成敗する覚悟をされているようだ。どうだろう、俺も同行させてもらえないだろうか。聞きに及んでいるかもしれないが、俺の目的は反逆に加わった鎧殻士師ギデオンの処断だ。即ち、目指す先は同じということだ」
聡明なフランシスのことだ。恐らくは鎧殻士師の戦力は喉から手が出るほど欲しいはず。即断即決で、了承してくれるだろう。
「そのお言葉、誠に感謝する。だが、それはこちらの事情だ、助勢は結構である。……それでは、貴殿に竜のご加護があらんことを」
サムエルの一刀よりも鋭利な調子で言い切られてしまった。しかも拝竜教の教徒の間で用いられる別れの挨拶までされる。
フランシスの背を慌てて引き留める。
「い、いや、しかし、貴君の叔父上の傍には鎧殻士師ギデオンがいる。その力は百人の精鋭の兵士をも凌ぐ。俺はギデオンから剣技の全てを学んでいるから、戦い方にも詳しい。味方としてはこれ以上無いと思うが……」
フランシスと共闘できないのは、サムエルとしても少々困る事態だ。
「無論だ。そなたの力を疑っているわけではない。むしろ、先程の兵士との立ち合いには僕も見惚れたほどだ。……だがこれはパナリオン公国の問題に端を発している。そなたを巻き込むわけにはいかない」
しかしフランシスは強固な態度を崩さない。
これはフランシスにとっても利のある話のはず。なぜ頑なに拒むのかが、サムエルには理解できなかった。
「ならば一人で、いや、あの女騎士も一緒かもしれないが、たった二人で叔父上と鎧殻士師に立ち向かうつもりか? それは無謀、無策、蛮勇、みすみす死にに行くようなものだ」
「そうかもしれん。……それでも、余所者を巻き込むわけにはいかん。……特に、拝竜教を冒涜するような、鎧殻士師の手を借りるつもりは毛頭ない」
きっぱりと言い放つフランシスの強情さ。この期に及んで信仰に拘る姿勢に、サムエルは驚きや怒りを通り越して、尊敬すら覚える。
結局この少年も、ここの村人や行商人と同じ。拝竜教とかいう愚かな信仰に憑りつかれ、実利よりも感情を取ったのだ。
「……馬鹿だな、お前」
貴族の前なのでそれなりに丁寧な口調を心掛けるつもりだったが、あの日から抱き続けている拝竜教への不信感と、それを信奉する少年の哀れさに耐え切れず、つい本音が出てしまった。
瞬間、ぴくりとフランシスの眉が跳ねた。
「……な、何を……」
「馬鹿だと言ったんだ。ろくでもない教えに拘って、みすみす死にに行くなんて。死んだお前の親父や、お前を守ろうとして死んだ護衛の兵士や、お前のために拷問に耐えたあのテファーヌという女騎士の想いを全部無駄にする気か?」
「き、貴様、愚弄する気か? テファーヌを助けた御仁であった故に、こちらも下手に出ていたが、そこまで言うならば流石に堪忍袋の緒が切れるぞ」
フランシスが並びの良い歯を剥き出して、ギリギリと噛み締めながら睨んでいる。
「きっとお前の叔父も、お前の死体を眺めながら俺と同じように笑うだろうさ。『拝竜教なんぞをご丁寧に崇める馬鹿者ばかりで助かった。お蔭で我が地位は守られた』ってな」
童謡を歌うような調子付で煽ると、みるみるフランシスの顔が赤くなる。それを眺めているのが面白いので、段々と愉快になって来た。
「…………ゆ、許さんっ」
耳の名から煙を噴き出しかねないほどに顔を真っ赤にしたフランシスが、サムエルの胸倉にむんずっと掴み掛った。
しかしサムエルにはその予備動作が丸分かりであり、動きも遅々としたものであったため、フランシスの右腕を掴み取るくらい造作もなかった。フランシスの指先がサムエルの襟元に触れるギリギリのところで止める。
二人は視線を交じらせ、激しい火花を散らす。
「……フランシス様っ、馬車の用意が出来ましたよっ」
と、テファーヌに呼びに来るまで、両者は取っ組み合いの恰好を維持していた。
少し回復した様子のテファーヌが、毛並みの良い一頭の馬の手綱を引いてやって来る。馬の胴体には四輪の荷馬車が繋がれていた。荷馬車には盛り上がった半月型の天幕が付いており、雨風を防ぐのに重宝しそうだった。天幕の中には少量だが野菜や果物、干し肉など数日分の食材が詰まった木箱が並べられ、それでも大人三人が横になって寝転がれるほどの余裕がある。
「うむ。ありがとう、テファーヌ」
フランシスは慌ててサムエルの手を振り払い、荷馬車の中に乗り込んだ。
