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第二章 旅路 その2

 公子と騎士、そして鎧殻士師の三人旅は、誰も予想もしない穏やかな日々であった。君主の座を簒奪した叔父を成敗する旅、かつての師の凶行を止める旅、共に血塗られた道程であるはずなのに、その中途は恐ろしいほどに平和だった。

 日の出と同時に出発し、日中はひたすら馬車を走らせ、そして日が暮れれば馬の脚を止め、食事をして荷馬車の天幕の下で眠る。何ら障害も起こらない旅路。商人の親を持つ三きょうだいの旅行のようでもあり、実際それを装っていた。

 無論、三人の内、目的を忘れた者は誰一人としていない。こんな穏やかな日々は、仮初に過ぎないことも自覚していた。

 そんなこんなで『溶けない雪山』に至る道は着実に進んでいた。


「よし、今日はこの辺りで野宿しよう」


 サムエルはそう言って、手綱を引っ張り馬車を引く馬の足を止めた。

 太陽は沈みかかり、なだらかな草原地帯に影が落ちていた。三人の他に人の姿は見えず、近くに村も見当たらない。今晩も野宿である。

 馬車が止まると、三人はすっかり慣れた手際で夕食の準備を始める。といっても主に準備をするのはサムエルであって、テファーヌは薪を集め、フランシスに至っては自分が腰かけるのに手頃な大きさの岩を探すだけである。

 三人の内、料理がまともに出来るのはサムエルだけだった。一度、テファーヌにも手伝わせてみたところ、彼女は剣よりも小さい刃物を扱うには向いていないこと判明した。


「も、申し訳ありません、サムエル殿。しかしいかんせん、このジャガイモが小さいもので……」


 恥ずかしそうに俯いたテファーヌが言い訳染みたことを言った。


「……誰しも、向き不向きがあるからな……」


 ナイフでジャガイモの皮剥きを頼んだのだが、握り拳ほどの大きさだったはずのジャガイモが親指の爪くらいになって返却されたため、それ以降手伝いを頼むことを止めた。

 またフランシスはこれまで給仕をされることが当たり前の生活をしていたため、自身が料理をする気は毛頭なく、よって食事の当番は自然とサムエルとなった。

 出発時には豊富な食糧が木箱にぎっしりと詰まっていたが、この数日の旅路でほとんど消費しつくされ、今では箱底の木目が見えるようになっている。

 料理係のサムエルは、すっかり献立に頭を悩ますようになってしまった。


「なんだ、また、ジャガイモと塩漬け肉のスープか?」


 薪の火に掛けた鍋の中身を覗き込んだフランシスがぼやく。

 三日ほど続けて同じ料理である。近くに流れている小川の水と、ジャガイモと塩漬け肉を香草を入れて煮込み、最後に香辛料で味付けしたスープだ。


「また、じゃない。昨日と違ってトマトも入れるんだ」


 むくれて言い返すサムエル。

 宣言通り、沸騰する鍋の中に輪切りにしたトマトを入れた。煮込んだ塩漬け肉から立ち上る塩辛い香りに、トマトの爽やかな酸味が加わる。


「ほほう、これは美味しそうな色どりだな。……しかしトマトなど木箱の中にあっただろうか?」


 フランシスが首を傾げる。

 ジャガイモと違ってトマトが保存に不向きな食材であることは、流石の貴族育ちも理解しているらしい。


「昼間、行商人とすれ違っただろ? あの時に少し食材を買い足したんだ」


 サムエルが答えると、フランシスは得心したようにポンと手を打った。


「ほう、そうであったか。そういえば貴様は商人と何やら長い事話し込んでいたな。なるほど、食料を買っていたのか。……うむ、先を見据えての行動、大儀である」


 日中に通りがかった行商人は『溶けない雪山』の方向からやって来たため、落ち延びた公子と女騎士の噂を知っている可能性があった。故に、行商人への対応はサムエル一人で行い、その間フランシスとテファーヌは馬車の隅に隠れていた。

