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第三章 遺児 その9

 パナリオン公国の首都の街並みは、『溶けない雪山』を中心に広がっている。『溶けない雪山』の四方の城門の前にはそれぞれ大広場があり、そこから町の出入り口となる外壁の門へと続く大通りが伸びる。鳥瞰すると、『溶けない雪山』を交差する点にした十字形になっている。

 大通りには馬車が三台は並んで進める程の横幅があり、道沿いには大規模の商店が軒を連ねており、人通りも多く活気に溢れている。特に今日は聖火祭ということもあり、国中からやって来た行商人や見物客で賑わっていた。

 三人は馬車から降りて、大通りを観光するようにゆっくりと歩いていた。


「フラン様、頭は痛くありませんか? あのような無礼を働いたこと、心よりお詫び申し上げます。私はどのような罰も受ける覚悟でございます」


 テファーヌが神妙な顔で隣を歩くフランシスに言った。門の前でフランシスを地面に引き倒し髪を引っ張たことのけじめをつけるつもりのようだ。

 だがフランシスはゆっくりと顔を左右に振る。


「何を言う、我らはお前の機転のお蔭で助かったのだ。門番も、まさか女騎士が貴族である主人にあのような仕打ちをするとは思わないであろう。私は感謝こそ申せ、お前の怒るなどできるはずがない。まあ、少々、痛かったのでは事実だが」


 苦笑したフランシスはテファーヌに捕まれた後頭部を摩る。


「……有難きお言葉でございます」

「いや、こちらこそ。貴殿の忠義に心から感謝する」


 二人は顔を寄せ合って笑った。


「しっかし、聖火祭当日だけあって、すごい人の数だな」


 サムエルは怒涛如く流れる人の群れを避けながら、呟いた。彼ら全員が拝竜教の教徒だと思うと、背筋が寒くなる。

 喧噪の声に混じって活気のある祭囃子の音が流れている。気の早い連中は、もう飲めや歌えやの騒ぎを起こしているようだ。


「うむ、私も驚いたぞ。この国にはこれほどの数の民が暮らしているのだなぁ」


 風に乗って運ばれてくる祭囃子の音を聞きつけたフランシスが寂しそうに呟く。

 その横顔を見て、ふとサムエルはテファーヌの言葉を思い出す。

 城にいた頃は自由がなく、外に出ることも許されなかったフランシスにとって、ある意味、今が最も自由な時間なのかもしれない。


「……お前、聖火祭を見たことあるのか?」


 気になって問いかけると、フランシスの悲しそうな笑みが横に振られた。


「……いや、無いな。そうした儀式、儀礼、祭りの類に参加するのは正当な後継者である兄上の方だった。私は自室に閉じ籠りながら、微かに聞こえる楽器や歌声を聞き、想像を働かせるしかなかった。ま、今と似たようなものだな」


 自虐的に笑っているものの、その好奇心の矛先は明白である。

 サムエルの脳裏に逡巡が走る。

 ある意味、無謀なことかもしれない。

 でもこの危険な賭けに勝ったならば、彼女に、笑顔を与えられるかもしれない。今日、町の門の前の行列で浮かべていた、満面の笑顔。これから勝利するにせよ、敗北するにせよ、もう自由は二度と与えられない彼女の、最後の機会。


「……フランシス。祭り、見に行くか?」


 気軽に声をかけたつもりだったが、内心の緊張が微かに声を震わせていた。


「…………えぇっ?」


 一瞬、何を言われたのか分からないような呆然とした表情、理解が追い付くと驚いたようにビクンッと肩を跳ね上げた。


「お、お前、何を言って……」

「『溶けない雪山』に乗り込むのは夜間の方がいい。暗がりに隠れながら強襲する作戦だ。……つまり、まだ時間に余裕はあるってことさ。戦いの前には気分転換すべき、というのが俺の経験則だ。テファーヌもいいか?」


