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第三章 遺児 その5

「…………つまり、そういうことなのです。黙っていて申し訳ございません」


 サムエルは濡れた服を着たまま焚火に当たり、テファーヌの謝罪の声を聴いていた。

 炎を挟んだ向かい側には、テファーヌの申し訳なさそうな表情と、フランシスの羞恥の表情が揺らめいていた。フランシスの下唇は恥辱に耐え忍ぶようにプルプルと震え、「見られた、見られた」などと時折うわ言のように言葉を漏らしていた。

 川でのひと騒動の最中、フランシスの不在に気付いて探しに来たテファーヌが、事情をすべて把握し、その後、川のほとりで焚火を起こすまで三人は無言だった。

 そして今しがたやっとテファーヌが口火を切った、というわけである。

 サムエルは濡れた前髪を額から掻き上げつつ問い質す。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。パナリオン公国の嫡男が実は女? そんなことはあり得ない。拝竜教の教えがあるだろう、『神たる竜は生涯に一子のみを生み育てんとす。故に我らも後継ぎたる男児のみを生み育てることを最上とする』。君主の跡継ぎは長男に限られるんじゃなかったのか」


 サムエルがまだ故郷で長閑に暮らしていた頃、両親に弟か妹が欲しいとねだったことがある。その際に拝竜教の教えを諭され、我慢するように言われたことを覚えていた。


「それには、事情が……」


 テファーヌが視線を逸らし、言葉を濁した。臣下の身分で真実を話すことに躊躇いがあるのだろう。


「よい、テファーヌ。ここからは私が話そう。今更、誤魔化しようもないだろう。もしかしたらもっと早くに打ち明けるべきだったのかもしれん」


 テファーヌの葛藤を察してか、代わってフランシスが口を開く。ただしその瞳は相変わらずサムエルをキッと睨みつけている。貴族として、また生娘として、裸を見られたことに対する二重の恨みが込められていた。


「……パナリオン公国の後継者、フランシス=ディエル=パナリオンは、二人いたのだ」

「ふ、二人?」

「そう、二人。より正確に言うならば、私と兄上は双子だった」


 フランシスは唇を噛み締めて、苦悶の表情を抱えながら、世間から隠された真実を語り始める。


「貴様の言う通り、今は亡き私の父上は拝竜教の教えに従い、世継ぎは一人だけ作るつもりだったようだ。だが誤算だったのは、男子と女子の双子が生まれてきたことだ」


 子は後継ぎとなる男児一人を最上と定める拝竜教において、双子は凶兆とされている。王家に生まれれば国を分かち、商家に生まれれば財を分かち、農家に生まれれば土地を分かつと謡われる。双子が生まれた時の対処としては、拝竜教の司祭にこれまでの罪を告解し、弟あるいは妹を神の化身たる竜が住まう地に置き去りにして天に生死を委ねる、というのが慣わしである。無論、赤子が置き去りにされて、一人で生きていけるはずもない。結局のところ、双子の片割れは見殺しにすることになる。


「……拝竜教の教えの通り、妹である私は神の御許へと送られるはずだった。だが、父上は敬虔な信徒であり公国の君主であったが、同時に慈悲深いお人だった。……我が子をむざむざと死なせることに葛藤し、そして、産まれた世継ぎは一人だけだったということにしたのだ」


 なんという大胆なことを思いついたのだろうと、サムエルは言葉を失う。


「幸い、双子ということもあってか、私と兄上の容姿は相似しており、見分けがつく者はいなかった。故に、生まれたのは男児一人ということにした。公的な場には兄上だけが参列し、私は常に城内で隠れて暮らした。私は男装し、仮に誰かに姿を目撃されても兄上に成り切ることで妹という存在を完全にこの世から消し去った。このことを知るのは、父上と母上、そして騎士団長のゲクラン卿とその娘のテファーヌの四名、母上はその後程なく病死したから、実質的には三名だけだった」


 そう語るフランシスの表情は穏やかで、幸せだった頃を思い返しているようだ。視線は揺れ動く焚火に注がれ、炎の中に映し出される記憶に魅せられている。


「城内の者にも私の存在は隠されていた。そのため、城の中でさえ私は自由に歩き回ることを許されなかったし、女物の衣服を着ることも禁じられていたが、それでもよかった。物心ついた時からテファーヌが遊び相手として傍にいてくれたし、時折兄上が私を喜ばせようと外の世界のこと話してくれたから退屈しなかった。何より、私の命を生かしてくれた父上と母上、兄上のご温情が、とても嬉しかった」

