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第一章 国盗り その5

 それは詠唱か、宣戦布告か。

 祝詞か、あるいは呪文か。

 テファーヌには分からない、その言葉の真意。

 しかしそれが卵を孵化させるための言葉だったのだろう。

 その瞬間、卵が爆弾のような勢いで割れた。赤い光の線のように表面に入っていたヒビに沿って、卵の殻は爆散し宙に吹き飛んだ。その一部はサムエルを取り囲んでいた兵士に衝突して弾き飛ばす。その光景に軍馬が驚いて嘶き、前脚で空を蹴った。

 大小異なる破片となった卵の殻が空中に散ったのはほんの一瞬であり、すぐさま透明な糸で引き寄せられるかのように収束する。だがその集まった先は元の地点ではなく、サムエルの身体の上である。無数の卵殻の破片は一つ一つが意志を持つかのように、サムエルの腕、肩、大腿部、脛へと独りでに集まっていく。

 サムエルの身体が見る見る卵殻によって覆われた。

 鎧姿のサムエルは腰から片手剣の抜き放つと、正眼に構える。刀身の長さは大人の前腕部ほどであり、兵士が持つ剣と見た目に大きな違いはない。だが鎧殻士師が握っているという事実が、片手剣に竜殺しの武器としての禍々しさを纏わせていた。


「……あ。……ああ」


 テファーヌの口から感嘆とも恐怖とも分からない声が漏れる。

 全身を卵殻で覆われたサムエルの姿は、色や武器こそ違うが数日前に『溶けない雪山』を襲撃した鎧殻士師そのものだった。紙が通る隙間もないほどに幾重にも重なった鎧に身を包み、兜で表情を隠し、その場を支配する圧倒的な威圧感を放っている。

 先に仕掛けたのは、兵士達だった。サムエルの背後、左右、正面と六方面からの同時攻撃。一見すると、重装甲の相手に対し刀剣で挑む愚行のように思えるが、肘や膝などの関節部分を正確無比に狙い澄ました一刀だった。いかに鎧殻士師の鎧と言えども動くためには、間接付近の装甲は薄い。そこを狙っている。


 しかしサムエルは右方向の剣に対しては自身の剣で防ぎ、左方向には左腕の篭手、背後からの攻撃も後ろ回し蹴りにて全て弾き落した。六つの金属音が完全な防御を知らせている。

 鎧殻士師の鎧は重厚である故に動き難く見えるが、多数の小さい卵殻によって構成されているため、身体の動きに自然と合わせることが出来るようだ。

 無論、簡単なことではない。サムエルのこれまでの鍛錬があってこその、軽快な動きなのだろうと、身体を起こしたテファーヌはその戦闘を眺めて舌を巻いた。


「散会ッ」


 六方面の攻撃を防がれた兵士達は、一人の号令を受けてサムエルから距離を置くように散る。見事に統率された動きである。先の『溶けない雪山』での戦い見せた、あの集団戦が再現されていた。彼らもまた、サムエルとは違う意味で強者である。


「包囲陣形っ」


 同時攻撃が防がれたことで、兵士達は戦い方を切り替えた。

 サムエルを中心とした輪を形成しながら、一人ずつ攻撃を仕掛ける。一人が斬り込み、防がれたら輪に戻り、間を置かずに別の一人が死角から攻撃する。一撃離脱の戦い方。まるで師匠に稽古をつけられている門下生のように、一瞬の剣戟を何度も繰り返す。

 兵士達が消耗戦を狙っていることは、テファーヌにも分かった。

 鎧を纏うサムエルを相手に、いくら六人がかりとはいえ短期決戦は無謀。そのため集団の利を生かし、攻撃役を交代することで体力を温存しつつ、逆にサムエルには緊張状態を長引かせ疲労させる。単純ながら効果的な戦い方だ。

 剣と剣の逢瀬が繰り返され、両者の接吻は甲高い金属音を生む。耳にしているだけで自分が斬られるかと思うほどに鋭利な剣戟の音だった。

 兵士達は整った呼吸を続けており、疲労の色は薄い。対するサムエルは兜で頭部を覆われているため、表情は読めない。疲労はどれほどだろうか。いくら鎧殻士師といえども、鎧を背負いながら戦い続けるのは決して楽ではないはず。多少動きが鈍くなっているように見受けられる。


