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第四章 死闘 その3

 英傑が去った後では、常人の戦いが行われる。

 兵士達を観客とした、ジョバンニとフランシスの対決。武人ではない二人だが、互いに鍛え抜かれた剣技を持っており、その争いは決して劣位なものではなかった。舞踊のような気品がありながらも、皮膚を刺すほどの殺意が溢れた戦い。ある意味では鎧殻士師では決して演ずることのできない上流階級の争いに、兵士達も固唾を呑んで見守るしかなかった。

 二人の剣舞は拮抗しながらも、一日の長があるジョバンニの方が僅かに優勢であった。

 更にジョバンニの動作には、貴族が習う剣技とは異なる実戦の趣があり、それがフランシスを苦しめていた。

 流石叔父上とフランシスは心中で賞賛する。

 パナリオン公国において弟とは兄の代用品でしかない。余程のことがない限り家督は嫡男が継ぐものと決まっているため、弟は常に影であることを強要される。どのような才があろうとも、どのように武を極めようとも表舞台に立つことは許されない。

 恐らくはジョバンニも影に身を置きながら、ただ自分のためだけに自分を磨き続けていたのだろう。


「ふむ。流石、我が甥。見事な剣技。騎士団長に鍛えられたことはある。が、正直過ぎるな」


 余裕のある口振りで、ジョバンニが初めて叔父らしい口調で告げる。

 と、同時に、フランシスの剣が弾かれた。胸が無防備に晒される。

 フランシスは身の軽さを生かして、背後に跳び、ジョバンニの切っ先を躱す。


「……叔父上こそ、それだけの武芸を持っておられるとは存じませんでした。……しかし悲しいかな、そのご立派な力も権力簒奪のために使えばただの暴力です」

「力は力。それ以上でも以下でもない。どのように使うのかは、力を持つ者の自由であるぞっ」


 フランシスの皮肉にも関せずに、ジョバンニが地面を蹴り間合いを詰める。

 再び両者の剣が鍔迫り合う。火花と金属音が花弁を散らす。


「それは、とても人の上に立つ者の言葉とは思えませんっ。自由と責任は同義っ。力を振りかざし、この国を戦乱に巻き込むことは君主としての行いではないっ」


 少女の身では大の大人の剣を堰き止めるのは困難。剣がじりじりと押し負けるのが分かる。だからせめて問答だけは負けじと言い返す。

 しかし言葉の応酬に勝ちたいのは、大人とて同じ。


「戦火を広げ、国を広げることの何が悪い? 領民など、まさしく民草。踏んでも焼いてもまた生えてくるではないか? 所詮、民など我が野望の炎にくべる薪に過ぎんのだっ」

「……なぜ、そのようなことを言う。なぜ、そのように己のことしか考えられないのですか。あなたとて一度は、我が父と同じように拝竜教の洗礼を受け、拝竜教を信奉していたのではなかったのですか」


 今のフランシスに灯るのは、怒りよりもむしろ悲しみ。

 父親と同じ血が流れる叔父が、なぜこのように国教たる拝竜教の教義から外れ、あまつさえ私利私欲に拘るようになったのかが分からない。どこで道を踏み外してしまったのか。それを理解出来ねば、父親の無念を晴らせないようが気がした。


「……拝竜教? 才よりも血筋を取る、古き因習よ。そのようなものに拘っていては、パナリオン公国は時代から取り残され、かつての統一王国のように滅び去るのみである」


 その雄叫びは慟哭にも似ている。

 報われぬ者の嘆き。

 刃の切っ先のように鋭利な叫びが、フランシスの心を貫く。


「……たかが産まれの早い遅いで決まる運命の哀れさよ。儂がどれほどの学問や武芸の研鑽を積んだとて、決して国を統べることは叶わない。……お前には分かるまい。正統なる後継者として、何不自由なく産まれた貴様にはっ!」


 微かなフランシスの動揺が、ジョバンニの一刀を許した。

 ついにジョバンニの剣を止めることが出来ずに、決壊する。フランシスは自分の剣が弾かれたことに気付くと同時に、再び背後に跳んだが、今度は躱し切れなかった。

 ジョバンニの剣の切っ先が、腹を軽く撫でる。麻の衣服はあっさりと斬れたが、下に着込んでいた鎖帷子が皮膚を守ったため傷はない。

 だが心に受けた傷が、フランシスを苛む。

 今になって気付いてしまったのだ。目の前の叔父と自分は同じ境遇である、と。

 フランシスの唇が、動く。


「……分かるとも。その、哀れな境遇。自らの運命を呪う思い。痛いほどに、理解できるとも」


 声の震えを止められない。眼前にいるのは、あり得たかもしれない自分なのだから。

 本来ならば、影として生きなければならない人生だった。ジョバンニが簒奪を考えなかったのならば、フランシスは一生影として幽閉され続けていただろう。フランシスを表舞台に引き摺り出したのは、他でもないこの叔父なのだ。

