第三章 遺児 その8
行列は少しずつ消化され、サムエル達の目にも聳え立つ鉄扉の姿が見えるようになっていった。門の間から覗く城下町の風景は活気があり、大勢の馬車でごった返している。聖火祭の準備もあり、誰もが忙しそうに走り回っている。
門を潜る順番が近づくにつれ、三人の口数は減っていき、流石にフランシスも興味を口に出すことはなく、白い頭巾を深く被り直して、大人しく馬車に腰かけていた。
「次の者っ、前へっ」
門番の兵の声がかかり、サムエルは手綱を打って馬車を進める。
「目的と積み荷は?」
門のすぐ手前で止められ、白い甲冑に覆われた門兵から鋭い口調で問われる。
サムエルは眼球だけを動かし、兵の数を確認する。
目の前の一人、門の奥に二人、背後に二人。それぞれ槍を持っている。そしてここからは確認できないが、外壁の上には弓兵が待機しているだろう。押し通ることも可能な距離だが、出来る限り余計な騒動は避けたいところだ。
「はいっ。聖火祭のために薪を持ってまいりました。隣村の三きょうだいでございます」
サムエルは門番の兵に向かって恭しく頭を下げる。
「うむっ。少し積み荷を見せてもらうぞ」
サムエルの返答を待たずして、門番の兵は天幕を捲り上げて中身を覗く。そこにはサムエルが答えた通り、薪の束が積み上がっているだけだ。しかしその下に隠されている品を見れば、兵士は度肝を抜くであろう。
「ふむ、なるほど、よし通れっ」
許しが出た。
安堵の吐息を漏らしそうになるところを抑え、「ありがとうございます」と一礼してから馬車を発車させる。
こうして悠々と門を通過する。
「いや、しばし待てっ」
が、再び静止の声が鋭い飛ぶ。慌てて馬の足を止らせた。
「な、何でございましょうか?」
嫌な予感を覚えつつ、指示に従う。強引に突破できるものならばしたい。
「その者ら、馬車から降りてよく顔を見せよ。そなたら三人の出で立ち、少々気になるところがあってな。そこの女は頭巾を取れ」
冷や汗を背中が伝う。
ひとまず、三人は馬車を降りて門番の兵の前に横並びに立つ。
サムエルはさり気なく、二人の前に立って庇う態勢を取った。仮に実力行使となった場合は二人を守りながら門を突入しなければならない。
「さあ、どうした? 顔を見せるだけでよいのだぞっ」
門番の兵の顔に苛立ちと不信感が浮かび始めている。槍を握る手にも微かに力が入ったことをサムエルは見逃さない。
仕方なく背後の二人に視線を送り、従わせる。
サムエルとテファーヌは顔を上げ、そしてフランシスは頭巾の結び目を解き、頭から剥ぎ取った。秘匿されていた黄金の髪が露わとなり、陽光を反射して煌びやかに輝き、激しく自己主張する。もはや誰の視線からも逃れられない。
どよめきが門番の兵の間を駆け回った。
「そ、その髪の色っ。貴様、何者だっ。単なる商人の小娘ではないなっ」
門番の兵が一斉に槍を構え、取り囲む。
「ち、違います。こいつは正真正銘、俺の妹です。我らはただの商人でございますっ」
何とか言い繕えないものかと言葉を尽くすが、当然、そんなことでは門番の兵の不信感を拭うことはできない。
「黙れっ、金の髪など商人風情が持つものではないっ。しばし話を聞かせてもらうぞっ」
これ以上、言葉は通じない。
一旦、恭順すべきか。
その案も考えたが、すぐに捨てる。
捕まれば当然、『溶けない雪山』に報告が入る。もしフランシスが女であることがギデオンやジョバンニに伝わればどうなるか。拝竜教の掟に従えば、フランシスには後継者としての資格がない。そうなればジョバンニの正統性をむしろ高めるものとなってしまう。
ならば実力で押し通るまで。
覚悟を決めたサムエルは隠していた闘志を抜き放とうとしたが、その前にテファーヌが地面に伏せると声を張り上げた。額を地面に擦り付け、栗毛色の三つ編み髪を馬の尾のように激しく振り出しながら何度も頭を下げる。
「お許しくださいっ。この娘は正真正銘、私達の妹。ですが、この兄と私とは父親が違うのです。さる高貴なる方に私達の母親が手籠めにされ、産み落とした哀れな妹でございます。さあ、お前も何をぼけっとしているっ」