 フランシスの返答を待たずに、サムエルはテファーヌを向いた。

 テファーヌも、主と同様に驚いたように口を開いていたが、やがてサムエルの考えが伝わったのか力強く頷いた。


「ええ、いいでしょう。行きましょう」

「お、おい、待て。どこに監視の目があるか分からんのだぞっ」

「いや、薪を売りに来た商人が絶好の商機を捨てて、辺りをウロウロしている方が不審に思われる。それに聖火祭にやって来た人込みに紛れれば、誰にも気づかれないだろう」


 フランシスがフランシス=ディエル=パナリオンになる前の、最後の機会に、祭りを間近で見せてやりたかった。


「し、しかし……」

「さあ、行きましょう、フラン様」


 テファーヌもサムエルと同じ気持ちだったのだろう。フランシスの手を強引に掴む。

 最初は困り顔をしていたフランシスだったが次第に頬が緩み始め、宿の外に出る頃には歓喜に目を輝かせていた。

 そうして、サムエル達は聖火祭が行われる大広場へと向かう。薪の中に隠していた鎧殻卵は既に取り出し済みで、今は革袋と共にサムエルの背で揺れている。

 道は大勢の見物客が行き交っていたものの、聖火祭で使われる薪を運んでいるためか、道を譲られることが多く、さほど苦労することなく大広場まで辿り着くことが出来た。

 大広場には既に、枯れ木を交互に組み合わせ四角柱の形状とした土台が塔のように聳え立っていた。その高さは三階建ての建物ほどあり、頂上を見続けていると首が疲れてしまう。


「おお、兄ちゃんも薪を運んできてくれたのか、有難ぇ。これでもっと高く出来るぜ。お代はいくらだい?」


 この聖火祭を取り仕切っているのだろうか、薪の塔の傍に立っていた髭面の中年男性がサムエル達の馬車を見るとすぐさま走り寄って来た。


「いや、金はいらない。年に一度の祭りだ。どうぞ自由に使ってくれ」


 薪などもう必要ないため、サムエルは天幕の入り口を広げて気軽に答える。


「ほうっ、こいつは気前がいいっ。じゃあ、遠慮なく貰うぜっ」


 男性が声をかけると、周囲の男達があっという間に運び出していき、塔の上にどんどん継ぎ足す。ただでさえ大きな塔が、更に成長し天に届かんばかりであった。その大きさに、集まっている見物客も大歓声を上げた。

 まだ火が点く前から、既に盛り上がりは高調であった。

 サムエルは、自分が調達した薪が塔を組み上げているのを眺めながら、あの紅蓮の日を思い出す。あの日、サムエルは聖火祭の準備から抜け出して、隣村に遊びに行っていたため、命を拾うことが出来た。

 時折、思うことがある。

 言いつけ通りに薪を集めて、村の人々と一緒に祭りを楽しんでいたのなら、同じように逝けたのだろうか、と。

 自分だけが生き残ってしまったという罪悪感は、未だに分厚い殻としてサムエルの周囲を覆っている。

 今頃になって、かつて言い付けられた聖火祭の薪を集め終えたことに、何やら因果のようなものを感じてしまう。


「さぁて、そろそろ点火の時間だっ。ほら、皆、松明を持ってくれっ」


 先程の中年男性が声を張り上げ、既に火のついた松明を周囲の人々に配っていく。赤く燃え盛る多くの火が赤い光の輪となって薪の塔を取り囲んでいる。


「ほら、兄ちゃんもっ。薪の礼だ。貰ってくんなっ」


 ほとんど押し付けられた感じで、松明を受け取ることになってしまった。


「ほら、お前にやるよ」


 困った挙句に、隣で興味深そうに松明の炎を見つめていたフランシスに手渡す。


「むっ、こ、これは、どうしたらよいっ?」


 焦燥するフランシスの顔が松明の光に照らし出されているのが、少し可笑しかった。

 フランシスは松明の先端に灯る炎を見つめながらあたふたしているのを、眺めても良かったのだが、流石に可哀相なので「あの親父の合図で一斉に薪の中に投げ込むんだ。それだけでいい」と笑いを堪えつつ、薪の塔を指差す。


「そ、そうかっ。責任重大だなっ」

「その粋ですっ、フラン様っ」


 緊張したようにグッと脇を締めるフランシスと、それを楽しそうに励ますテファーヌ。更にそのやり取りを見守るサムエル。

 その三人の姿を見て、これから死地に赴こうとする若人だと誰が思うだろうか。一人は影として育てられた公女、一人は女騎士、そして一人は鎧殻士師だと誰が疑うだろうか。ただ平和を謳歌する、ひたすらに仲の良い三きょうだいでしかなかった。