 運命の悪戯とでも言うべき巡り合わせ。ジョバンニの発した一言一言が針の筵のようにフランシスを覆う。その嘆きは、自分も少なからず抱いていたものだったから。

 胸が締め付けられるほどに苦しい。咄嗟に、自分の胸を抑えてしまった。

 驚いたのはジョバンニも同様だった。

 嫉妬の対象であった甥から同情の視線を向けられ、まるで共感するように頷かれたのだから。

 ジョバンニに額に青筋が浮かび、汗が光った。


「ざ、戯言をっ! 貴様にっ、儂の思いが分かるはずがないっ!」


 ジョバンニがフランシスからの同情を振り払うように叫び、両手に持った剣を振り上げた。先程までの精緻な剣技とは異なり、動揺が現れたような大振りな一撃。

 この程度ならばフランシスにも、目視してから対応が可能である。振り下ろされる剣を、勢いが乗り切る前に受けた。

 またもや刃が合わさる。

 だが今度はフランシスの対応が幾分早かった。故に、その両者の力の均整は互角となった。


「私にはあなたの気持ちが分かる。……そして、だからこそ、あなたを否定するっ!」


 吐息の掛かる距離に顔を置く二人は、刃以上に視線を激しくぶつけ合う。


「……力無き者が、御託を並べるなっ!」


 吐き捨てられる言葉。それと共に、フランシスは死角の外からの攻撃を受ける。一瞬、呼吸が止まった。みぞおちに抉られるような衝撃が走った。一体なぜ? 眼球を下方に向けると、ジョバンニの膝がフランシスの腹部に吸い込まれていた。

 切り結びからの、不意の膝蹴り。

 貴族同士の試合ではまず見られない、蹴撃。

 そう、これは実戦だ。何を甘えていた。あれだけサムエルに諭されたというのに。固定観念の殻を破らなければ、叔父には勝てないと。

 脳裏に、小馬鹿にするような笑みを浮かべるサムエルが思い描かれ、こんな時に考えることがあいつの顔かと苦笑してしまった。

 フランシスの呼吸の乱れが、剣の均衡を破る。

 鍔迫り合いに敗北したフランシスの手から再び剣が弾き飛ばされる。剣は甲高い金属音を断末魔のように放ち、地面に仰臥した。

 フランシスが反射的に拾い上げようと手を伸ばしたが、その前にジョバンニの一刀が左肩に刺さる。衣は破れ、その下の鎖帷子も砕かれる音が聞こえた。そしてそれから時間を置かずに、果実を潰したような汁音が耳朶を打つ。

 熱が肩に走る。

 後ろによろめき、刃から逃れた。だが肩の裂傷から流れた血が腕を伝い、袖口から滴り落ちて地面に斑点模様を描く。点々とした血痕がフランシスの足跡のように刻まれていた。


「……これで分かっただろう、フランシス。……いくらそなたが神を崇めようとも、神がお前に応えることはないのだ。力ある者だけが勝利する。これこそが、真の世の理だ」


 フランシスの視界に、ぬっと人影が覆い被さる。太陽を背にしたジョバンニがすぐ眼前に立っていた。刃が真新しい血に濡れた剣を握りながら。

 逃げなければと頭では理解しているのに、膝蹴りを受けた腹部の痛みと肩の切り傷の熱が思考を奪い、足腰からは力を拭っている。逃走するどころか立っていることすらままならず、思わずその場に膝をついた。

 叔父の、そしてサムエルの言った通り、信仰とは力の前には無力なのだろうか。下らない信仰心とやらを抱きながら、ただ惨めに斬り伏せられるのだろうか。

 嗚呼、せめて、最期にサムエルの姿を一目見ようと顔を上げ、尖塔の頂『溶けない雪山』の山頂を覗く。

 そこに、あの赤く黒い鎧の騎士はいるだろうか、と願いながら。

 だがフランシスの眼は、サムエルを捕らえる前に別の物体を見た。白雲の合間を漂いながら地上へと飛来する、その生物。翼を広げ、四本の足を持ち、綺麗に生え並ぶ牙を見せびらかすように開けた大口を、フランシスが見違えるはずがなかった。

 ゆっくりと、しかし確実に、その生物は地上を目指していた。


「……まさか……り、……竜?」


 そうして、拝竜教の奉る神の化身たる竜が、代々パナリオン公爵家の守り神として国章に使われていた竜の姿が、空を背景にして地上に舞い降りた。


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