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第三章 遺児 その7

 大量の薪を乗せた馬車の車輪が回る音は重々しく、どこか悲鳴のようにも聞こえる。薪の山の下は一番の大荷物である鎧殻卵の入った革袋を覆い隠されている。

 本来、鎧殻士師の命とも呼べる鎧殻卵は肌身離さず持っておきたいところだが、背に抱えていると目立ちすぎるため、今は薪の山の中に隠している。フランシスとテファーヌの鎧やレイピアも同様だった。

 そのため馬車の中はすっかり窮屈となり、今までのように足を投げ出して座ることが出来なくなってしまったため、三人は馬車の先端に腰かけ、馬の尻を眺めながら肩を寄せ合っている。


「さて、これだけの薪を抱えてしまったが、全く、どうしたものか」


 フランシスが振り返って、天幕の下に摘まれた薪を見つめて嘆息する。

 サムエルは心中で、お前のせいだろと言い放ったが、なぜか今回のフランシスの行為を咎める気にはなれず、口には出さない。

 代わりに一つの提案を口にする。


「実は、薪を買ったのは理由があるんだ。これを使って、首都に潜入しようかと思ってな。お前の叔父やギデオンは俺達がやって来ることを警戒しているはずだ。恐らく門番の目を欺くための策が必要になるだろう」

「これで? まさか大きな火災を起こそうとでも言うのか?」


 フランシスは腕を組み、首を捻る。

 いくら潜入のためとは言え城下を火の海にするとはけしからん、と言わんばかりの渋い顔をしていた。


「ある意味、そうかもしれんな。そう、聖なる火を起こすために必要だろう。」


 サムエルが一つヒントを出すと、フランシスがハッと息を呑んだ。


「……今日は、六の月、第二の週の安息日。……そうか、聖火祭かっ」


 拝竜教の年に一度の祭り、聖火祭。パナリオン公国の全土だけでなく、拝竜教を信仰する国家の全てが沸き立つ催し物だ。それは無論、首都も例外ではない。

 村や町ごとに細かい差異はあれど、共通しているのは広場で木製の高い櫓を立て、そこに火をつけるという点だ。竜の吐く炎に見立てた火柱の周りを村人全員で一晩中踊り明かす、酒や馳走も振舞われる最大の行事だ。竜の炎を模した人工の炎は聖なる火とされ、その火の粉を浴びれば邪気を払い、この世に迷える魂を天に返すと言われる。


「聖火祭の日には大量の薪が必要になるだろう。森が近隣にあるような田舎の村々なら自前で調達できるが、首都だとそうはいかない。だから商人達がこぞって薪を運んでやって来る。ほかにも宴の席で飲み食いするような豪勢な食材を売りにやって来る連中もいるだろう。俺達はそんな商人達に紛れて潜入するんだ」

「なるほど、確かに聖火祭の日は多くの行商人が列を成すと聞く。それだけ大勢の商人を相手にしなければならないから、警備の監視の目も薄くなる、というわけか」


 フランシスは納得するように何度も頷いた後に、キョトンと首を傾げる。


「しかし貴様、拝竜教を棄教したと言っていた割には、随分聖火祭について詳しいではないか。聖火祭の開催日まで。恥ずかしながら私はすっかり忘れていたぞ」

「む」


 指摘されたサムエルは気まずくなって口を真横に結ぶ。

 だがサムエルがどう返答するべきか考えている内に、フランシスが思い出したように「あっ」と小さく声を上げた。


「……そうか。貴様にとっては、故郷を奪われた日でもあったか」


 そう呟かれたフランシスの声は、後悔の色に沈んでいる。余計なことを言ってしまったと反省しているようだった。


「……知ってたのか」

「テファーヌに話していたのを聞いてしまった。許せ」


 腕を組み、ばつが悪そうにツンと横を向くフランシス。どう見ても人に許しを請う態度ではないが、フランシスらしい仕草なのでサムエルは「やれやれ」と呟くだけで手打ちとした。


「盗み聞きは淑女の振る舞いとしてはどうかと思うが、まあ、別に隠すようなことでもない。それに、俺もあんたの隠し事を色々覗いちまったわけだし、これでお相子だな」

「う、うむ、そうだ。相子だ」


 裸を見られたことを思い出したのか、フランシスの横顔がカーっと赤く色付き、その紅葉は耳の先まで広がった。


「そ、そんなことよりもだなっ。貴様、昨晩は私に殻を破れと説教垂れた割には、貴様の方も殻に囚われているのではないのか? 棄教したはずの宗教の行事を律義に今でも覚えているなど、過去を引き摺っている証ではないか」