鬼気迫る演技のテファーヌが、あろうことかフランシスの頭を掴むと強引に地面に引き倒し、その額を地面に打ち付けた。再び顔を上げたフランシスの額には僅かな血が混じっている。
「お許しくださいっ、お許しくださいっ。今、村で母が病に倒れております。この町で薬を買って帰らねば、母の命は三日と持たぬでしょう。どうか、どうか、通してくださいっ」
テファーヌの迫力に一瞬呑まれ掛かっていた門番の兵達だったが、すぐに槍を構え直した。
「な、ならんっ。金の髪の理由は分かったが、まだ通すわけにはいかんっ。気の毒だが、取り調べを受けてもらうぞっ。最低、二日は覚悟してもらおう」
門番の兵も譲ることはなく、複雑な表情を浮かべながらも槍の矛先を下げることはなかった。
これまでか、とサムエルは再び覚悟する。
強引な手に打って出るべく、足腰に力を込めた。
「……そう、で、ございますか。……それでは、母の命は…………」
目に涙を一杯に貯めて、懇願するように見上げるテファーヌ。
門番の兵はバツが悪そうな顔をしているものの、首はしっかりと横に振る。
「……これも規則なのでな」
無慈悲に告げられる。
しばしテファーヌは頭を下げたまま、硬直する。だが、再び顔を上げた時、そこには悪鬼の形相があった。今にも血涙を流すかと思われるほどに、苦悩と憎悪に塗れた表情。
「……………………こ、この、この、疫病神めっ」
突如、地の伏していたテファーヌがフランシスに向かって飛び掛かると、その金の髪を指に巻き付けて引っ張り始める。
「この髪がっ、この髪でっ、我ら一家に、どれだけの恥と災いを与えれば気が済むのかっ。お前など、産まれてくるのべきではなかったのだっ。この忌み子めっ!」
門の前から続く長蛇の列の最後尾まで轟かんばかりの大声で叫び上げ、馬乗りになったフランシスの髪を毟ろうとしている。その凶行には流石に門番の兵も虚を突かれ、冷や汗を顔中に浮かべていた。
「お、お止めください、姉上っ、痛いっ、痛いっ」
フランシスもテファーヌの手首を掴み、何とか髪から離そうと、陸に揚がった魚のようにジタバタともがいている。その乱闘の激しさは、巻き上がる土煙の濃さからもよく分かる。
「こ、これっ、貴様ら、大人しくしろっ、離れないかっ」
とうとう門番の兵は槍を投げ捨て、テファーヌを背後から羽交い絞めにしてフランシスから引き剥がそうとする。だがテファーヌの抵抗が激しく、振り回されていた。
「お、おいっ、貴様っ。兄なら見ていないで何とかせんかっ」と門番の兵がテファーヌの肘鉄を顎に受けながら悲鳴を上げる。
ああ、そう言えば今の俺は兄だった。
テファーヌの狂気に呑まれて呆然としていたサムエルは、ようやく自身の役割を思い出して、テファーヌに後ろから掴み掛る。暴れ回る妹を治める兄の姿を演じた。即興劇にしては見事な出来だったと内心己惚れる。
「おいおい、何の騒ぎだっ。いつまで掛かるんだよっ」
「俺達も待ってんだからっ、早く通してくれっ。商機を逃しちまうっ」
未だに長く続く列の中から抗議の声まで飛び出し、門の周辺が騒然となる。行商人達には今日の商売に生活が懸かっているため、不平不満に並々ならぬ怒りが込められていた。今日一日の売り上げにこれから一年の生活の質が掛かっているためである。門番の兵士が何か一つでも対応を間違えれば暴動にも発展しかねない、一触即発の事態である。
「ええいっ、貴様ら、さっさと通れっ。これ以上、面倒事を起こされては叶わぬっ」
折れたのは門番の兵だった。
槍の穂先を門の奥へと向けて、サムエル達に進むことを促す。まさか門番の兵も、騎士が主君の金の髪を掴み、地面に押し倒すとは思わないだろう。
「も、申し訳ございませんっ」
サムエルはまた頭を下げ、馬の手綱とテファーヌの腕を引き連れてようやく門を潜った。
騒ぎを聞きつけてやって来た町の人々から好奇の目を向けられたものの、当初の目的である潜入は一先ず果たしたと考えていい。
「……あの演技、どこで覚えたんだ?」
こそっとテファーヌに耳打ちをして聞く。
「以前、『溶けない雪山』で披露された演劇の狂女の真似でしたが、予想外にうまくいきました」
少し疲労の色を見せつつ、テファーヌが笑った。