「刺突開始っ」


 サムエルの疲労は濃いと判断したのか、兵士達は三度攻撃方法を変える。といっても包囲は崩さない。左右背後の三方向からの刺突攻撃だ。関節部の鎧の隙間を狙っている。

 矢のように飛び出した三人の兵士達。突き出した剣は、まるで鏃だ。

 サムエルは左右の鏃は剣を振るって叩き落して対応したが、背後の攻撃までは手が回らなかった。鏃がサムエルの身体を貫くのを許した、


 ――かのように見えた。


 兵士が突き出した剣の刀身がサムエルの身体の影に隠れて見えなくなったことから、テファーヌはついに装甲の合間を刃が通ったのものと早合点した。

 だがよくよく見ると、剣はサムエルの胴体の横の空間を貫いているだけだ。サムエルは身体を逸らすことで、刺突を回避したのだ。


「ちっ」


 攻撃を回避された兵士は次撃のため、突き出した剣を引き戻そうとする。しかし剣はその場から根が生えたように動かない。


「何ッ」


 それもそのはず、その刀身はサムエルの脇に挟み込まれていた。いくら引っ張ろうとも抜けないほどに食われている。

 サムエルはそのまま勢いをつけて振り返り、兵士の手から剣を捥ぎ取る。未だに剣はサムエルの脇に挟まったまま、握り手を失った。

 無防備となった兵士に向き直った、サムエルが左腕の打撃を放つ。その威力は、拳を受けた兵士の苦悶の表情からも察しが付く。

 一人、兵士が地に倒れた。

 サムエルは脇から剣を解放し拾い上げると、空手だった左手で構えた。二本の剣が、サムエルの手に収まる。


「……ぐっ」


 仲間を一人失い、兵士達の間で一瞬だけ動揺が伝播する。その隙を逃さぬように、今度はサムエルから仕掛けた。

 空いた包囲陣の一人分の隙間に自らの身体を捻じ込ませ、翼を広げるように左右に二本の剣を振るい、両隣にいた兵士二人を斬り付ける。流石に兵士の装甲を切断するまでは出来なかったが、斬撃の勢いによって二人の人体を空に撒きあげた。青空に、人影が二つ刻まれる。

 人間が鴻毛の如く舞う瞬間を、テファーヌは信じられない思いで眺める。

 軽々と宙を飛んだ二人の兵士はたわわに実った果実が果樹の枝から逃げるように地面へと舞い戻り、激しく叩きつけられ沈黙した。

 残った三人が慌てて剣を構え、自らを鼓舞すように叫び声を上げて斬りかかった。

 それはもはや統制を失った、ただの群れだった。

 サムエルは鎧を纏っているとは思えないほどに軽々と跳躍し、兵士達の頭上へと到達する。曲芸師も顔負けの素早い動きに兵士達が呆然と見上げているところへ、猛禽類のように襲い掛かった。両脚を広げ、その顔面に蹴り突き立てる。ぐしゃりという果肉を潰すような音がサムエルの足の裏から漏れた。

 二人の兵士の顔をもう一度強く踏みつけると、再び空を飛び、地面へと降り立つ。同時に、サムエルの踏み台となった二人の兵士の身体はドッと倒れ、地面に口づけることとなった。

 ほんの僅かな間に、六人の内五人の兵士を横臥させた、その圧倒的な力量にテファーヌは夢想する。彼ならば『溶けない雪山』にいる白銀の鎧殻士師を倒し、公国からジョバンニを廃する手助けとなってくれるのではないか、と。


「さて、残りはお前だけだ。これ以上の戦いは無意味だろう」


 サムエルが兜の下から降伏を勧告する。

 残された一人の兵士は、未だに闘志を失わずに剣を握っている。だがその表情は強張っていた。彼もまた強者であることに間違いない。それ故に、この力の差が分かってしまうのだろう。