「よぉし、点火っ」


 中年男性の掛け声で、松明が一斉に投げ込まれる。フランシスも「えいやっ」と声を上げ、目一杯の力で松明を放り投げた。

 星空を背景に無数の炎が宙を飛び交う光景は、火矢で覆い尽くされた空のようである。だがその景色は人の命を奪うものではない。人と人との心を繋ぎ、命の尊さを再確認する儀式を彩る花々である。

 花弁のように火の粉が舞い、迫り来る夜の闇を振り払う。

 多くの人の思いを乗せて投げ入れられた松明は、薪の塔を燃え上らせる。炎の手はあっという間に薪の山を呑み込むと、天を掴もうとするかのように高く大きく伸びる。情熱的に現れ出た火柱に、誰もが歓声を叫んだ。

 蠱惑的に揺れる炎は幻想のよう。炎自体が生き物であるかのように、姿形を変化させ、あらゆるものを焼き尽くす。悲しみや喜びでさえも。

 立ち昇る黒い煙幕、飛び交う橙色の火の粉、舞い散る灰。

 あらゆる色彩が祭りを飾り立てている。


「………………凄い。これが、聖火祭、なのだな」


 興奮の渦が取り巻く中、静かに呟かれた声の方向に視線を落とすと、呆然自失したフランシスがいた。営火を眺める紺色の双眸は、炎よりも激しく煌々と輝いている。地平線に沈んだはずの太陽が、フランシスの目の中に昇ったようだった。


「……これだけ大規模のものは流石にこの首都でしか拝めないだろうな。田舎に行けば火の大きさはずっと小さくなる。実際、俺の故郷の村でももう少し質素な感じだった。……でもまあ、盛り上がりはどこもこんな感じだ」


 そう説明しながら、サムエルは自分の故郷での聖火祭がどんな感じだったのか、あまり思い出せないでいた。

 参加したことは何度もあるはずなのに。

 竜が里に降りて来た日の出来事が強烈過ぎて、平和に過ごしたはずの聖火祭の記憶が書き換えられてしまった。

 微かに覚えているのは、焚き火に照らし出された両親や村の人々の笑顔だけ。

 彼らは笑っていた。そして、たぶん自分もそうだっただろう。

 今となっては想像する他ない。


「……私は、このようなことがあるとも知らず、今まで生きていたのだな。拝竜教の信徒を名乗りながらも、聖火祭に参加したこともなかった……。全く、無知蒙昧であった」


 恍惚とした表情で炎を眺めるフランシスが、自嘲と共に呟く。


「……これから、知っていけばいい。最初から全てを理解している奴なんていないんだから」

「そうか、そうだな。世の中には、きっと、もっと、私の知らないことがあるのだろうな」


 フランシスが感慨深く呟いた直後、どこからともなく現れた楽器を担いだ一団が焚き火を取り囲む。

 フルートの重奏音が流れ、続けて弦楽器の音色、更には金管楽器の甲高い音も加わり、美しいハーモニーを奏で始めた。そうして生まれた拍子の早い音楽は、聞く者の身体を自然と動かし、あっという間にその場で踊り出す人々を生み出す。

 誰もが思い思いの踊り方をしていた。音楽に乗って激しく踊る若者、ただ腕を振り上げて飛び跳ねる子供、互いに見つめ合いながらゆったりとステップを踏む中年の夫婦。ここに統一性など欠片もなく、ただ闇雲に自分が躍りたいように踊っている。混沌とした舞踏会だが、誰もが一様に笑顔だった。

 そんな光景を、フランシスが面を喰らいながらも興味深そうに眺めていた。

 彼女にとって踊りとは城の中で行われる格式高いダンスのことを指し、大衆の踊りなど始めて見ることだろう。


「……フラン様、サムエル殿、お二人で踊ってみませんか?」


 ぽんと二人の肩にテファーヌの手が乗せられた。


「はっ? な、何でッ」とサムエルは、彼には珍しく素っ頓狂な声を上げる。

「そ、そうだっ、いきなり何を言い出しているっ。大体、私はこんな民衆の踊りを知らん」とフランシスは悲鳴のような声を出す。


 呼吸を合わせて抗議する二人。それを見るテファーヌの瞳は、微笑むように細い。


「これだけの盛り上がりの中、踊りもせずにただ眺めているだけでは不自然でしょう? せっかくの機会ですから、どうぞ。それに誰も踊り方など気にしておりません。好きに踊ればよろしいのですよ。ほらっ」