 そのためサムエルが行商人から何を購入したのか、二人は知らないのだ。


「ま、食料だけじゃないけどな」


 行商人から手渡されたもう一つの商品のことを思い出して、サムエルはそっと口端を歪め、愉悦の笑みを浮かべた。


「む? 他に何か必要な物があったのか?」

「ま、食事の後で教えるよ」

「まあ、何でしょう?」


 興味深そうにテファーヌも首を傾げたがサムエルは答えなかった。

 と、いうより答えられなかった。今、口を開けば笑声を上げてしまいそうだったから。

 それから三人は焚き火にくべられた鍋を取り囲むようにして座った。

 サムエルが柄杓で鍋からスープを掬おうと手を伸ばした。しかしテファーヌとフランシスが瞼を閉じて両手を顔の前で組み合わせたので、「また始まったか」と呆れながら渋々手を引っ込める。


「竜よ、あなたが我らに与えてくださった火で、今日も糧を食せることを感謝いたします」とフランシスとテファーヌの祈りの声が唱和する。

 拝竜教の信徒は、食事の前に必ず祈りを捧げる。

 というのも拝竜教の教えでは、人に火とその使い方を教えたのは竜とされており、食事の前には感謝のために祈祷することとなっている。そのため拝竜教では火を特別視しており、年に一度に行われる聖火祭と呼ばれる火祭りが行われるほどだ。

 かつてはサムエルも故郷の村で過ごしていた頃、食事の前に同じように祈りを捧げていた。両親の動きを見よう見真似しながら祈りの言葉も覚えたものだ。しかし竜に襲われ、棄教してからはご無沙汰である。

 二人の姿を見ていると、敬虔な信徒だった故郷の村の人々を思い出す。信仰など何の役にも立たずに、竜の炎で焼き尽くされてしまったことも同時に脳裏を過る。それがサムエルを不快にさせた。

 サムエルにとって火とは、故郷を焼く尽くした憎き存在であった。

 竜なんかより料理を作った俺に感謝しろよ。と言いたくなる気持ちを抑えて、サムエルは二人の儀式が終わるのを苛立ちながら待つ。

 テファーヌ達が瞼を再び開き、ようやく食事が始まる。

 鍋からスープを掬い、お互いの器によそう。

 サムエルの器に注がれたスープから白い湯気が立ち上って視界を覆い、しばらくの間二人の姿を隠した。

 器の縁に口をつけ一啜り。

 香辛料と塩漬け肉の塩辛さと、その陰に隠れたトマトの酸味が口の中に広がり、するりと喉を通っていく。

 しばらく三人の間で咀嚼や嚥下の音だけが交わされた。

 やがて器を空にしたテファーヌが口を開く。


「サムエル殿、行商人から購入した品というのは結局、何でしょうか? 武器や防具の類でしたら、私も拝見したいのですが……」


 そう紡いだテファーヌの唇は、スープの汁気で艶っぽく濡れていた。


「うん、なら、見せよう……」


 サムエルは空の器を地面に置いてから一旦、馬車へと戻り、『それ』を抱えて戻る。『それ』の正体は、折り畳まれた衣服だ。


「俺達は確実に『溶けない雪山』に近づいている。恐らくはこれから人の目がより増えてくると思う。村人や行商人はもちろん、警邏の兵士とも遭遇するかもしれん」


 サムエルの言葉に、二人は同意するように頷いた。


「うむ。僕が生きていることも、叔父貴はもう承知の上だろう。兵士に僕の人相を伝え、不審な人物がいれば捕らえるように命じていたとしてもおかしくない」

「ギデオンも俺の存在に気付いているかもしれん。……そこでだ。変装をしようと思って衣服を調達した。今のままでも十分商人らしい出で立ちをしているが、念には念を入れるべきだ。特に、フランシスの金髪は目立ちすぎる」


