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第一章 国盗り その4

 小川に沿いながら森を歩いていくと村が見えた。先日、周辺の探索していた際に見つけた村だ。その時は用心のために遠くから観察するだけに止めていたが、今回は足を踏み入れねばならない。

 そこは宿場町となっているのか、交差する人影が数多く見える。丁度行商団が訪れているようで、馬車が何台も行き交い、その荷台には青々とした野菜や色とりどりのビロードが積まれていた。恐らくはパナリオン公国の西端に位置する商業が盛んな都市国家からやってきたのだろう。この宿場町は国外からやって来る商人の中継地点となっているようだ。


 人の群れに紛れながら、テファーヌは行商人の客を呼び込む声を聞き、食材を買い求めることにした。落ち延びる際に抱えられるだけの金品を抱えて逃げたため、それらを換金すればかなりの資金となる。食材選びには困らない。しかしフランシスは食事に煩い方ではないが、それでも都会育ちのため舌が肥えていることは確かだ。口に会う食材が手に入るか少々不安だ。また、仮に手に入ったとして、それを自分が料理として仕上げることが出来るか、それもまた疑問だった。

 この両手には剣しか握らせたことはなく、包丁を扱った経験は皆無である。料理をする日が来ると分かっていれば、女らしいことも少しは学んでいたのにと今更後悔しても遅かった。

 公国騎士団の団長である父親を持ったため、テファーヌも自然と自分も騎士となることを目指した。女が騎士になれるはずがないと周囲から揶揄われた数を数えるのは、当の昔に辞めていた。周りを黙らせるのは実力しかないと感じて、ひたすら鍛錬に励んだ。

 何度も挫けそうになりながらも、その度にフランシスの存在を心に抱いた。

 フランシスより二つ年上のテファーヌは、フランシスが生まれた時から遊び相手となることが決まっていた。それ故に二人はきょうだい同然に育ち、血よりも濃い絆と自負している。そんな半身とも呼べるフランシスを守るためにも騎士となることを誓い、その存在はテファーヌの中で計り知れないほど大きくなっていた。

 騎士の叙勲を賜った日のことは、瞼を閉じるだけでその日の陽光の感触に至るまで全てを思い出せる。女のくせになどと言う僻みの声など耳に入らず、ただフランシスの歓喜の表情だけで心は十分満たされた。


 しかし今の自分は守護するべき城を失い、輝かしい鎧や剣もしていないただの女である。

 一人、群衆の中で自嘲したテファーヌは、再び食材探しに戻る。

 その時、一際大きな人だかりがあるのが見えた。興奮して叫び声を上げている者も多くいるようだ。これはもしかすると極上の珍味が商いされているのでは考え、歩み寄った。

 巨大な輪を形成する人立ちに紛れ、彼らが取り囲んでいるものを目の当たりにする。

 どうやら商人ではないらしい。

 輪の中央にいたのは、一人の少年だった。歳はテファーヌと同じくらいだ。少年らしい幼さは残りつつも、青年の途上にあるような顔つきだ。

 周りにいる村人や行商人の恰好と比べると、かなり身なりがいい。上半身には青いサーコートを羽織り、下半身には皮革製のブレーと呼ばれる腰から踝までを覆う脚衣を履いている。毛皮のマントを首から左肩に向かって流し掛けているため、下級貴族の外出着のようである。

 だがその少年が貴族ではないことはすぐに分かった。まずその黒髪が荒れ放題となっており、定期的に散髪をしていないことが見て取れる。また、腰に差している十字型の片手剣は装飾性の欠片もない鈍色を放っており、旅人が好んで使用する安価な量産品である。

 そして何より、その背中に巨大な革袋を背負っていた。旅塵に薄汚れた革袋は貴族が持つような代物ではない。何が入っているのか知れないが、少年の身体とさほど変わらない大きさの革袋が下膨れした果実のような形となっているのだから、さぞ重荷を背負っているのだろう。その割には少年の顔に汗の一滴も見えないところは奇妙だった。

