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第一章 国盗り その3

 パナリオン公国の西部には鬱蒼とした森林地帯が広がっており、濃緑の森の中には、近隣に住む村人や野生動物の生命線とも呼べる一筋の小川が流れている。北方の山脈の雪解け水が源泉であり、川底が見えるほどに透明だ。

 『溶けない雪山』から落ち延びたフランシスと護衛の女騎士テファーヌは、その小川が作る沢の傍に息を潜めていた。

 屈辱の敗走から数日が経ったものの、未だフランシスの顔は暗い。苔で表面を覆われた岩場に腰かけながら、足元で這い回る蟻を視線で殺そうとするかのようにジッと見つめている。


「……テファーヌ。僕はいつまで野兎のようにビクビク隠れなければならない?」


 反逆を企てた憎き叔父ジョバンニに復讐を誓ったものの、何ら行動を起こせていないことに焦りを覚えていた。

 こうしている内に、簒奪者の叔父がいつのまにか正統な君主として国民と臣下に受け入れられてしまうのではと気が気でなかった。


「まだ敵の動きが分からない以上、安易な行動は命取りとなります。お気持ちは分かりますが、どうか今しばらく御身を潜めてください。その下賤な衣服はさぞ窮屈とは思いますが、どうか……」


 テファーヌは湿った地面に膝をつきながら、これまでに散々繰り返した進言をもう一度口にする。

 テファーヌもフランシスも身分を明らかにし兼ねない鎧や装飾品の類は全て脱ぎ、茂みの中に隠している。こうすることで若くして両親を失い、森の中で慎ましく暮らす村人の姉弟に見えないこともなかった。

 フランシスの金髪だけは貴い生い立ちを誤魔化せないため、外套のフードを深く被ることで隠していた。

 テファーヌは栗毛色の長髪を三つ編みにし背中に流すことで、村娘の姿を演じている。


「衣服ぐらいいくらでも我慢するっ。だが、何もせずにいることだけは、どうにも我慢がならない。敗北の屈辱を覚えて生き延びるくらいなら、あの場で討ち死にした方がまだよかったっ」


 フランシスは強く憤る。まだ声変わり前の少女の如き声が、茂みを揺らした。


「……神が、フラン様の命を長らえさせたのにはきっと何か意味があるのでしょう。どうか、今は平静に」


 テファーヌはそう言って慰めようとしたが、フランシスの瞳は光を失ったままである。


「……なぜ、僕だけが生き延びてしまったのだろう。……僕が生き、兄上が僕の代わりに死ぬなど、あってはならない。そう、絶対にあってはならない出来事だった……」


 天を仰いで嘆くフランシスの悲痛な声に耳を傷めるテファーヌだった。しかし返す言葉もなくただ下唇を噛み締める。

 自分が生きていることに失望するフランシスが、テファーヌにはただひたすらに労しい。


「……テファーヌ、お前の父ゲクラン卿は公国の騎士団長に相応しい立派な武人だった。先の戦いでも鎧殻士師を相手にしても物怖じすることなく散った、真の忠臣だ。僕も、あのように死にたかった。……あれぞまさしく、拝竜教の信徒に相応しい殉教の姿であった。羨ましいぞ」

「……そのお言葉、亡き父も喜ぶことでしょう」


 テファーヌは瞼を城門の如く固く閉ざして、父の最期を思い出す。

 鎧殻士師とジョバンニが城内に侵入したと知った時の大混乱。たった一人の鎧殻士師に、近衛兵が塵芥の如く吹き飛ばされ、その中に父もいた。殉教と呼ぶにはあまりにも呆気ない最期だった。

 結局、父の最期を悠長に看取る時間など無く、フランシスを半ばかどわかすように連れ出して城から脱出し、今に至る。

 あの状況で、とてもパナリオン公爵やフランシスの兄を救出することは出来なかった。むしろ、フランシスが生き延びることが出来たことが僥倖だったと言える。しかしそのような言葉が慰めになるはずも無いため、口を閉ざすしかない。

 守るべき城を失った公子と女騎士。二人の間に沈黙が積層した。

 だが永遠とも思われたこの静けさを、「くぅ」という間抜けな腹の虫が破った。静寂な森の中故に、腹の音は意外にも響き渡る。


「……」

「……」


 先程とは、少し趣が異なる沈黙が降りた。

 音を発した腹を持つフランシスの顔が、平静を装いながらもみるみる赤くなっていく。あっという間に頬から耳の先まで朱色に染まった。


「……仕方ありませぬ。人はどんな時でも空腹を覚えるものです」とテファーヌが腹の音を擁護したが、それを聞いたフランシスはぷいっと横を向く。

「……このような時にも食事を要求するとは、我ながら呑気な腹な虫だ。すまぬが、食事の用意を頼めるか?」


 テファーヌは一礼の後にその場を後にした。沢には小魚が泳いでいるが、動きがすばしっこいため何も道具もない状況では捕まえるのもままならない。そのため食料を調達するには、ここから人里に出る必要があった。

 主をいつまでも空きっ腹にしておくわけにはいかず、テファーヌは早足で森を抜けて行く。


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