「……フラン様」


 テファーヌが感極まったように潤んだ瞳で、横のフランシスを見つめる。


「私は兄上の影。身代わり。万が一の時には、私が兄上を庇う。両親と兄が生かしてくれたこの命を捧げることなど惜しくなかった。そう、思っていた、そのはずだった」


 フランシスの視線が力なく下がっていく。己を悔いるように、唇を噛み締めている。見ているだけでその悲痛さに胸を打たれるほどだ。


「じゃあ、お前が、あの日『溶けない雪山』から脱出できたのは」


 サムエルは全てを察した。

 時折フランシスが貴族としてもあり得ないほどに世間知らずなこと、必要以上に貴族らしく気丈に振舞うこと、異常なまでに拝竜教の教えに拘ること、自分の命を惜しいと全く感じていないこと、それら全ての理由を。


「ああ、そうだっ。敵は本物のフランシス=ディエル=パナリオンを討っていた。だから私だけは容易く逃げることができたのだ。正統なる後継者である兄上が死に、身代わりになるべきだった私がこうしておめおめと生き恥を晒している。全く、お笑い種だろう」


 さあ、お前も笑えと言うようにフランシスは白い歯を見せて狂気的な笑みを浮かべた。無論、この場に笑う者などいない。

 焚火の周りをフランシスの狂ったような笑声が躍る。


「それで敵討ちってわけか。自分の命など投げ捨ててでも刺し違えるつもりだな」


 復讐心、その感情を、サムエは誰よりも理解し、共感できる。

 愛すべき故郷や人々を奪った相手に憎悪をぶつけるという決意。そのことを否定する気もなければ、間違いとも思わない。復讐は今を生きる者に許された信念であり、それを抱くことで救われるのならば遠慮なく持つべき感情だ。

 だがどうしても一つ、納得できないことがある。


「元より私に命などなかった。今更、、惜しくなどない」


 そう自嘲するフランシスの相貌には確かに命への執着は薄い。

 そのことが、どうにも許せない。


「……仮に一矢報いたとして、それでどうなる? 叔父を排除した後に、この国の舵取りは誰が担う?」

「血統において跡を継げる者はいなくなる。おそらくは臣下の内の誰かがするだろう。それを見届けるのは私の役目ではない。お前も見た通り、私は女の身だ。女では後継者にはなれん。パナリオン公国では貴族から農民に至るまで、あらゆる身分の者が従うべき拝竜教の戒律があるのだから」


 確固たる意志を持った瞳。狂信的であり、哀れでもある。そんな力強い眼光を放つ姿は、とても少女には見えなかった。


「お前が兄として、フランシス=ディエル=パナリオンとして統治するって選択もあるだろう」


 サムエルが突き付けた言葉を受けて、フランシスの目が何度も瞬きを繰り返す。呆気にとられたような表情。今までそんな考えを想像したことも無かったというように。

そうして、フランシスの力のない笑顔が左右に振られる。


「そんなものはない。背信者の叔父貴を討った後は、静かにこの地を去り、どこかで命を果てよう。それこそが、生き延びてしまった私の贖罪であり、殉教だ」


 迷いのない、真っ直ぐな目をしながら告げるフランシスがサムエルの癪に障る。


「殉教? それは無駄死にの間違いだろう。お前が統治者として返り咲くつもりがないなら、その復讐にも意味はない。むしろ民からすると迷惑だろう。それだったら復讐など諦めて、お前の叔父を新しい君主として認めろ」

「お前も故郷を奪った竜を殺すことを生業としているではないか。そのくせ復讐は止めろと私に説教するつもりかっ」


 フランシスの双眸が鋭く砥がれる。

 しかしサムエルも言い返す。


「復讐は別に構わん。否定はしない。だが復讐は自分が生き続けるための目的であるべきだ。少なくとも、俺はそう思って生きてきた。刺し違えるとか、死なば諸共という考えは復讐とは呼ばん。無論、殉教でもない。……それは、犬死だ。特にお前の場合は、その犬死の悪影響を民が被ることになる。迷惑千万だろう。はっきり言って気に食わん」


 サムエルはまるで刃を交えるように、フランシスの鋭利な視線を正面から見つめ返す。

 互いに己の主張を曲げようとしない。視線の鍔迫り合いが起こる。火花が散る。


「ならばどうしろと言うのだっ! 正当な後継者が失われ、身代わりとなるべきだった偽物が生きているというこの有様でっ。簒奪者を排除した後で、どう生き続けろと言うのかっ」