 少年は自分を取り囲む群衆を眺め、声を張り上げた。


「頼む。誰か『溶けない雪山』まで、俺を案内してくれないか? 急いでいるんだ。金ならあるぞ」


 『溶けない雪山』、その言葉にテファーヌの背筋が伸びた。さっと人々の影に隠れながら耳を澄ます。

 なぜこの少年は『溶けない雪山』に向かおうとしているのだろう。

 群衆の中から行商人風の出で立ちをした中年の男性が返答する。


「兄ちゃんよぉ、何度も言うけど、貴族様同士の戦いで城下の町は混乱してるって噂だぜ。そんなところへおめえ、何しに行くんだ?」

「それにその戦いには鎧殻士師っちゅう竜を冒涜する野蛮人も関わっていたって話だ。そいつは今でも『溶けない雪山』に居座っているとか。鎧殻士師は悪魔みたいに強くて、子供の生き血を啜り、女は幼子から老婆に至るまで犯し尽すらしいぞ。もしそんな奴に目を付けられたら……。おぉっ、怖っ」


 人々は口々に鎧殻士師の噂を並べ立て、肩を抱いて震えあがった。

 周囲の言葉に引っ張られるように、テファーヌの脳裏に鎧殻士師の姿が蘇った。騎士団長である父親を鎧ごと戦斧で叩き潰した、あの豪傑。あちこちで語られる鎧殻士師の悪鬼羅刹の如き噂がどこまで真実か分からないが、あの強さだけは間違いなく本物だった。今でも思い返すだけで、絶対的な実力差に絶望を覚える。

 しかし少年はそんな噂話など意に介した様子もなく、苦笑いを浮かべてこう言った。


「案ずるな。この俺も鎧殻士師だが、子供の生き血を呑んだこともなければ、女を犯したこともない。俺はただ『溶けない雪山』にいるというその鎧殻士師と戦う用があるだけだ」


 一瞬、村中の喧噪が止み、辺りが静まり返った。そよ風に森の木々が揺れるざわめきの音だけが、周囲を支配した。

 それから遅れて巻き起こったのは、蝟集した虫の羽音のような罵倒の嵐だった。


「てめぇっ、例え冗談でも鎧殻士師を名乗るなんてことあっちゃいけねえぞ。子供だからって許されると思うなよっ」

「そうだ、竜を殺すような不届き者を騙れば、お前さんも竜の聖火によって魂ごとその身を焼かれるぞっ。恥を知れっ!」


 憤慨し、口から泡を飛ばし、今にも少年に掴み掛らんとする群衆の怒りが凄まじい熱気となって膨張する。

 その熱に当てられた少年は、流石に面を喰らったようで言葉を失っている。ついさっきまではそれなりに品のいい村人や行商人だった人々が豹変したのだから無理もない。

 だがそれだけ拝竜教信者にとって、鎧殻士師が異端の存在であるということだ。竜を殺すことを生業とする鎧殻士師が、竜を崇拝する宗教の信徒に受け入れられるはずもなかった。

 ちょっとした騒動になりそうな雰囲気を感じて、テファーヌが少年の身を案じた時、高らかな制止の声が響き渡り、喧噪を掻き散らした。


「静まれっ、お前達、静まらんかっ」


 声と共に群衆を掻き分けてやって来たのは、五頭の軍馬とそれに跨る兵士達だった。馬を覆う雪の如き馬具と煌びやかな兵士の甲冑は、彼らが公爵家の護衛を担う近衛兵であることを示している。

 テファーヌは急ぎ、群衆の中に身を隠す。フランシスの護衛を務めるテファーヌも近衛兵の一員である。今この場に現れた近衛兵は甲冑こそ本物だが、その顔に見覚えがない。数日前に『溶けない雪山』を急襲したジョバンニの手勢と同一人物のようだ。『溶けない雪山』を制圧し、新たな君主となったジョバンニが、今までの近衛兵を罷免し、自分に忠実な者達をその役に付けたのだろう。

 できればこの場からすぐにでも逃げ出したかったが、これほど人が集まっていると身動きが取りにくい。


「な、なんですか、兵士様。我々は真っ当に商売をしているだけですぜ」

「我々が来たのは商品の改めではない。人探しだ。この近辺で、金髪の少年と栗毛色の髪の少女を見なかったか? もし知らせた者には褒賞を与えるぞ」


 馬上から人々を見下し、兵士の一人が声高に宣言すると、手に持った銀貨を天に掲げた。陽光を反射した銀貨は、真昼の月の如く青空に己の姿を刻む。

 ざわめきが波のように伝播する。辺境の住人にとって銀貨一枚の価値はそれほどに高い。

 テファーヌは舌打ちを放ちたい思いをぐっと堪え、フードを目深に被った。

 フランシスの逃亡がジョバンニに知られるのは覚悟していたが、まさか自身の存在までも伝わっているとは思わなかった。ここで自分が捕まれば、近辺にフランシスが潜んでいる格好の証左となってしまう。