 何の運命か、あるいはサムエルの意志によるものなのか、今、この場で唯一立っている兵士は先程テファーヌの腹を殴り、足蹴にしたあの兵士であった。


「……くっ!」


 あろうことか、兵士はサムエルに背を向けて走り出した。逃走を図ったのかと思われたが、違う。

 兵士はテファーヌの元に駆け付けると、その襟を掴んで強引に立たせ盾のように構えた。そして剣の先をテファーヌの白い喉元に寄せる。


「近づくなっ。近づけば、この女を斬るっ」


 兵士の脅しを受け、サムエルの顔には怒りよりもまず呆れが宿る。


「これ以上、恥を晒し続けるつもりか?」

「黙れっ」


 怒りが兵士の剣に伝わり、その切っ先がテファーヌの喉の皮膚に触れる。冷たい感触が喉に伝う。それは同時に、生殺与奪の全てを兵士に握られているという証でもある。だが不思議とテファーヌの心は安らかだった。

 テファーヌは穏やかな心境のまま、唇を動かす。


「……貴殿はサムエルと申したか? 私のことなど気にせず、彼奴を斬れっ」


 テファーヌは自身を羽交い絞めにする兵士の存在など気にせず、眼前の鎧の騎士に向かって語りかけた。

 兵士も、サムエルも驚いたようにテファーヌを見る。


「貴殿の力、感服した。この森にフランシス様がおられる。フランシス様ならば、貴殿を『溶けない雪山』まで案内してくれるだろう。『溶けない雪山』には貴殿の探し求めている鎧殻士師がいる。どうかそいつを斬り、フランシス様のために公国を取り戻してくれないか」

「き、貴様、今頃になって村娘の仮面を脱いで……。黙れ、黙らないかっ」


 激昂した兵士が剣に込める力が強めると、切っ先が皮膚に届いた。生温かい一滴の雫が喉を流れて、鎖骨へと落ちていくのを感じる。これが自分の血と分かっていながら、テファーヌは言葉を続ける。もう死を恐れることはなかった。


「……サムエル殿。私もこれが虫のいい頼み事と分かっている。だが、これから死にゆく哀れな女子の最期の言葉と思って聞き届けてくれないだろうか」


 テファーヌが他人にこれほど真摯に頼み事をしたのは、十七年の人生で初めてだった。騎士になるための訓練の最中であっても、他人に助けを求めることは一度として無かった。

 しかし今は、何ら恥とは思わない。サムエルは信頼に足ると思った。剣の技量も自分より遥かに格上であるとも理解した。


「……あれほどの忠義を見せた女騎士の願いとあれば、無碍にすることはできないな。……分かった、引き受けよう」


 サムエルの表情は見えないが、実直な返答にテファーヌは安堵する。

 もうこれで思い残すことはない。

 サムエルが剣を握り直すのが見えた。

 サムエルがそのまま剣を振るうのが早いか、あるいは兵士がテファーヌの喉元に剣を刺すのが早いか。

 どちらせによ、私の死は定まったと諦観する。しかしどうせならば、サムエル殿の一太刀を浴びてみたい。彼我の実力差をその身に受けて死するならば騎士としても本望だ。ならば瞼を閉ざして美しい死に顔を作るのではなく、醜く瞼を見開き、自らの死の瞬間を見届けよう。