 半分照れ隠しのように言われた言葉に痛いところを突かれ、サムエルは苦笑いを浮かべた。

 そう、未だにあの日の出来事が忘れられない。忘れかかった頃合いに、必ず悪夢となって甦り、再び心を苛む。この分厚い殻は、いつまで自分を覆っているのか。


「あっ、お二人共、見えましたよっ」


 二人のやり取りをどこか微笑ましそうに見守っていたテファーヌが、突如、前方を指差した。

 その言葉通り、延々と続くかに思えた街道の先に天を衝く真っ白な雪山が現れていた。否、それは天然の雪山ではなく、人工物である。三叉のトライデントのような三本の尖塔を持つ白亜の城。どれだけ季節が巡っても決して溶けることのない、永遠の雪山。誰もが『溶けない雪山』と賞嘆する天下の名城。

 その城を取り巻くように広がった城下町と更にその周囲を覆う巨大な外壁が、城郭都市としての存在感をいかんなく発揮している。

 かつての居城を前にした影の世継ぎとそれを守る女騎士は、その場で居住まいを正して雪山を見上げた。


「……ついに、戻って来たぞ」


 フランシスの口から感慨深く呟かれた僅かな言葉。そこには万感の思いが込められていた。


「逸る気持ちも分かるが、ここからはより慎重な言動を心掛けてくれよ。どこに敵の目が光っているか、分かったもんじゃないから」


 サムエルの指摘に、フランシスとテファーヌが首肯を返す。

 フランシスは白い頭巾を頭に被り、顎の下で結び留める。高貴な金髪が隠れると、その女物の装いをした姿は傍から見れば小奇麗な商人の娘にしか見えない。テファーヌやサムエルの恰好も商人の風情の出で立ちをしていた。これ以上無い変装である。


「よし、まずは町に入ろう。……予想通り、大勢の馬車が列を作っているな。取りあえず、順番待ちだ」


 『溶けない雪山』及び城下町を取り囲う外壁だが、東西南北の四か所だけ鉄格子の門扉があり出入りが許される。無論、そこには物見の兵や門番の兵が常駐し、通過する者を厳重に警戒しており、不審な者がいれば容赦なくひっ捕らえる。

 その門扉の前にはずらりと蟻の行列のように馬車が並んでおり、ジリジリと牛歩で進んでいた。本日の催される宴の席で振る舞われる各地の名産品や地酒、そして重要な儀式である焚き火に必要な大量の薪までもが運ばれている。

 サムエル達はそんな長蛇の列の最後尾に馬車を付け、自分達の順番をもどかしい思いで待つことになった。

 これだけの行商人を門番が捌くのだから、さぞ時間が掛かることだろう。退屈な待ち時間を覚悟せなばならない、とサムエルは思っていたのだが。


「なあ、あれは何だっ。見事な着物だっ。まるで水面のような光沢を持つ鮮やかな青色だっ」

「西方で作られた絹のドレスだろう。西の方では、娘達の舞踊の際にああいった衣服を着させると聞いたことがある」

「あ、あの商人が口にしているものは何だっ。焦げたような褐色でありながら、どこか甘い香りがするぞ」

「うーん。キャラメルだろうか。軽く焦がした砂糖に牛乳などを混ぜて固めた菓子だ。これも西方が起源だったか……」


 順番待ちの間、フランシスが前後に並んでいる馬車に積まれているものを指差しては、好奇心を発揮していた。サムエルは面倒臭く思いながらも律儀に一つ一つ答えていく。この歳でもう娘を持ったような気分だった。


「どうだい、お嬢ちゃん、一口食べてみるかい?」


 目を輝かせながら商品を指差すフランシスを前にすると、行商人達も気をよくして気前の良いことを言う者もいた。


「むっ、おおっ、舌に乗せただけで溶けるではないかっ。しかも、こ、これは、甘いっ。いや、しかし少し苦味もあるか? 何と奥深い味だっ」


 キャラメルを有難く受け取ったフランシスは舌鼓を打ち、目を輝かせて満面の笑みを浮かべる。


「……あれを見ると、本当にただの小娘にしか見えないな……」


 あまり目立つことはして欲しくなかったのだが、しかしあれほど楽しそうなフランシスを見ていると止めるに止められないサムエルだった。

 傍らに立つテファーヌも姉のような、母親のような瞳でフランシスを見つめていた。


「ええ。『溶けない雪山』にいた頃は、何不自由ない暮らしとは言えませんでしたから。無論、食べ物に困ることはありませんでしたが、フラン様は城内に幽閉され、偶に人前に出る機会があっても嫡男として振る舞わねばなりません。本来、姫として生まれれば蝶よ花よと育てられるのが普通ですが、それは許されませんでした。淑女が着るドレスも、頬が落ちるような甘味も与えられません」

「そういうことか」


 事情を知ってしまうと益々注意しにくくなり、サムエルはただ苦々しく笑う。

 フランシスにとっては、今が最初で最後の自分を露わに出来る時間なのだ。

 仮に敵がフランシスに気付いたとしても、自分が守ればいい。

 ギデオンを、フランシスに近付けさせるものか。

 無邪気に驚いて喜ぶフランシスを見て、サムエルの胸の内に何かが灯った。


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