 静かに後退りをしながら、村から逃げ出すことを企てる。息を殺し、存在を失わせ、その場をジリジリと後にする。群衆の身体を兵士の視線の盾にしながら。

 よし。上手く人々の輪から外れることができた。誰かが気付いた様子もない。

 そうして兵士と群衆に背を向けて、村から抜け出そうとしたその時、視界の端から黒い影が飛び出し、テファーヌの眼前に山のように聳え立った。


「女、どこへ行くっ」


 それは嘶く軍馬に騎乗した兵士だった。堂々と村の中に入り込んできた五人は囮で、この兵士は周囲の森に潜みながら、村から抜け出そうとする者がいないか伺っていたのだろう。

 テファーヌが後悔しても遅く、周囲の視線が自身に釘付けになるのが分かった。囮になっていた五人の兵士もすぐさま馬を走らせ、テファーヌを包囲する。逃げ場はどこにもなかった。六匹の飢えた獣に取り囲まれる小動物のような格好だ。

 テファーヌは咄嗟に両膝を地面に付き、両手を顔の前に組んで拝んだ。


「わ、私は、隣村の者でございます。決して怪しいものではございません」


 精一杯の演技だった。どこまで騙し通せるか。

 テファーヌの前に立ち塞がった兵士が下馬すると、じっくりと疑念の視線を注ぐ。


「立て」


 素直に従って、立ち上がる。

 兵士の手が伸びてフードを乱暴に脱がされた。フードに下に隠していた栗毛色の三つ編みの髪が逃れようもなく露わになり、馬の尾のように背中で揺れる。騒ぎを遠巻きに眺めていた衆人から驚きの声が漏れた。


「……栗毛色。……貴様、『溶けない雪山』からフランシスと共に逃げた女騎士だな?」

「……滅相もございません。栗毛色など、ありふれた髪色でございます。兵士様の形相が恐ろしく、つい逃げようとしてしまっただけでございます。どうか、お慈悲を……」


 偽りの涙を流す迫真の演技を見せたが、兵士の疑いの眼は色を変えなかった。

 それどころか、再び兵士の手が伸びてテファーヌの身体の各所を探る。胸元から腰、臀部に至るまで。それに一切の抵抗をせず、テファーヌはなされるがまま耐えた。


「……帯刀はしていないようだな」


 鎧や剣は森の中に隠していたため、見つかることはなかった。


「……もちろんでございます。私はしがない村娘でございます」

「ははっ、嘘を申すな。肩や腕、脚の筋肉の付き具合はとても村娘のものではない。日々の弛まぬ訓練においてのみ、得ることのできる肉体だ。触れればそのくらい分かる」

「これは、毎日父の農作業を手伝っている内に、自然と出来上がったものでございます。この身体付きのせいで嫁の貰い手がいないと父が嘆くほどでして……」


 嘘に嘘を重ねていくが、とても騙し切れないとテファーヌは覚悟していた。


「ふっ。まだ嘘を吐き続けるか、強情め。その白く映しい肌は何だ? 毎日農作業に従事しているのならばより日焼けし、シミやそばかすで醜くなっているだろう」


 またもや嘘が看破された。


「貴様の芝居に付き合うのも飽きた。……ここからは、少々手荒にさせてもらうぞ」


 兵士が言葉を言い放った瞬間、三度目の手が伸びた。しかしその手は固く拳で握り込まれており、真っ直ぐにテファーヌの腹部を抉る。

 テファーヌは腹筋に力を入れて殴打を耐えることも出来たが、ここでそんな芸当をすれば騎士の訓練を受けた者と宣言するようなものだ。それ故に、甘んじて拳を受け入れた。腹の中で臓器がひっくり返るのを感じて、喉の奥に内容物が込み上がって来るのを何とか堪える。奥歯を噛み締めながら、その場に跪く。

