第二章 旅路 その3
その後、サムエルとテファーヌは焚き火に当りながら、フランシスが現れるのを待っていた。
「じゃあ、早速着てみろ。丈の長さを合わせないといけないからな」
とサムエルの意地の悪い提案を受けたフランシスが、真っ赤な顔で衣服を抱え、馬車の天幕に入ってから早半時が立っていた。未だにフランシスが姿を見せる気配はない。
「全く、いつまで掛かってるんだ、あいつ」
枯れ枝で焚き火を突っつきながら、不満げに言うサムエル。薪の中に湿った木が混じっていたのか、焚き火がパチンッと音を立て、橙色の火の粉が菌糸のように放出された。
「大体なんで着替えるのに隠れる必要があるんだ? さっさとこの場で済ませればいいのに」
「……それは、フラン様は貴族の御子ですから。サムエル殿のように野外で召し物を着替えることに慣れていないのですよ。それに、まだ少年とはいえ男性です。女である私に見られることにも抵抗があるのでしょう」
サムエルの傍らに座るテファーヌが冷静に答えたものの、その視線は妙にそわそわしながら焚き火と天幕を何度も行き来しており、フランシスの登場を今か今かと待っているようだった。
「そうは言っても、お前は幼い頃からフランシスの遊び相手だったんだろ? 今更、裸を見らえることくらい、どうってことはないと思うが……」
「…………いえ。そんなことは」
なぜかテファーヌが口籠ったため、サムエルは横目でさっと盗み見る。
テファーヌは焚き火を見つめながら、どこか悲しそうな瞳をしていた。
なぜ、そのような表情をするのだろうか。
テファーヌが悲哀に瞳を燻らせる理由に思いを巡らせていると、天幕の合間からこちらを窺っている顔が出ていることに気付いた。白い頭巾を被っているため自慢の金髪は隠れているが、間違いなくフランシスである。
フランシスが天幕の布を引っ張り身体を隠しながら、頭だけを見せていた。
「……やっと、お出ましか」
「う、うるさいっ」
サムエルが茶化すと、フランシスが薄闇の中でもはっきりと分かるくらいに赤い顔をしながら吠えた。
「お、女物の服は着慣れていないため、少し手間取っただけだっ」
「……着慣れていないというか、着たことがないの間違いじゃないのか?」と指摘する。
どうやら今のフランシスは相当頭に血が上っているらしい。
「だ、黙れっっ。か、刮目して見よっ」
フランシスはとうとう自棄になったのか、天幕から飛び出して焚き火の傍に降り立った。
ふわりとワンピースの緑色の裾が持ち上がり、すね毛のない綺麗な脚が一瞬だけ露わになった。
「ほほう、これは、これは……」
思いっ切り笑ってやろうかと考えていたサムエルだったが、実際にフランシスの姿を目の当たりにすると思わず感心して何度も頷く。自分の見立てに間違いはなかったようだと満足する。
元々フランシスは小顔だったが、頭巾を頭に被ることで更に小さく映え、少女のような愛嬌を生み出している。また肩から踝までをすっぽりと覆うワンピースと腰に付けた茶色のコルセットが女性らしい艶めかしい曲線の体型を作る。生来の高貴な雰囲気を持つフランシスと、庶民の娘のために作られた衣服が喧嘩するのではないかと不安もあったが、そのギャップがむしろミステリアスな印象を醸し出し、まるで森の妖精と見紛おう程だった。
「いや、似合っているじゃないか、フランシス。これなら誰もお前が男だとは思わないぞ」
サムエルは素直な感想を述べて拍手を送った。
もっと騒ぎ立てるかと思った隣の女騎士がなぜか物静かなので、ちらりと横を見る。するとテファーヌは頬を赤く染めて、ぽうっと見惚れていた。言葉も出ないらしい。
サムエルが肘で脇を突っつくと、テファーヌはようやく我に返り、たった一人で割れんばかりの拍手をし始める。
「す、素晴らしいです。フラン様。そのお召し物、とてもよくお似合いですっ。私など、このような男勝りの身体つきをしている無骨者故、女物の召し物はとても似合いません。こんなにも可憐に着こなしているフラン様に、心から感服いたします」
そうは言うテファーヌにも、こうしたヒラヒラした衣服が似合わないことはないだろうと、サムエルは思ったが口には出さずにいた。
「…………う、うむ、そうであったか……」
テファーヌから賞賛されたため、フランシスはどうやら満更ではない気分になったようで、顔から湯気のように溢れ出していた怒気を鎮めた。それどころか、ワンピースの裾を少し持ち上げて、まるで野を走る少女のように素足を露わにする。
「へ、平民の娘とは、このようにすると聞いたが?」
「は、はいっ。まさしくっ、その通りっ。『溶けない雪山』の周辺に住む村娘がそうやって裸足で野ばらを走り、花冠を作る光景を私も見たことがあります」
「こ、こんな感じかっ」
テファーヌに乗せられたフランシスが赤面をしつつも、可憐に歩き始め、辺りに敷き詰められた緑色の絨毯を静かに踏み締めている。確かに、その姿は花畑に花を摘みに来た少女のようでもあった。
「…………くっ」
その光景があまりにも似合っているため、ついにサムエルは堪え切れなくなり、笑声を喉の奥で鳴らした。一度浮いた歯は二度と噛み合わず、気づけば大口を開けて笑っていた。
「…………あっはっはっ、何だそれっ。様になり過ぎだっ! 公子なんてやめて、どこかの村に嫁入りして、置いてもらったらどうだっ」
思えば、腹を抱えて笑うなど久しいことだ。一体、いつ以来だろうか。
村を失い、ギデオンから剣技を学び、その後は一人で放浪し竜を狩り続けていた。苦笑や嘲笑は数え切れないほどだったが、心の底から声を上げて笑ったのは、本当にここ数年で初めてのことだった。
これまで溜めに溜め込んだ笑い声をここで解放するかのように笑い尽くす。
一方、フランシスの顔はぐつぐつと煮立った鍋のように煙を吐き出していた。
「ぐっ、き、貴、様、やっぱり、愉しんでいただけではないかぁああああっ」
かぁーっと再び頬を完熟させたフランシスが、今度こそとサムエルの胸倉に掴み掛る。
フランシスに何度も襟を引っ張られ、上半身を前後に揺さぶられたが、サムエルの笑いは中中止まらなかった。
そんな二人の様子を眺めるテファーヌが、三きょうだいの長女のような穏やかな優しい目をしていることに、当の二人は気付かない。
怒りに我を忘れたフランシスがとうとうサムエルを地面に引き倒し、その上に馬乗りになった。フランシスは怒りで息を荒げ、サムエルもまた笑い過ぎて呼吸が乱れていた。
「も、もう、許さん。果たすべき目的があるため、旅の間この衣服を着ることには同意しよう。……しかし、僕の感情の落としどころが必要だ……」
「へえ、どうするおつもりですか?」
サムエルは笑って答える。
フランシスは中々サムエルの上から退かない。じっと腰を落としたまま、重石となっている。
「……そこでだ。……お前とテファーヌが夜間に行っている特訓に僕も付き合わせろ。戦い方を学ぶことは今後僕の役に立つだろう。……僕を生かすために僕に女装をさせるというのなら、僕の訓練のために戦うことも出来るだろう?」
そう呟いたフランシスの瞳には羞恥と同じくらいに確かな殺意が宿っており、それは容赦なく真下にいるサムエルに注がれていた。