 フランシス様、どうか、お幸せに。最期に一目、お会いしたかった。

 しかし、テファーヌが死を受け入れこの世に別れを告げた時、突然サムエルが構えていた剣を下げた。


「……女騎士。つかぬことを聞くが、そのフランシスとやらは髪は金色、目は紺色、背丈は俺より頭三つ分ほど小さな少年のことだろうか……」

「……な、なぜっ、フランシス様の容姿のことをっ」


 身体的特徴を何一つ伝えていないにも関わらず、サムエルが言い当てたことにテファーヌは唖然とした。まさか鎧殻士師とは、予知能力や千里眼の持ち主でもあるのか。


「……なるほど、やはりそういうことか。お前が忠義を捧げるフランシスならば、今、そこに突っ立っているぞ。森の中を探す手間が省けて、俺としては助かったが」


 サムエルが指で指し示すように、剣の先端をテファーヌの背後に向けた。

 テファーヌは自分が人質になっていることも忘れて振り返ろうとする。当然、兵士に羽交い絞めされているため、後ろを覗くことは叶わない。ただもがくだけに終わった。


「……ふん、そうやってこちらの気を逸らそうとしても無駄だ。存外、姑息な手を使うのだな」


 一方、兵士はサムエルの浅知恵など看破していると言わんばかりに嘲笑う。

 そうか、今のは兵士に隙を作るための虚言だったのか。それもそうだ、森に隠れているフランシスがこの場にやって来るわけがない。

 テファーヌがようやくサムエルの真意に気付き、落胆した瞬間、


「……テファーヌ。食材を買うだけのことに、僕をいつまで待たせるつもりだ。あまりに空腹過ぎて、こちらから出向いてしまったぞ」


 心のどこかで待ち望んでいた聞き慣れた声がテファーヌの耳朶を、そして何より胸を打った。

 今度は兵士の身体ごと、背後を見ることになった。兵士もまた戦士としての訓練を受けた身であり、背後から第三者の声が聞こえため、反射的に振り返ってしまったのだろう。

 村を囲う獣除けの柵の合間を抜けてゆっくりとこちらに歩み寄って来るのは、見紛うことなき姿だった。召し物こそ粗末な外套を纏っているものの、刈り入れ時の麦の穂の如き金髪に、どんな染料でも出すことのできない高貴な藍色の双眸は間違いなくフランシスだった。


「……フランシス、様」


 テファーヌの口からその名が零れると、それが呼び水となったように涙が溢れた。今際に、もう一度会いたいという願いが叶ってしまった。


「…………本物だ、……フランシス=ディエル=パナリオン……。ははっ、やはり、ここにいたかぁっ。……ははっ、俺にも運が向いてきたかっ」


 兵士は高笑いすると、腕の中で羽交い絞めにしてるテファーヌを見せつけるように一歩前に出た。


「……フランシス=ディエル=パナリオン、そこで止まれっ。ジョバンニ=ディエル=パナリオン様の命により、貴様を捕縛するっ」

「…………」


 フランシスは足を止めると、眉を額に寄せて兵士を睨む。それは手に付着した気味悪い虫を眺めるような眼だった。


「……控えろっ。女子を盾にするしかできない痴れ者めっ」


 まさかフランシスが口答えをするとは思わなかったのだろう。兵士の顔が恥辱と怒りでみるみる赤く熟れていく。


「……き、貴様っ。この女騎士が死んでも構わないと言うのかっ」

「やってみるがいい。その者は正真正銘、本物の騎士である。僕のために死ぬならば本望だろう。そして僕もまた、忠臣の死に報いる覚悟がある。貴様の首をテファーヌの墓前に捧げてくれよう」


 その迫力には、世間知らずの貴族の嫡男の強がりと鼻で笑うことのできない何かがあった。命への執着よりも殺意が上回るその姿は、まさしく狂信者だった。

 フランシスの勢いの気圧され、兵士が喉を鳴らし、一歩退いた。


「……フンッ。だが、あいにく。お前を裁くのは僕ではないらしい」


 フランシスが残念そうに呟く。

 その言葉の真意を兵士が理解するよりも早く、サムエルが影すら置き去りにする素早さで迫り、剣の柄で兜で覆われた兵士の後頭部を叩いた。

 金属がぶつかり合う、鈍い音が響いた。錆び付いた鐘を無理矢理鳴らしたような音が過ぎ去ると、兵士がくらりと昏倒する。

 六人の兵士全員が地面に倒れ伏した。

 喉の軛から解放されたテファーヌは、フランシスに向かって最初の数歩こそ自力で歩いていたが、しかしついに張り詰めていた糸が途切れ、前傾し倒れ込む。

 だが地面に衝突する前に、フランシスが抱き留めた。小柄なフランシスの姿は、テファーヌの身体の下に隠れてしまう。それでもフランシスは精魂尽き果てた忠臣をしっかりと支え、子供をあやすようにその背中を撫でた。


「ありがとう、テファーヌ。僕のために。色々とすまなかった」

「勿体ない、お言葉です……」


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