 野次馬となっていた群衆から上がる甲高い悲鳴が耳に障る。


「さあ、自ら騎士であると認め、主の居場所を吐くのだ。そうすれば騎士として、名誉ある死を迎えることを許そう。しかし今のまま強情を張り続けるのなら村娘として、惨めな死が待っているぞ」


 地面で丸くなったテファーヌに、容赦なく唾と命令と蹴りの三連撃が浴びせられた。

 拳と同じ箇所に蹴りを受けたテファーヌは今度こそ、腹の中の物を吐き出した。最も、ここ数日まともに食事をしていなかったため、胃液しか出なかったが。

 村娘として死ぬなら結構だ。確かに騎士として叙勲を受けていたが、それでも主のフランシスのためならば村娘として無様に死ぬ恥辱を受け入れる覚悟くらいある。

 頑な口を開かないテファーヌを見下ろした兵士は、考え込むように顎を摩る。


「……ふむ。これでも口を割らないとは、その忠義は見事。……しかしこちらも同じく忠義に生きている。……女に手をかけるのは意に反するが、これも仕方あるまい」


 兵士は腰から剣を抜き放つ。刃が鞘に擦れる金属音が、鉄琴の音色のように静かに響いた。


「まずは一本ずつ指を切り落とす。続いて目や鼻もだ。これも己の運命と受け入れよ」


 兵士の足がテファーヌの左手首を地面に押し付ける。容赦のない圧力がテファーヌの抵抗を許さず、トラバサミのようにその場に止めた。もはや逃れようもなかった。

 剣先がテファーヌの小指の付け根に向けられ、ゆっくりと持ち上がった。瞬きの合間に、手と小指が永遠に離別するだろう。

 テファーヌは奥歯を噛み締めながら、心中で小指に別れを告げた。


「公国に仕える近衛兵が女にそのような卑劣な手段を使うとは落ちたものだな。その女の方がよほど近衛兵に相応しいというのは、皮肉と言うべきか」


 何の前触れもなく、この場に似付かわしくない平静な声が響き渡り、兵士の剣の切っ先の動きを止めた。

 誰もが声を発したその主に眼をやる。テファーヌも驚きの眼で声の主を見上げた。

 『溶けない雪山』に向かうと宣言した、あの少年が群衆の前に立っていた。その髪や衣服が乱れているのは、兵士の乱入によって混乱した群衆の中に取り残され、そこから無理矢理抜け出したばかりだからだろうか。ただ、背負われた巨大な革袋だけは相変わらず背中にあった。


「ふぅ、やっと出られた」


 少年は自分に向かう視線の数々を気にした様子もなく、ため息を吐きながら衣服の乱れを整えている。


「貴様、命が惜しければ余計な口は挟まぬ方がよいぞ……」


 テファーヌを足蹴にしていた兵士は怒りを目に宿し、剣の向く先を少年に変えた。


「……お前達がパナリオン公国の新たな君主に仕える近衛兵なら、鎧殻士師ギデオンのことは知っているだろう。俺は、ギデオンに縁ある者だ」

「……なぜ、ギデオン殿の名前を。その革袋、ギデオン殿と同じ……。一体、何者だっ」


 この場にいる六人の兵士全員が驚愕して少年を注視していた。

 彼らの視線の行く先は、少年の背負う巨大な革袋だった。


「……ギデオンのかつての弟子、鎧殻士師サムエルと言う」


 少年は事実を事実として述べるように、ただ憮然と名乗った。


「……ギデオン殿の弟子、だと」

「ああ、そうだ。この弟子に免じて、彼女を助けてやってくれないか。忠義に厚い女騎士の麗しい指が切り落とされるのを見るのは忍びない」


 サムエルと名乗った少年は柔和な微笑みを浮かべながら、テファーヌの元にゆっくりと歩み寄ろうとする。だがその足は僅か数歩進んだだけで、動きを止めることになる。五人の兵士達が行く手を阻んだためだ。


「残念ながら、あなたが本当に弟子であろうと、それはできません。。……あなたこそ、本当に弟子であるならばギデオン殿に従ったらどうですか? ギデオン殿は、この国から拝竜教を排除しようというジョバンニ様の志に共感しておられる。鎧殻士師であるならば、それは喜ばしい事でしょう?」