 焚き火の光を受けて、フランシスの金の髪は黄金の如く輝いている。それは明らかに庶民の持つ髪色ではなかった。

 フランシスは不満そうに口を曲げる。


「これは持って生まれた物だ。目立つと言われてもどうしようもない」

「ああ、だから、この服がいるだろうと思った」


 サムエルは昼間の内に行商人から買い求めた衣服を、畳んだ状態でフランシスに渡す。

 受け取ったフランシスは怪訝な顔をしながら、その場で衣服をふわっと広げて見せた。衣服は月光と焚き火の光に照らし出され、闇夜の中でもはっきりとその存在感を示す。


「…………こ、ここ、…………これは、女物ではないかっ!」


 フランシスから声高に放たれた言葉通り、手にした衣服は女性用だった。緑色のウール製のワンピースに、肩にかけるための白いショール、頭を覆うための白頭巾、更には革のコルセットまで付いている。身なりの良い商人の娘が好んで着るような衣服である。


「き、貴様っ、僕を、馬鹿にしてるのかっ」


 焚き火の炎よりも赤い顔をしたフランシスが、手にした衣服をクシャクシャに丸め、サムエルに叩き返そうと片手で持ち上げた。

 しかしサムエルは真顔で冷静に反論する。


「馬鹿にしてない。まずその頭巾にはお前の金髪を隠すという利点があるし、お前の叔父やギデオンは、恐らくは男一人、女一人、少年一人の三人組を警戒しているはずだ。そうなると誰かが性別を誤魔化すことが、彼らの目を欺くのに一番簡単な手だ。お前の顔は幼く、まだ背も低いから女装に丁度いいと思ったんだ」

「ぐ、ぬぬ」


 平常心のサムエルに理詰めで言い返されたフランシスの顔が屈辱に歪む。

 とは言え、抜け抜けと答えたサムエルにも、馬が合わないフランシスへのちょっとした仕返し、という考えがないではなかったが、そんなことはおくびにも出さない。


「さ、サムエル殿。妙案ではあるが、フラン様に女装を強いるのはあまりな仕打ち。性別を誤魔化したいということならば、わ、私が男装をするというのはダメだろうか。必要であれば断髪も覚悟するっ」


 慌てたテファーヌがサムエルの視線の前に立ちはだかり、恥辱に震えるフランシスの姿を背中に覆い隠す。そして主人の身代わりとなるべくドンッと自身の胸を強く叩いた。まさに忠臣らしい、頼もしい申し出である。

 しかしそうやって叩いた胸が僅かに弾む現象こそが、テファーヌの案が採用されない最大の理由となっていることに、悲しいかな本人は気付いていない。

 サムエルは気まずそうに咳払いを一つして、答える。


「…………いや、テファーヌじゃ難しい。……それは、中々隠し切れない、うん」


 サムエルも鎧殻士師とは言っても年頃の少年であり、若干目のやり場に困りながらも、テファーヌの女性らしく育っている双丘を指差して答えた。


「な、なんと……。くっ、こ、このような余計なコブが二つもあるせいで……」


 指摘されたテファーヌは地に膝をついて打ちひしがれると、自身の胸を鷲掴みにする。


「……思えば、このコブはいつも私の邪魔をした。鎧を着るにも、身体を動かすのにも、騎士としての私には余計な物でしかない……。こんなもの育たたなければ……私が男になることができたのに。……誠に、申し訳ありません、フラン様」


 テファーヌは心底残念そうに下唇を噛み締め、地面に拳を打ち付けてから、フランシスの足元で深々と頭を下げた。


「……よい、テファーヌ。……これは、もう、天命だ。……サムエルの案は、理にかなっている。むしろ、この程度のことで叔父貴の目を誤魔化せるならば安いものだ……」


 フランシスは顔を真っ赤に染めながら、渋々と納得する。クシャクシャにした衣服をもう一度広げると、生気を失った瞳の中に映し出した。


「フランシス、安心しろ。それを売ってくれた行商人によると、この近辺の村娘の間では一番評判の良い一品らしいぞ」


 そう言ったサムエルは、焚き火の火の具合を確かめるようにその場で屈んだ。しかし、その目的は笑いを噛み殺していることを悟られないように、火の背後に顔を隠すためである。


「…………ははっ。気遣い、感謝する」


 まだ遥か先にある『溶けない雪山』を見つめたフランシスが、力なく笑って返答した。


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