 フランシスが跳ね上がるように立ち上がり、叫んだ。その声には涙声が混じり、焚火の光を受ける目は潤んでいる。

 一人、生き延びてしまったという罪悪感。拝竜教の教義に反して生き続けてしまったという事実。本物を生贄にし、偽物の自分が生きているという矛盾。

 少女が背負うには重すぎる十字架だ。自縄自縛してしまうのも無理はない。

 だが、それでも、殉教という名の無駄死にだけはさせてはならないと感じた。

 だから容赦なく、冷酷な選択肢を告げた。


「フランシス=ディエル=パナリオンとして生き続ければいい」

「無理だっ。何度も言っているだろうっ! 私は女だ。女が跡を継ぐことは拝竜教では認められていないっ」


 焚火が掲げる灰色の煙よりも高く響き渡る悲痛な声。声は尾を引いて、星空を駆け回る。

「そんなものは糞食らえっ」


 空に消えたフランシスの大声を追いかけるように、サムエルも声を張り上げた。


「そんなものに縛られるなっ。お前が信じる神様は、男だとか女だとか、長男だとか長女だとか、そんな些細なことに拘るような器の小さい奴なのかっ」


 サムエルの吐き捨てた暴論を受け、一時、フランシスの目が丸くなり、口が半開く。何を言い返すべきか考えあぐねるように、フランシスの上下の唇がパクパクと開閉する。

 やっと発された声は上擦っていた。


「な、なな、なっ。お前、自分が何を言ってるのか、分かっているのかっ。拝竜教を国教と定める国を統べる者が、あろうことか、その国教を蔑ろにするだとっ。それは侮辱を超えてもはや滑稽だっ。三流喜劇の脚本ではないかっ」


 金色の後ろ髪を搔き毟り、動揺を露にしながらフランシスが反論する。

 だがサムエルも黙るつもりはない。


「拝竜教とは信ずる者を悩みや苦痛から救済する教えのはずだ。そもそも信仰とはそういうもの。無神論者となった俺でもそのことくらいは知っている。だったら、民を救う名君となるためならば、教義に反することも許されるだろうっ」

「な、何、無茶苦茶な理屈を」


 フランシスは金髪を振り乱しながら頭を振り、サムエルの言葉を否定する。


「だが犬死するよりも、教義を破ってでも民を導く方が、真の殉教だと俺は思う」

「お、教えを踏みにじることが殉教だとっ」


 フランシスの目が愕然と見開かれる。

 サムエルの脳裏には、炎の海に飲まれた故郷の姿が蘇った。これまで信仰していた相手に滅ぼされた哀れな村人。最期に彼らは何を思ったのだろう。神である竜に命を捧げるならば本望だと感じたのだろうか。

 真実がどうであれ、サムエルは彼らの死を殉教にはしたくなかった。

 哀れに、そして理不尽に奪われた命だと思いたかった。そう思い続けてきたからこそ、復讐の炎を絶やすことなく、これまで何の躊躇いもなく剣を握ることができたのだから。


「お前の叔父は、ギデオンを中心とした軍備拡大を進めている。この戦火は間違いなく、他国に向き、世の平穏を乱すことになるだろう。それを止めるには、お前が君主に成り代わるしかない。教えを守って無駄に命を散らすくらいなら、教えを破ってでも人々を救済する道を選ぶべきだ。今、この国でそれが出来るのは、フランシス、お前しかいない」

「……」


 とうとう言葉も無くしたフランシスは、視線を子細なく彷徨わせる。内心の動揺や迷いがその動きに表出していた。

 やがて深々と溜息を吐き、力なく項垂れた。


「…………無理だ、……私なんかに、この国は重過ぎる」


 自らの身体を抱きしめるように、胸の前で両腕を交差させる。その双肩は寒気に苛まれるように震え、前髪を力なく汗顔の前に垂らしている。その姿だけを見るならば、まさしく年相応の少女だった。重過ぎる肩の荷に辟易し、その誉れ高さに恐れ戦いている。

 これまで影に徹していればよかった少女に、表舞台に立つという新たな選択肢が突き付けられた。それはあまりに無情な選択かもしれない。

 その選択の先にある道には茨が犇めき、苦難となることは明白だ。もしかしたら、叔父と戦い討ち死にすることが、彼女にとっては最も楽な道なのかもしれない。殉教という言葉は、さぞ彼女の心の安らぎとなっただろう。

 サムエルの目の前にいるのは、フランシス=ディエル=パナリオンではあっても、所詮は小さな女の子であった。

 姉代わりのテファーヌが傍に寄ってフランシスの背を撫でている。二人の間に言葉はない。髪の色は違えども、本物の姉妹のようだった。

 ちらりとテファーヌがサムエルを見た。

 その目は、今日はもうこれ以上話すなと静かに告げていた。

 勢い余って余計な言葉をかけてしまったことに、一瞬、後悔の念がサムエルの心を過る。

 だが共に同じ目的地を目指している以上、彼女が犬死するのを黙ってみていることはできない。故郷に散った両親や村人と同様の末路を辿らせたくはなかった。

 だから心を鬼にし、目の前で項垂れるただの少女に向かって告げる。

 冷酷に、無情に。


「……フランシス、自分を取り巻く殻を破れ」


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