「……ふっ、お前達はギデオンを知らないな? あれはただの戦闘狂だ。誰かと命のやり取りがしたくて仕方ないんだ。竜と戦うのに飽きたから今度は人と争うつもりなのだろう。お前達の主君に仕えることとしたのは、その程度の考えでしかない」


 サムエルは剣を向けられても尚、微笑みを崩していない。しかしその背中に怒気を背負っていることは、地に伏しているテファーヌにも分かった。


「……仮にそうだとしても、ジョバンニ様の理想はあなたも望むところではないのか? 鎧殻士師にとって拝竜教とは邪教のはず。彼らのような狂信者を、あなたは守るのですか?」


 兵士の剣が、サムエルの背後に集っている群衆を示した。

 切っ先を向けられた人々は、話の内容が分からなくとも悪意を向けられたと悟って、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。しかし兵士は斬り付けるつもりはないようで、慌てふためく群衆を鼻で笑うだけに止めている。

 サムエルは乾いた笑いと共に、頭を横に振る。


「その誘いは受けられない。確かに、俺も拝竜教を愚かな考えだと思うし、それを信ずるこの国の者達も愚か者の集まりだとも思う。竜とは神などではなく、所詮は飢えた獣の王に過ぎないのだから」

「ならば、なぜジョバンニ様の元に集わないっ。ジョバンニ様は鎧殻士師を求めておられる」


 兵士は固めた拳をわなわなと震わせて、力みながら問い質す。


「俺が竜を狩るのは、あくまで俺個人の復讐のためだ。名声や栄誉のためではない。そして、鎧殻士師の力はあくまで、竜の炎から無辜の民を守るためのもの。その力を人と人との争いに用いてしまっては、俺は竜と何も変わらんではないか」

「――ッッ」


 兵士達の目が愕然と見開かれ、やがて殺意を纏った。どうあってもサムエルを説得できないと腹をくくったようだ。


「……あなたが我らと対立するというのならば、ここで排除させていただく」


 その瞬間、六人の兵士が風のように動き出し、サムエルを中心とした輪を形成した。

 六つの剣先を向けられても、サムエルの額に冷や汗の一つも見えない。ただ憐れむような表情だけを浮かべている。


「……俺も、竜や鎧殻士師以外の者にこの力を行使するのは本意でない。……が、俺の邪魔立てをするのであれば、こちらも容赦はしない」


 サムエルは周囲にそう言い聞かせた後に、これまで背中に担いでいた巨大な革袋を地面に下ろした。ズンッと重々しい音が、地面を通じてテファーヌにも伝わって来る。一体、どれほどの重みがその革袋にはあったのだろうか。

 そしてサムエルは革袋の口を閉ざしていた紐を緩める。まるで高級シルクのガウンがするりと脱げるように革袋が地面へと落下し、今まで包み隠していた中身を露わにした。

 その瞬間、テファーヌも、建物の陰に隠れて様子を伺っていた野次馬も、六人の兵士達すらも息を呑んだ。


「刮目せよ。これぞ、鎧殻士師の神髄。どんな刃も近づけさせない、鎧の卵。鎧殻卵であるっ」


 サムエルが高らかに宣言した通り、革袋を脱衣したのは巨大な卵であった。

 無論、普通の卵ではないことはテファーヌにも分かった。人間ほどの大きさの卵を産む動物は存在しないという摂理だけではなく、あまりにも禍々しいその雰囲気こそが、常識から外れた存在であることを誇示していたからである。

 表面は凝固した血のように赤黒く、荒れた海面や切り出しばかりの岩石のように刺々しく、どこか甲殻類の殻にも似ている。手で触れれば引っ掻き傷に塗れてしまうだろう。今にも孵化するかのように広がるヒビ割れが、まるで模様のように表面を彩る。また、微かではあるが、ヒビから赤い光が漏れ、脈動するように明滅を繰り返している。

 その卵は、まだ、生きてるように見えた。


「……まさか……」


 テファーヌは未だに身体に残る痛みも忘れて、その卵に呆然と見惚れた。そして、察した。胎動する卵の正体を。


「………………竜の、……卵……?」


 テファーヌがその発想に至った時、サムエルが卵に触れ、静かに唱える。


「――――鎧殻孵卵――」

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