 自分が躍るわけでもないのに、なぜか破顔するテファーヌに背中を押され、サムエルとフランシスは焚き火の前に押し出される。そこは既にダンス会場となっており、その場に飛び出た以上、何もせずに下がるというわけにはいかない状況だった。

 新たな踊りの参加者に、周囲が囃し立てるように口笛を響かせた。


「て、テファーヌの奴め、余計な気を遣って……」


 フランシスがキッとテファーヌを睨みつけるが、そうしたところで状況は変わらない。


「お荷物は私が見ておりますから、サムエル殿もどうぞ思う存分踊ってください」


 鎧殻卵の入った革袋の隣に立ったテファーヌが、サムエルに向かって無邪気に手を振る。


「仕方ない、さっさと踊ってやろう」


 諦観し、溜息を吐いたサムエルはフランシスと向かい合う。正面に立つと、互いの身長の差が明確になり、やはりフランシスは少女なのだと改めて思わされる。


「し、しかし、私は、貴族の社交界で行われるような踊りしか知らない。こんなところでそんな踊りをしたら、変に思われるのではないか?」


 頭に覆われた白い頭巾のせいで、フランシスの赤面がよく映える。


「……俺なんか、その社交界の踊りすら知らないぞ。……大丈夫、皆、自分のことしか見えずに踊っているから、俺達に気付くのはテファーヌくらいだ。……ほら、さっさと、どうすればいいか教えろ。このまま何もせずに突っ立っている方が目立つ」


 サムエルも恥ずかしさを堪えながら、フランシスを急かす。


「ほらほら、兄ちゃん達っ。若いもん同士で踊らねえなら、せめてキスでもしてろっ」


 どこからか酔っぱらった中年男性のヤジが飛んだ。間違いなくサムエル達に向けられたものだった。

 それを受けて、慌ててフランシスがサムエルの手を取った。


「で、では、私の手を握って、左手は腰の方に……」


 フランシスの手がサムエルの手を導く。

 サムエルは触れた手の感触と腰回りの細さと柔らかさに驚きつつ、身体を密着させる。


「取りあえず、脚のステップだけ合わせればいい。見様見真似でいいから」


 そうして、ゆったりとぎこちなく動き出す。

 足を交差させ、一歩進んでは戻る。横に移動させて方向転換、と言った具合で動作が繰り返される単調な踊りだった。しかしサムエルの照れと練達不足もあり、ダンス、というよりも不器用な人間に使われる操り人形のような固い動きになってしまう。


「……貴様。あれほどの剣の腕を持ちながら、踊りの方は案外不器用なのだな」


 吐息が掛かる程の距離にいるフランシスが、勝ち誇ったような笑みを唇に浮かべている。

 恥ずかしさと怒りがサムエルの頬を熱くした。ぷいっと顔を背けつつ、


「……悪かったな。経験がないもんで」とぶっきらぼうに反発。

「いやいや、案外可愛らしいところもあると褒めているのだ。偶には女にリードされるのも悪くあるまい?」


 フランシスのその小悪魔めいた笑顔を驚きに塗り替えるべく、サムエルはそれから足のステップを懸命に真似するが、どうやっても剣術の足捌きのようなキビキビとした感じになってしまう。


「へっ、こんな時ばっかり女らしく振る舞って。いつものきつい口調はどこへ行ったんだか」

「ははっ、ああ、そうだ。今、ここで踊るのは、単なる一人の少女というわけさ。まあ、そう恥ずかしがらずとも良い。誰にだって得意不得意はあるものだ。偶然、貴様は踊りが不得意だったというだけのこと」


 ダンスの最中、フランシスからはクスクス笑いと共にフォローのような馬鹿にされたようなことを言われ、サムエルはたっぷりと屈辱を味わう羽目になった。

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