「さあさあ、サムエル殿もどうぞ」
テファーヌの手が荷馬車に向けて差し伸ばされる。
「ま、まてっ、テファーヌっ。こいつも連れて行く気なのかっ」
荷馬車の天幕の奥に消えたはずのフランシスが戻ってきて、仰天した顔を突き出した。
一方、テファーヌはキョトンと目を丸くし、
「……これからサムエル殿のご助力を賜るのではなかったのですか?」と言い首を傾げる。
「無論だっ、こやつは鎧殻士師。即ち、我らの崇める竜を殺めることを生業とする男だっ。しかも聞けばこやつは、叔父貴の片腕となっている男の弟子だったと言うではないか。こんな奴の力を請うなど、拝竜教の敬虔なる信徒としてあってはならないっ」
「し、しかし、サムエル殿の剣技は間違いなく本物。私など到底及ぶことのできない達人でございます。お味方としてはこれ以上心強い者はおりません」
フランシスとサムエルの間で板挟みとなったテファーヌが、両者の顔をオロオロと見回す。
「悪いがテファーヌ。あんたの忠義には感心するが、俺もこいつと一緒に旅をするのはご免こうむる。こいつの頭の固さにはついていけん」
サムエルも意地になって、フランシスの方を見ないように顔を背けながら反発した。
両者、まるで子供のようであった。
「むぅ、お二人共、一体どうなされたのですか? 先程は、まるできょうだいのように仲良くじゃれ合っているように見えましたが……」
「きょうだいじゃねえっ」「きょうだいじゃないっ」
テファーヌの惚けた勘違いに、フランシスとサムエルは同時に抗議を発してしまう。二人の声は合唱のように小気味よく調和して響き渡った。
「ほら、やはり仲がよろしい」
テファーヌが顔の前で手を合わせて、何やら嬉しそうに笑う。
「……む」
「……ぐ」
呑気なテファーヌに文句を言いたい二人だったが、口を開けばまた声が被ってしまうことを恐れ、苦虫を噛み潰すだけに止めた。
しかしサムエルにとっても天幕付きの馬車というのは非常に魅力的な宿である。鎧殻士師と言えども、普通の人間と同じように寝食は必須である。雨風を凌げる天幕や豊富な食糧はあるに越したことはない。
「……しゃあない。その話、乗ってやるよ」
そう言い残し、地面を蹴ったサムエルは馬車の荷台の上にふわりと飛び乗った。サムエルの体重を乗せた馬車がぐらりと揺れ、フランシスが慌てて四つん這いになる。
「たわけっ。そんな乱暴に乗り込む奴がいるかっ」
サムエルはフランシスの罵倒には耳を貸さず、どっかりと腰を下ろして寛いだ。陽気に鼻歌を歌いながら手近な木箱を開き、中の食材を検分する。
「おおっ、これは良い。塩漬けの肉や魚の干物、野菜も色々取り揃えられている。これは久しぶりに腕が鳴るな」
歓声がサムエルの口から漏れると、それを聞きつけたフランシスとテファーヌの耳がぴくりと微動する。
「さ、サムエル殿は料理を嗜まれているのか?」とテファーヌが内心の期待を隠さない浮かれた声で問う。
「ああ。鎧殻士師は皆、一人で大陸の各地を放浪し、行く先々で竜を討伐する使命を負っている。旅路の最中は自活が基本だ。剣の腕ほど自信はないが、まあ、多少はできるぞ」
その回答に、料理経験が皆無のフランシスとテファーヌが顔を見合わせ、頷き合った。幼い頃から共に育った二人だからこそ、言葉がなくとも意思疎通が可能だった。
フランシスが、けほんとわざとらしい咳払いを一つする。
「ふむ。鎧殻士師ではなく、僕の御付きの料理人ということであれば問題なかろう。喜べ、サムエル。そなたが我が旅に追随することを許そう」
「……その上から目線が気に入らねえ」
と、文句を言うサムエルだったが、馬車を降りることはせずに、料理人としての役目を甘んじて受け入れて食材の確認に勤しみ始めた。天幕付きの馬車と豊富な食糧を目の前にして、自尊心などという何の腹の足しにもならない感情を優先するはずもなかった。
「……この旅は、存外、楽しいものとなるかもしれませんね」
テファーヌがサムエルの背中を眺めて嬉しそうに微笑みながら、そっとフランシスに耳打ちをする。
それを聞いたフランシスの表情は複雑に歪んだ。喜んでいるようにも、苦悩しているようにも見える。固く決意したはずの叔父への復讐の旅がこんな和やかな形で幕を開いたことに、戸惑いを覚えているようであった。
こうして、三人の珍道中が幕を開ける。




